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「不思議な、体験だった。」川上弘美さんが12年の時を経て描いた、『七夜物語』の次の世代を生きる子どもたち/『明日、晴れますように 続七夜物語』刊行記念エッセイ

『七夜物語』の世界を冒険した少女と少年、それぞれの子どもたち――鳴海絵と仄田りら。2010年の現代を舞台に、10歳から11歳へと成長する二人の変化の兆しと、子どもたちを取りまく世界を鮮やかに捉えながら、ささやかな人の営みと、そのきらめきを届ける物語。『明日、晴れますように 続七夜物語』(朝日新聞出版)の刊行にあたって、川上弘美さんから寄稿いただいたエッセイ(「一冊の本」2024年6月号に掲載)を特別公開します。

川上弘美著『明日、晴れますように 続七夜物語』(朝日新聞出版)
川上弘美著『明日、晴れますように 続七夜物語』(朝日新聞出版)

未来から今へ

 このたび上梓することになった『明日、晴れますように』は、今から十二年前、二〇一二年に出版された『七夜物語』の、続篇である。
『七夜物語』は、二人の小学生が七つの不思議な夜を冒険する、というファンタジーだった。二人は名前を鳴海さよ、仄田鷹彦といい、多少内向的な、けれど冒険に際してはじゅうぶんに勇敢な子どもたちだった。一生に一度は子どもが主人公のファンタジーを書いてみたいと思って始めた連載中、わたしは主人公二人が大好きでしかたなく、小説を書いている時にどちらかといえば登場人物たちにはあまり肩入れしない質のはずが、この二人にだけは「がんばれ」だの「いいぞ」だの「わかるよ、その失敗。でも、いい経験になったよね」などと、冷静でいるべきである作者らしくもなく、感情を波だたせることが多かったのは、おそらく主人公たちが子どもだったからだろう。子どもは、どうしても、かわいいのだ。それがたとえ、欠点ある子どもであっても、そのうえ架空の子どもであっても。
『七夜物語』は、新聞連載だった。ちょうど最後の一番大変な夜の冒険を書いている時に、東日本大震災が起こり、津波によって多くの方々が命を落とし、福島第一原発がメルトダウンし水素爆発を引き起こした。小説はすでに最後にさしかかっていたので、実際のできごとが直截に『七夜物語』に影響する、ということはほとんどなかったはずなのだけれど、本をまとめるために読み返しながら思ったのは、「まだ、書き足りなかったかもしれないな」ということだった。
 ただし、書き足りないのは、鳴海さよと仄田鷹彦という、昭和生まれの二人の主人公の話ではなかった。『七夜物語』は、一九七〇年代後半が舞台の話だ。二人が夜の冒険をすることによって変化し成長し、また同時に、二人が冒険をすることによって、本の中に描かれる「世界」も変化する、という構造をもつ『七夜物語』は、その時点での物語を、たしかにまっとうしていた。作者にできうる限り、ということわりつきで、ではあるが(ほんとうは、自分が書いた小説がしっかりと書かれるべきことをまっとうした、と感じられたことなど、まだ一度もない、というのが、正直のところ。というか、そんなことを感じてしまったら、もう小説など書かないかもしれないし……)。
 連載は、二〇〇九年から二〇一一年まで続いたので、小説の舞台となった一九七〇年代後半からは、すでに三十年以上はたっていた。つまり『七夜物語』は、過去の時間を書いた物語、ということになろう。そして、書き足りなかった、と感じたのは、『七夜物語』を書き終えた時点での、『七夜物語』の中の「今」、すなわち昭和の終わり近くの時代のことではなく、当時の自分自身が感じていた、二一世紀に入って十年ほどの「今」のことだったのだと思う。もしかすると、また、この話の続きを書くことがあるかもしれないなと、かすかに思った覚えがある。でもたぶん、書かないだろうな、とも。

