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第9回 林芙美子文学賞 受賞作が決定!

 過去には芥川賞作家・高山羽根子さんも輩出した林芙美子文学賞の受賞者が決定しました。第9回となる本年は「いっそ幻聴が聞けたら」(屋敷葉)が大賞を受賞いたしました。受賞作全文、および井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さんによる選評は3月17日に発売となる「小説トリッパー」2023年春号に掲載いたします。受賞の言葉と受賞作の冒頭部分を特別に公開します。

屋敷葉さん

受賞の言葉

 書店に並んだ小説を手に取って、家に帰って読んでいると、時の経過を忘れるような感覚に幾度となく陥ることがあります。出逢ってから忘れられない言葉たちを前に、どうして私は小説を書こうと思ったのか、分からなくなる日もあります。素晴らしいものは、もうすでにここにあって、触れられただけで幸せではないかと満足する自分にもぶつかってしまいます。
 だけどもう一度、私にも何か書けないかと立ち上がらせてくれるのも、小説なのだと感じています。浮かび上がった言葉が形となり、林芙美子文学賞という身に余る賞をいただけたこと、大変嬉しく思います。選考に関わってくださった関係各所の皆さま、選考委員の先生方に心より感謝申しあげます。

受賞者プロフィール

屋敷葉(やしき・よう)1994年生まれ。神奈川県在住。

■大賞「いっそ幻聴が聞けたら」(作品冒頭)

