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多くの苦しむ女性に支持されたあのロングセラーが待望の文庫化!『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』三宅香帆氏による解説を特別掲載!

 臨床歴50年の第一人者として、最前線で母娘問題に取り組み続けている信田さよ子さん。「母の愛」という幻想に傷つけられてきた娘たちの声に向き合い、解決の方向性をさぐる。多くの苦しむ女性に支持されている、2008年刊行の単行本『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』がこの度、朝日文庫から発売になりました。信田さんによる母娘問題文庫本、『母は不幸しか語らない 母・娘・祖母の共存』(10月刊)に続く2冊目になります。文庫化にあたり新章「解決方法はあるのか」を加筆し、より具体的な「赦しでも復讐でもない」母親問題の解決方法について述べています。文庫版の刊行によせて、文芸評論家の三宅香帆さんによる解説を特別掲載します。

信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(朝日文庫)
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(朝日文庫)

 信田さよ子の達成とは何だったのか。母娘問題やDVやアディクション(嗜癖)問題を扱う臨床心理士の第一人者であり、日本一本を精力的に出版している日本公認心理師協会の会長であり、さらにいまもカウンセラーとして臨床の場に立ち続けている。そういった達成は知られている。もちろん私も知っている。それでもなお、言いたい。信田さよ子の達成とは、日本の母娘問題に「夫」の姿を引っ張り出したことである。私はそう考えている。

 本書は春秋社から2008年に刊行された。臨床心理士の信田さんが、カウンセラーとして目撃した母娘関係から、「母との関係に苦しむ娘」の解決策について綴った一冊である。彼女たちの姿から、家族の「墓」を託されてしまう団塊ジュニア世代の娘たちの存在を指摘した。2024年現在、増刷を重ね続け21刷、娘たちに読み続けられている。

「母が重い」というタイトルは、そんなことを言うなんて許されなかった娘たちの「もう耐えられない」という悲鳴そのものだった。私は本書を読むたび、2008年以前の娘たちの悲痛さを知る。「毒親」も「親ガチャ」も一般的に知られるようになる以前のことだ。本書がなかったら、どれほどの娘たちが「母が重い」を言うことができなかったか。母に愛されている、期待されている、仲が良い、しかし――母が重くてたまらない。それでも、母の重さを払いのけることができない。娘たちの悲鳴を、本書はすくいあげた。

 なにより本書の白眉は、家庭における「主役」を「父」と言い切っている点にある。家庭に「居ながらにして不在であるひと」を、信田さんは父と呼んだ。空虚な中心。家庭の天皇ともいえる彼は、娘が母に対して重く苦しんでいること、そしてその責任が自分にあることに思い至らない。団塊世代の父たちは、母と子とともに自分を家庭の関係を担うひとりであると考えない。家庭になにか問題が起きた時、まるで仕事のトラブルを解決するかのように、自分の感情を押し殺して人間関係を補完しようとする。本書は母娘関係の背景にいる「父」の問題を、まるで地図上に見えない大陸を描き出すがごとく、指摘した。

 なぜ家庭の父は不在であり続けられたのか。そこにあるのは、家父長制という近代日本でつくりあげられた共同幻想だった。父は稼ぎ、家の外における顔であるがゆえ、家の中においては不在でいい。まるで天皇のような振る舞いを許されていた昭和の父は、妻のケアを娘に担わせたことに気づいていない。娘は父の代わりに母の世話をし、その結果「墓」を押し付けられる。

 同時に、娘もまた、家父長制の内部にいる。それは母性愛という物語に縛られた結果である。本書はこのように、娘・母・父の物語を家父長制という地図のうえで描き出したのだ。

 つまり家父長制のA面は「男はとにかく働けばよく、家庭を養うべき」という幻想をつくりだし、家父長制のB面は「女は生まれつき母性をもつので、家庭を愛するべき」という幻想をつくりだした。だからこそ娘は、子は母に愛されるのが「普通」であるはず、母に愛されなかった自分はだれからも愛されないと絶望してしまう。さらに、家族なのだから、娘は母の面倒を見なくてはいけない、と思い込んでしまう。――だが、そのような思考は、家父長制という物語がつくりだした、母性愛というジェンダー化された幻想のなかでとらわれているだけなのである。