『七夜物語』の連載が終わってから四年ほどたったころ、『七夜物語』の本を一緒に作ってくれた編集者であるIさんから、「20」というテーマで短篇小説を書きませんか、という依頼をいただいた。
 何を書くかは決めず、はい書きます、と、すぐに返事をした。書き始めてみると、語り手は子どもとなった。でも、その時点では、まだそれが『続七夜物語』の第一話になるとは思っていなかった。多少の予感、というか、そうなってほしい、という願いはあったかもしれないが。
 ところが、語り手である小学生の女の子「りら」を書いてゆくうちに、この子のこと、知っている、という気分になってきて、そのうちに、そうだ、ものごとに妙なこだわりを持ち、頑固に何かを追求してゆくこの子は、たしか、数年前にすでに書き終え、「おしまい箱」にしまわれているはずの、仄田鷹彦にとても似ているのではないか? と思いついてしまったのである。
 それからは、お話はどんどん展開していった。こちらも「おしまい箱」にしまいこまれていた、鳴海さよを思い起こさせる男の子「絵」が登場し、すると自然に、成長した仄田鷹彦や鳴海さよもあらわれ、その二人が、別々の相手と結婚し、子どもにめぐまれ、いまだに近所に住み、けれど互いにどうやら関係なく生きているらしい、ということもわかってくる。
 不思議な、体験だった。自分の小説の続篇、というものを、それまでわたしは書いたことがなかった。飽きっぽい質でもあるし、忘れっぽい質でもあるので、以前書いた小説を読み返しても、たいがい「誰が書いたのやら」と、びっくりすることがほとんどで、なべての登場人物たちは「おしまい箱」に放りこまれ、放置されている。唯一、作者であるわたしの記憶に残り、たまにひそかに思い返されていたのは、「中野さん」というひどく適当な中年男性だけで、けれど彼が登場する『古道具 中野商店』の続篇を書くつもりは、今もない(のだが、中野さんが大好きなわたしは、『中野商店』とは関係のない、『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』という連作長篇に、彼をちらりと登場させ、大いに満足したのではある)。
 書ききりの短篇なのだからと、番外篇のような気分で「20」を書き終え、そのあとは、「りら」も「絵」も、「おしまい箱」に放りこまれるのだろうな、と、その時もまだ、思っていた。次にIさんから短篇の依頼があったのは翌年で、書いてゆくうちに、これも「絵」と「りら」の話になり、ではそのまま連作長篇になってゆくのかもしれないとわたし自身も予想しながら、すぐに時間は過ぎ去ってしまい、いよいよ「小説トリッパー」で毎回連載をしましょう、と決まったのは、さらに四年たった後だった。

『七夜物語』は新聞連載だったが、「トリッパー」は季刊誌なので、それからもゆっくりとしかお話は進まない。年に四回しか会わない「りら」と「絵」は、毎日会っていた「鳴海さよ」と「仄田鷹彦」にくらべ、遠い存在になるかもしれないな、と思いながら始めた連載だったが、このたびも、わたしは「りら」と「絵」が大好きになってしまった。一九七〇年代に小学生だった二人の両親にくらべ、「りら」と「絵」は、二一世紀の子どもたちである。だから、思うことやおこなうことも、二人の両親の時代とは異なっているし、だいいち、『七夜物語』の不思議な夜の冒険に出てきた、大きなねずみや、この世のものではないものたちは、「りら」と「絵」の世界には、ほとんど出てこない。ファンタジーというよりも、子どもの日々の生活を書いた小説、というふうに自然になっていったことに、けれど違和感はなかった。書きついでゆく途中でわかったのだが、表だった冒険こそないが、『続七夜物語』は、やはり「りら」と「絵」の大いなる冒険のお話だったからだ。ファンタジックな面はおさえられていたけれど、二人は行動し、変化し、成長してゆく。そして、これも書きつぐ途中でわかったのだけれど、「今」の冒険を自分が書こうとすると、それはファンタジーの形ではなく、現実にごく近い異界を書くかたちにならざるを得ないのだった。

 そのようにして、『続七夜物語』は、八年という長い時間をかけて、ようやく完成した。『続七夜物語』のおしまいの部分の舞台は、未来である。未来に、いったい「りら」と「絵」がどうなっていったのかを考えながら書いていた時、はじめてわたしは、『七夜物語』を書き終えた現実の時間であった二〇一一年の「今」に追いついた、と感じたのだった。過去を解くことから始まった物語が、その続篇で未来を書きつつようやく東日本大震災の起こった「今」へとつながっていったことに、感慨を覚えている。どうかわたしたちの現実の世界の未来も、現在の「今」と、しっかりつながりつつ、少しでもつつがない方向へと向かっていってくれることを、心から願っている。