 お前なんかが飲み物を買うな、そう禁じられているみたいに、百円玉が赤い自販機の下に転がっていく。
 私は丸い硬貨の行方を追い、熱せられたコンクリートの上に這いつくばった。うなじから首筋につたう汗が地面に落ち、蒸発し、ジュっと音を鳴らしそうなほど熱い。
 どこからどう見ても地面と自販機の隙間に、私の腕が入る余地はなかった。暑さでもうどうでもいいような気がしたが、一応首を九十度に傾けて暗がりを覗いた。
 百円玉は奥深く、手の届かないところで輝きを失い、蛾の死骸と共に息を潜めている。この自販機が撤去されない限りおそらくもう誰の手にも渡らないだろう。この世で一番価値があるとされるお金が、無価値になった瞬間、私の口元は緩んで、周囲から自分の格好をどう見られているかなど考えられなくなっていた。そんなことよりどうにか自分もこの下に隠れられないだろうか。ということの方が重要に思えて、立ち上がるまで、アスファルトに接地していた二の腕が火傷していることに気付きもしなかった。皮膚がヒリヒリしている。
 車を預けているたった三十分の間、私は喉の渇きを我慢できなかった。ガソリンスタンドの待合室にも自販機はあったが、隣のタバコ屋の方が三十円安かった。わざわざ移動して来たが買えず、結局百円の損失をしただけとなった。
 小銭はあと二十四円しかない。紙幣は崩したくなくて、気休めに唾を飲んでみる。
 惨めになるだけだった。水の購入は諦めて、自販機に背を向けガソリンスタンドに戻る。待合室に入る前に私はエプロンから砂利を払った。身に着けているグレーのエプロンは元々、赤や茶、緑、色んな食べ物のシミで汚れている。
 洗車から戻ってきた赤いエヌワンは一時的に輝きを取り戻して、いたるところに水滴を張り付けていた。
「あと、流しと拭き上げで終わりますんで。タイヤの空気も入れときました」
 バインダーを持った若い青年が、聞いてもないのに説明をよこす。男は背が高く、いつ来ても疲れるほどに元気がいい。こんな田舎町では、目立って仕方ないであろう整頓された顔は、若い頃のウエンツ瑛士のようだ。
 かっこいい、かっこよくない、かわいい、かわいくない。私はそういうのにひどく疎い子供だったが、二つ歳上の姉が男性アイドルの追っかけをしていて、写真を見せられるたびに、これは綺麗な顔、そうでもない顔、といった風に自然に基準を植え付けられていった。
「タイヤの溝なんですけど、だいぶすり減っちゃってるみたいで、特に前の二本なんか、雨の日危ないと思うんですね」
 はい。
「ご覧になられます?」
 返事をする間もなく、歯を見せる青年に私は車の前に連れ出され、タイヤの溝の確認をさせられる。そもそもタイヤの新品をあまり見たことがないので、減っているかどうかも分からない。
「はあ」
 としか言いようがない。
「今ならサマーキャンペーンもやってるんで、お安くタイヤをご提供できると思います。良かったら中でお見積もりを」
 また青年に言われるがまま誘導されて、待合室の椅子に腰を掛ける。青年は新しく持ってきた見積書にせっせとラインマーカーを引いている。帽子のつばにはアメーバみたいな汗染みが目立ち、「働く」って気の毒だな、とつくづく思わされる。青年は油で汚れた指で電卓を叩くと、
「お客様のお車ですと四本、工賃込みで二万九千五百円ですね」
 と言った。一応は見積書を引き寄せて金額に目を通してみる。しかし、二万を超すタイヤ交換を一つ返事で決められるわけがなかった。一円でも二円でもいい。より安く交換してくれる店を探すのが私の責務のように思えた。
 ポケットに付いたエプロンのシミを強調させるように猫背を正して、
「夫が家計管理しているものですから、勝手にというわけにいかなくて」
 とできる限りみすぼらしい感じで答えた。これが断る時の常套句だ。セールスをする類の人間は大抵ここで判断をする。ああこの人、お金ないんだ、と。
「あー、そうでしたかあ。でしたら一応旦那様の方にも、タイヤが危ないよー。ということだけお伝えいただいて、もし変えたいよー。ということであれば、またいつでもいらしてください。月末までこちらの金額、適用できますので」
 はい。
 車に乗り込んですぐ、ガソリンスタンドに面する道路で信号機に捕まった。接客してくれた青年は、私の車がそこにあるせいで、なんとなくいつまでも有難そうに佇んでいなければならず、もういいから涼しいところに行ってくれ。と私はあえて一度もそちらを見返さなかった。
 ハンドルを握り、赤信号を見やる。運転席からの視界が少し高くなったように感じるのは、やはりタイヤに空気が入ったからだろうか。心なしか、走りやすい気もする。思い過ごしかそうでないか、判然としないまま同じ通り沿いのスーパーに寄る。
 なるべく近いところ、なるべく近いところに停めたい。考えはすっかり駐車場所のことに移り変わっていた。お昼を少し過ぎただけの十三時台のスーパーは混み合い、結局入り口から遠いところに停めるしかなかった。カート置き場がすぐ近くにあるのだけが救いである。
 まだこの時間は三十パーセントだろうか? 五十パーセント引きがあれば万々歳だ。と値引きされた弁当があることを願い店に入る。最近では作るより安い弁当を買う方がコスト削減になることに気が付き、自分のための自炊をやめた。
 こうして倹約していれば、せかせか働かなくて済むのなら、たとえ買い物カゴの八割に値引きシールが貼ってあっても恥とも思わない。
 養っていただけるのならば、私は夫の前でどこまでもしおらしくいられる。なにせ扶養の扶という字は、てへんに夫と書くのだから、退廃的思考と指摘されるのはたまらない。
 どれだけ新聞の見出しに、「女性の社会進出止まらず」と書かれていようが、私は現状を維持するつもりだ。
