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シリコンバレーのエコシステムが生み出す新しい「技術」と「経済」 今後の日本のスタートアップに期待大?

 なぜ、スタンフォードは常にイノベーションを生み出すことができ、それが起業や社会変革につながっているのか? 書籍『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』では、スタンフォード大学で学び、現在さまざまな最前線で活躍する21人が未来を語っている。本書より、カーネギー国際平和財団シニアフェローの櫛田健児がスタンフォードで学んだこと、その後の研究や活動を通して感じた「日本」への思いなど、一部抜粋・再編し前後編でお届けする。

『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)
『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)

■カーネギー国際平和財団で日本の新しいストーリーを作る

 スタンフォードのアジア太平洋研究所(APARC)にリサーチ・アソシエイト、リサーチ・スカラーという研究職の立場で10年ほど在職した後、2022年にアメリカ最古のシンクタンクで、政治的には完全に独立しているカーネギー国際平和財団(Carnegie Endowment for International Peace)にシニアフェローとして移籍した。

 同財団はスタンフォードとのつながりが強いスタンフォードの元理事長で、現在も大学のいろいろな機関の理事を勤めている人物が理事を勤めているほか、同財団の理事にも数名のスタンフォードの卒業生がいる(鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーはカーネギーメロン大学やカーネギーホール、スタンフォード大学内でもバイオ系の研究を行っているカーネギー・インスティチュートなど、さまざまなところに寄付して名前を残しているが、カーネギー国際平和財団の運営は大学やその他のカーネギー系組織からも独立している)。

 しかも2021年からカーネギーのプレジデントを務めるマリアーノ=フロレンティーノ・クエヤールはメキシコ生まれでスタンフォードのロースクール教授になり、私が所属していたAPARCが傘下にある組織、Freeman Spogli Institute for International Studiesの所長も務めた人である。そのクエヤール氏は、ワシントンDCに本社があるカーネギーに、新しいシリコンバレーの拠点を作る構想をもっていた。

 シリコンバレー在住の同氏はシリコンバレーとカリフォルニア、ワシントンDCの連携を大幅に強化する必要性を感じていた。カーネギーは世界中に作った拠点(デリー、ブリュッセル、ベイルート、北京、そして2022年にプーチン政権に閉じられるまで存在したモスクワベルリンで再構築など)で、それぞれ独立性をもちながら各国の政府や財界、オピニオンリーダーにインプットを提供して国際的なプロジェクトを進めるのが特色であるシリコンバレーの重要性は増す一方だという構想を掲げていた。

スタンフォードで行ったシリコンバレーと日本を結ぶサミット

 同じアメリカ国内でも首都のワシントンDCからは物理的な距離だけではなく、文化、社会、政治力学などが遠いカリフォルニアは、なによりもシリコンバレー・エコシステムが生み出す新しい技術や経済のダイナミズムがアメリカにも大きな影響を与えている。それがゆえに、グローバルなシンクタンクとしてワシントンとは別の視点をもつシリコンバレーの拠点が必要であるというビジョンである。

 カーネギーのアジア担当のディレクターは、スタンフォードで政治学博士を習得してからアメリカ国務省や元アメリカ財務長官のヘンリ・ポールソンのシンクタンク・財団を立ち上げた人物で、従来のワシントンのシンクタンクがフォーカスしていた国防や国際政治、外交から舵を切って、テクノロジーを中心にチームを強化する方針をとっていた。

 彼から著者へのオファーは、イノベーションや技術を中心に新しく日本プログラムを作り変えるというもので、シリコンバレーから率いて他のだれにも作れないユニークで価値があるものを作るチャンスだった。しかも、まだ40代半ばに差し掛かる前の自分にとってシニアフェローというきわめて自由度が高いポジションは魅力的だった(髪が黒いうちの「シニア」である)。

 ダメ押しは、カーネギーのシリコンバレー拠点はスタートアップに近い形であり、数百人の組織全体のプレジデントであるクエヤール氏と私がカーネギーのシリコンバレーオフィスの初期メンバーであり、新しい組織作りにゼロベースから立ち合うことができた。今までの日本とシリコンバレーをつなげる活動と学術的アウトプットに加え、アメリカの政権の中核であるワシントンDCとシリコンバレーをつなぎ、日本とワシントンもシリコンバレー独自の切り口で関係を強化し、カーネギーが展開する他のグローバル拠点にも日本やシリコンバレーを結ぶ。自分の給料を含めた資金集めをしなくてはいけないポジションだが、絶対にやるべきだと思ってスタンフォードの研究職を後にした。