 信田さんは、娘が母から離れようとするとき持つ「罪悪感」は「人生の必要経費」だと言い切る。家父長制の内部にいる限り、母に罪悪感をもってしまうのは仕方がない。しかしその先に、あなたが母から離れることができる人生が待っているのだ、と。

 なんて鮮やかな解説だろう。ふらふらと母の森をさ迷う娘たちにとって、信田さんの「あなたの罪悪感は家父長制が生み出した物語だ」という言葉は、どれほど力強い地図になったか。東日本大震災以前に、すでに信田さんはこのような地図を娘たちに手渡していたのだ。「絆」という、家父長制を強化する物語が流行する以前に。

 しかし、2024年現在、本書が刊行された当時と比較すると、共働き家庭は増加した。もちろん育児休暇を取得する男性がまだ少なかったり、母親の責任を問う声が大きかったり、男女の子育て役割意識に明らかにジェンダー差が存在する。それでも2008年と比較すると、明らかに育児や家庭におけるジェンダーアンバランスは少しずつ薄まりつつある。それは私の同世代の、いわゆる「ゆとり世代」から始まっている社会変化なのかもしれない。では、家父長制の物語が薄まれば、母娘問題は解消されるのだろうか?

 私は否、と答えたい。本書の射程は、団塊ジュニア世代に特化したものではない。もっともっと、遠くを見据えている。おそらく共働き社会がどれだけ増えても、それでも本書を手に取る娘たちは減らないはずだ。なぜか。信田さんの言葉にヒントがある。

 家庭における「不在の父」――つまり母娘問題にあくまで第三者としてかかわろうとする男性たち――に対して、信田さんは伝える。

家族関係は、明確な因果関係で動くわけではなく、ひたすらプロセスの連続である。感情を表すことばは、プロセスを切り取ることで成立する。日は昇り日は沈む、は事実に過ぎない。夕陽がきれいだと言うことで、初めてそのプロセスにあなたたちは参加することができる(本書151ページ)。

 そう、仕事と家庭は違う。しかし父は、まるで「仕事のように」家庭に存在しようとする。その姿こそ、母娘関係を理解しようとしない、不在の父の原因となっている。

 だとすれば、今後、仕事と家庭を「両立」しようとする母が増えることによって、まるで墓守娘の父たちのように、「感情を表すことば」を抑圧しようとする母は、増えるのではないだろうか。まるで仕事のように家庭の問題を解決しようとして、結果的に人間関係の葛藤から逃げようとする姿。働く父に特有だったその姿勢は、働く母にも適用されるのではないか。するとまた結局、娘の苦しみを生み出しはしないだろうか。――そんな予感を私は持っている。

 もちろんこの予感は、いうなれば「ゆとり世代ジュニア」(!)が登場しないと答え合わせはできない。だが母娘問題は、なぜか夫ではなく娘に体重をかけてしまう「重い母」は、今後も生み出され続けるのではないか、という奇妙な予感を私は本書を読んで感じてしまう。共依存は、生まれ続けるのではないか、と。

 ならば対策はひとつだ。私たちは、家庭における母も父も娘も、本書を読んでおくべきなのだ。信田さんの地図を手にとるべきなのだ。

 母は重くなりやすく、父は消えやすく、そして娘は苦しみやすい。そう、信田さんから伝えられておくべきなのである。

 母の重さに耐えられないのだと、娘は声を上げていい。――この言葉を、信田さんはずっと唱え続けている。社会でいくら「親を大切に」といった言説が強くなろうとも、信田さんがいてくれるから、娘たちは地図を片手に生きていける。信田さんの言葉を道標に、娘たちは生きのびることができる。これからも。少なくとも私は、そんな娘のひとりだった。