 どんな手を使っても? 角張った氷の上で横たわるアジが、そう問いかけてくる。なんて聞こえるはずもない声が聞けるようになったら、精神を病んでいるだの何だのと周囲から本気で心配され、一銭たりとも銭を稼がなくて済むだろうか。
 激務じゃない。こんにゃくの製造工場の、半日で終わるパートで充分楽をしている私だが、欲は尽きない。もっともっと、と体が怠けたがる。いや違う、心の方が。
 週に三日、私は顔しか出ない青いツナギの作業着に身を包まれる。背が低く横に太ったパートのおばさんたちは、ツナギを着るとドラえもんみたいで、顔だってドラえもんのまま可愛かったらいいが、振り向かれるとげんなりする。おばさんたちは皆一様に少しずつ意地の悪い顔で、眉が細かったり、口紅が真っ赤だったり、紫のアイシャドウを煌めかせていたりする。顔を見るたび、何もしていないのに怒られているような気分になる。まあ実際、何もしていないからそう感じるのだが。
 人より手の遅い私は、ライン作業の中間で袋に入ったこんにゃくを持ち上げ、異物混入や変形がないかをチェックしている。
 嫌になるほどこんにゃくを見なければならないので、スーパーに来た時はこんにゃくがありそうなコーナーには近寄らない。近寄るのは白滝を買わなければいけない時だけと決めている。
 今晩の献立もこんにゃくとは無縁の冷し中華にした。
 シマダヤの冷し中華がちょうど安くなっている。私は醤油味が好きだが、ごまだれ味の方に二十パーセント引きの値引きシールが貼られている。どうせマヨネーズをかけてしまうのだから、どちらでもよい。
 キーキーと後輪が猿みたいに喚く。思い通りに進まないカートを押して隣の冷凍コーナーに移ると、氷が売られていた。切らしているのでもどかしいが、解けてしまうから最後に。と諦め、お菓子コーナーに移動する。いくつもあるクッキーのパッケージを眺めていると、箱にプリントされたステラおばさんが、斜向かいの田端という老婆に見えてきた。
 彼女は今日もまた、当たり前のように押しかけて来るのだろう。田端さんに出すための菓子をと思い、バタークッキーを一つカゴに放った。その足で裏側の陳列棚に回り、申し訳程度に設けられたペット用品の棚をチェックする。
 ここだけ仕入れの管理が甘いのか、よく賞味期限ギリギリの猫の餌が七十パーセント引きで売られている。今日も三つ。一つ買う。これが唯一の無駄遣いである。どこの猫かも知らない野良にやるからだ。
 氷、氷、氷とずっと口ずさんでいないと忘れてしまいそうだ。買い物中、私はたいてい何かを買い忘れる。物をよく失くし、そして慌てる。時計をよむのが苦手で、十五時と十七時を間違えてパートの面接にも遅れた。指定時刻は十五時だったのに、なぜか十七時に会社に出向いていた。終業間際だったからか、ひどく迷惑そうな顔をされたが採用だった。よほど人員が不足していたのだろう。今思えば奇跡みたいだ。
 買うべき物を全てカゴに入れ終えて、レジに並ぶ。主婦歴三年、三十歳になってようやく袋詰めにも慣れてきたが、未だにパズルみたいで少し苦手だ。レジはどんどん機械化していて、私が子供の頃、袋詰めしてくれた店員さんはもう絶滅したと言っていい。機械化が進めば、私のように菓子パンを下敷きに袋詰めする無神経な人間は排除されるのだろう。
 腕にレジ袋をぶら下げると、二本の持ち手に押し出された贅肉が不格好に隆起した。そうしたあとでカート置き場が近いからカートのままでよかったのだと思い出したが、また荷物を載せ直すのも面倒だったので、動きの悪い後輪を蹴って駐車場に向かった。
 どうやら私は車の停車場所を勘違いしたようだ。二つ隣の通路に色褪せたエヌワンが見える。横着をして車の間を縫って移動したら、黄色い車止めに躓いてよろけた。思わずエヌワンの尻に助けを求める。
 上体を手のひらで押し戻して、やっとのことでトランクを開けると車内が蒸し風呂になっていた。こんなことなら自転車で走る方が爽快ではないか。車に嫌気がさし、今年こそは廃車にしてやろうかとバックドアを思い切り閉めた。
 私は以前から家の前が駐車場になっていることで、在、不在が、周囲にバレるのが面倒くさいと思っていた。
 特に配達員なんかは、車があれば中に人がいるだろうと踏む場合がほとんどだ。居留守が非常に使いにくい。だから、どうしても人と対話したくない時は、電気を消した部屋の中で料理を作る、本を読む、昼寝をする。インターホンを押す配達員は心の中で怪しむだろうが、ほどなく諦めてくれる。しかし、その工作さえも乗り越えて来るのが斜向かいの田端さんなのだ。
 彼女は低気圧を具現化したような人で、私の頭が痛くなると高確率で玄関に現れる。
 ピンポーン。ピンポン、ピンポーン。十秒ほど間を置いて、ピンポーン。彼女は私が出るまでしぶとくインターホンを押し続ける。その原因を作ってしまったのは、紛れもなく私なのだが。
 というのも初めて彼女が押しかけて来た日のインターホンの出方がよくなかった。六回も間髪入れずに鳴らされたので、さすがに急用と判断し、居留守をせずに対応してしまった。
 あまりのしつこさに玄関に出ると田端さんは私に、銀色のボウルを突き出してきた。中身を覗いて確認すると、見るからに高そうなシャインマスカットが五房も入っていた。「ご近所同士、仲良くしましょう」とだけ言って、田端さんは帰っていった。
 その一件があって以来、この人はインターホンに出るのがただ遅い人。と認識されてしまったのか、私が出るまでしぶとくインターホンを押してくるようになってしまった。

(作品の全文は「小説トリッパー2023年春号」に掲載されます)

第7回受賞者 朝比奈秋『私の盲端』

『植物少女』

第4回受賞者 小暮夕紀子『タイガー理髪店心中』

第2回受賞者 高山羽根子『オブジェクタム』

『如何様』

『オブジェクタム/如何様』(朝日文庫)


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