 同じアメリカでも、フラットな組織とあまり縦社会ではないシリコンバレーの文化は、東海岸とも大きく異なる。シリコンバレーに比べて、文化的にも物理的にも縦社会のワシントンDCのカーネギー本社では、それを象徴するようにプレジデントのオフィスは8階建ての立派な建物で、最上階の天守閣のようなスペースにある。

 しかし、スタートアップ気分でまだメンバーが著者一人のパロアルトのオフィスでは他の財団のオフィスを一部間借りして、プレジデントの机の隣で私が仕事をするというコントラストが実にシリコンバレーらしい(もちろんクエヤール氏はワシントンや世界中を飛びまわっていてあまりオフィスには来ないが)。

 カーネギーの新生日本プログラムは、日本はその経済規模に対して国際的にプレゼンスが低すぎるという問題意識をもっている。その大きな理由は、国外からも国内からも、日本に対する思考フレームやストーリーが魅力に欠けていることにあると考えている。「失われたウン十年」「少子高齢化と過疎化の課題先進国」「ジャパン・アズ・ナンバーワンになれなかった日本」「変われない大企業」などのフレーミングでは日本のポテンシャルを過小評価してしまいやすい。

著者の職場があったアジア太平洋研究所が入っているEncina Hall。奥はHoover Tower

 日本の経済はまだカナダの倍以上あり、ドイツの1.3倍、イギリスの1.8倍ほどあるが、その規模にともなう振る舞いができていない。日米関係においては、実は日本企業は非常に刺激的なシリコンバレーとのコラボレーションをいくつも進めている。社会の分断がアメリカに比べたら劇的に低い日本は、震災の復興税などもサクッと通してしまうぐらい連帯意識が強い。

 新しい技術や業界の競争のロジックを作り出したり、斬新なイノベーションを作り出したりするのは得意技ではないが、部分最適化においては非常に強い。また、内からも外からも過小評価されているスタートアップエコシステムはもっと世界にアピールしながら、シリコンバレーからの視座で日本政府に提言を行っていく余地はある。

 日本は世界の多くの人からも、日本国内の多くの人からも過小評価されている側面があると思っている。日本の大企業は想像以上にグローバルで、外資系企業の飛躍によって想像以上に国内もオープンになってきている。革新的なイノベーションよりも、着実に先端技術をブラッシュアップして世界で実装するタイプのイノベーションもいろいろなところで着々と行われている。

 そして少子高齢化と過疎化に見舞われるけれども分断が浅い社会は、これから10年でさまざまな技術や仕組みの導入によって他国のモデルにもなりうる要素を秘めている。そういうテーマを私はカーネギーで今後もどんどん掘り下げていくが、これはスタンフォードとシリコンバレーの物の見方をするから見えるポジティブな側面とストーリーである。

 また、スタンフォードで行っていたシリコンバレーと日本をつなぐプロジェクトをカーネギーで引き継ぎ、「Japan-Silicon Valley Innovation Initiative(JSV)@Carnegie」という新しい企業協賛プロジェクトを作り、毎月のクローズドな勉強会や日本向けの公開イベントをはじめた。

 グローバル向けには日本の新しいストーリーにつながる発信をしながら、日本向けには日本語でどんどん改善点や外から見た新しいビジョン、そしてシリコンバレーからの示唆を伝えていく。そしてシンクタンクの役割の一つである、「表立って目立たなくても、要人、オピニオンリーダーや財界のリーダーなどと信頼関係を構築していろいろな人につなぐなど、良いインプットをしていく」活動も行っていく。

■日本のスタートアップエコシステムへの期待

 新しいことにチャレンジし、新しい価値を作り出していけるという意味でスタートアップエコシステムはおおいに重要である。スタンフォードはアメリカ経済を牽引しただけではなく、世界のさまざまな産業に大きな影響を与えたシリコンバレーのエコシステムの中枢にある。著者はスタンフォードにいたころから日本のスタートアップエコシステムを研究しているが、シリコンバレーの理解をもとに日本の状況を分析すると、これからの発展は非常に期待できると考えている。しかし、もちろんシリコンバレーを全部まねすればよいというわけではない。

 まず、スタートアップエコシステムにはそもそも複数のコンポーネントが存在し、それぞれ相互依存している。(1)ベンチャーキャピタル(VC)、(2)人材循環、(3)産学連携と政府の役割、(4)大企業とスタートアップの補完関係、そして(5)スタートアップ育成のサポートエコシステム、などが主なコンポーネントである。

 相互依存というのは、たとえばVC業界は数多くのスタートアップに投資して、そのほとんどが失敗しても、1社か2社の「場外ホームラン」となるような大成功を収めるスタートアップが生まれれば成功となり、VCに資金が集まり、次の投資につながる。大量のスタートアップが生まれるには、非常に流動性が高い人材の循環が必要である。したがって、たとえばVC業界に政府から大量の資金を注ぎ込んでも、人材の循環があまりないとスタートアップは生まれず、拡大させるのも難しく、大成功を収めるスタートアップの数も必然的に限られてくる。VCの人材循環が補完関係となっているからである。

 同じように、産学連携とVCの関係は、スタンフォードのように大量にスタートアップを作り出す研究者や学生やアラムナイ(卒業生)がいるからこそ、物理的にもお隣のサンドヒルロードやパロアルトのトップVCたちとの交流が深い。投資を受けるだけではなく、人を送り込んだり、さまざまなインフォーマルなノウハウも循環したりするような密度の濃い産学連携が行われる。

 そして古くからシリコンバレーの中枢にいたVCのジョン・ドーアがビリオネアとなり、スタンフォードに16億ドルもの寄付金で新たなSustainability Schoolを作ったのは産学連携のメカニズムの一部だととらえるべきである。そしてここから生まれるさまざまな研究ラボからスピンアウトされ、輩出する人材から新たなスタートアップが生まれ、VC業界にも恩恵をもたらす。こういう相互依存関係である【図1】

【図1】主要なスタートアップエコシステムの要素、相互依存、前向きなフィードバックの循環

 シリコンバレーは1960年代から1980年代までにこれらのパーツがそれぞれ好循環スパイラルになるような発展を遂げ、1990年代以降、一気に世界的なディスラプター(破壊するプレイヤー)を作り出し、アメリカ経済の復活を牽引した。もちろん、地域としては地価や物価の急激な高騰など、負の面もあるが、所得の分配や住居の問題はローカルな政治力学が影響しているので、日本が学ぶところはエコシステムの価値を作り出すコンポーネントである。そこで手短に日本のスタートアップシステムを見ていこう。

 日本のスタートアップエコシステムはここ20年ほどで劇的な進化を遂げてきた。いってみれば「仕込みの期間」が終わってこれから成長の時代がはじまることが期待できる。2022年に入ってロシアの戦争や世界経済におけるアメリカとEUの利上げにともなってVC市場に流れ込むグローバルマネーが減り、株式市場の低迷によってスタートアップの大型IPOなどから望めるリターンが減ったことで世界全体のVC市場とさまざまなスタートアップエコシステムは数年前に比べたらスローダウンしている。日本もその影響を受けているが、日本のスタートアップエコシステムの基盤はだいぶできあがっていて、それぞれのコンポーネントは好循環スパイラルが生まれはじめている。

 そもそも現在の日本経済モデルは日本の高度経済成長期にできあがった。「戦後日本の政治経済モデル」とその成功は、シリコンバレー的なスタートアップエコシステムとは真逆だった。日本の高度経済成長モデルは製造業などにおける強みによって、1970年代のオイルショック後から1980年代にかけて、日本企業が世界のディスラプターとなり、シリコンバレーの半導体産業にも大きな脅威となった。

 しかし、その後、シリコンバレー企業による価値の作り方がソフトウエアやプラットフォーム、及び外注委託生産などに大きく変わったことにより日本企業は競争優位を失った。終身雇用制度などにより大胆な方向の転換ができない日本企業はバブル崩壊にも見舞われて新しい大規模な投資もなかなか行えず、アジャストに時間がかかった。

※「後編」へつづく

櫛田健児さん

櫛田健児
カーネギー国際平和財団シニアフェロー。シリコンバレーと日本を結ぶJapan-Silicon Valley Innovation Initiative@Carnegieプロジェクトリーダー。キヤノングローバル戦略研究所インターナショナルリサーチフェロー。東京財団政策研究所主席研究員。スタンフォード大学非常勤講師(2022年春学期、2023年冬学期)。1978年生まれ、日本育ち。スタンフォード大学で経済学、東アジア研究それぞれの学士号、東アジア研究の修士号修了。カリフォルニア大学バークレー校政治学博士号修了。スタンフォード大学アジア太平洋研究所でポスドク修了、リサーチアソシエイト、リサーチスカラーを務めた。2022年1月から現職。主な研究と活動のテーマは、(1)Global Japan, Innovative Japan、(2)シリコンバレーのエコシステムとイノベーション、(3)日本企業のシリコンバレー活用、グローバル活躍、DX、(4)日本の政治経済システムの変貌やスタートアップエコシスムの発展、(5)アメリカの政治社会的分断の日本への紹介など。学術論文、一般向け書籍やメディア記事、書籍を多数出版。


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