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人を殺める道具であるはずの刀に魅いられる心理を細やかに描き分ける/山本兼一著『黄金の太刀』清原康正氏による解説を特別掲載!

 山本兼一さんの『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)が刊行されました。
「黄金の太刀」を巡り、一万両に及ぶ大がかりな刀剣詐欺が起こる。刀一筋の光三郎は、被害にあった旗本・田村庄五郎に泣きつかれ、犯人らしい剣相家・白石瑞祥を追う旅に出た。相州、美濃、山城、大和、備前──日本刀「五か伝」の地を巡る道行の行く末は……。
 7月に刊行された『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)に続く、日本刀時代小説です。今年没後10年の山本兼一さんの本作再刊に合わせて、文芸評論家の清原康正さんがさらに加筆してくださった文庫解説を特別に掲載します。

山本兼一著『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)
山本兼一著『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(朝日文庫)

 山本兼一は日本刀が持つ魅力を物語の中で存分に表現し得る作家である。江戸時代前期の刀鍛冶・虎徹の情熱と創意工夫、波瀾と葛藤のさまをたどった長編『いっしん虎徹』、幕末期に四谷正宗と称賛された名刀工「山浦環正行 源清麿」の鍛刀に魅せられた生涯を描き上げた長編『おれは清麿』、幕末期の京都で道具屋を営む若夫婦の京商人としての心意気を描いた連作シリーズ「とびきり屋見立て帖」の『千両花嫁』などには、日本刀に関する情報が満載されており、熱い鉄を打つ鎚の音、燃え上がる炎、飛び散る火花の強さなど鍛冶場の鍛刀の迫力を実感させてくれる。また、人を殺める道具であるはずの刀に魅いられる心理をこと細やかに描き分けている点も、大きな魅力となっている。

 本書『黄金の太刀』も、こうした日本刀の魅力を引き出す連作集で、「刀剣商ちょうじ屋光三郎」シリーズの第2弾にあたる。

 主人公の光三郎は、将軍家の刀管理を司る御腰物奉行をつとめる七百石の旗本・黒沢家の嫡男に生まれながら、父親・勝義と名刀・正宗の評価をめぐって大喧嘩をして勘当の身となった。嘉永6年(1853)正月8日の夕刻のことであった。光三郎はかねてから出入りしていた芝日蔭町の刀屋「ちょうじ屋」の主人・吉兵衛と刀の話をしているうちに、一人娘のゆき江の婿にしてくれと強引に店にいついてしまう。このときから本名の勝光を捨てて光三郎と名乗り、ゆき江と夫婦となったのだった。

 シリーズ第1弾『狂い咲き正宗』では、幼い頃から刀が持つ摩訶不思議な美しさに憑かれてきた光三郎の、刀の純粋な美しさを愛してやまない心情が、まず描かれていた。全七話それぞれに独立した物語として展開されていくのだが、底流には光三郎の刀への熱い思いが流れている。第1話「狂い咲き正宗」の時代背景は、「つい何日か前、相模の浦賀に、黒船が4隻やって来た」と記されている。ペリー艦隊の来航は嘉永6年6月3日のことである。物語は梅雨明けの時期から始まり、第七話では師走となり、「明日は、もう正月。初春である」という一文で終わっていた。

 そして、シリーズ第2弾の本書は、「嘉永七年(1854)の正月が明けて、松がとれたばかりのこと」という時期から始まっている。嘉永7年は11月27日に改元があり、安政元年となる。3月に日米和親条約が締結されて、下田と箱館(現在の函館)の2港が開港された年である。シリーズ第1弾とは違って、光三郎が江戸から西へ旅をする全7話の連作長編の趣向になっている。

 第1話「黄金の太刀」の冒頭で、光三郎は勘定奉行のせがれ・田村庄五郎から、剣相鑑定術の指南を受けている剣相家・白石瑞祥が毘沙門天に作った鍛冶場で鉄の鍛錬に黄金をまぜて仕上げる黄金鍛えを行うから見に行こうと誘われる。「光三郎と瑞祥は、去年の暮れに一悶着あった」と記されており、シリーズ第1弾の第7話「だいきち虎徹」の展開を受けた物語となっている。

 この後、毘沙門天の境内での瑞祥の黄金鍛えを見学する模様が描かれ、瑞祥の派手なパフォーマンスに対して、光三郎の刀屋商売の地道さ、気配りの積み重ねのありようが対照的にとらえられていく。

 そして、1月の半ば、光三郎は父親からの呼び出しを受ける。瑞祥が造った黄金鍛えの太刀と称する贋物の小烏丸をさる大名が1万両で買い取ったのだが、瑞祥はその1万両とともに逐電してしまったという。瑞祥を捜して捕らえてくれ、と父親が言い、刀の世界の裏の裏まで知り尽くした貴公が助けてくれれば鬼に金棒、と田村も頭を下げた。瑞祥は五か伝の名刀を揃えたいと言っていたという。五か伝とは、刀の生産地として名高い大和、山城、相州、備前、美濃の5ヵ所に伝わる作刀技術のことである。

 第2話「正宗の井戸」から、光三郎と田村、そして刀鍛冶の鍛冶平の3人の瑞祥捜しの旅が始まる。詐欺事件の首謀者追跡と鍛冶場をめぐる道中記の趣が第1弾とは大きく異なるところだ。

 3人はまず鎌倉をめざす。相州鎌倉の名刀の歴史が紹介されている。3人がこの後に立ち寄る地でも、それぞれの作刀の歴史と鍛冶場の模様などが詳述され、全編を通して日本刀の歴史をたどる趣向ともなっている。

 瑞祥は正宗の墓がある本覚寺で盛大な供養を行っていたことが分かったが、宿を突き止めて行ってみると、今朝の明け方に発ったという。扇ヶ谷の正宗屋敷で焼刃に使う井戸水を瑞祥が所望したと聞き、寄ってみたところ、瑞祥の忘れ物だという錦の袋を渡される。中には、2寸ばかりに折れた刀の切先が入っていた。瑞祥がなぜ、この錆びた切先を持ち歩いていたのか。その理由が最終話「江戸の淬ぎ」で解き明かされる。こうした伏線の張り方にも、この作者の物語づくりのうまさが表れている。

 第3話「美濃刀すすどし」では、東海道を西に急ぎ、尾張の熱田の宮から美濃をめざす。途中、鍛冶平が腹を下したために、光三郎と田村が美濃関へ行き、鍛冶頭・兼門宗九郎と出会う。その鍛冶場に瑞祥がいた。田村が斬りかかったが取り押さえられ、2人は兼門屋敷の座敷牢に押し込められてしまう。4日後、瑞祥が兼門家の重宝を持って逐電したことで、やっと解放された。

 第4話「きつね宗近」では、京にたどり着く。この京では、三条宗近の名剣・小狐丸の伝説が紹介され、その子孫だという母娘を登場させている。母親のおこんは、鍛冶平があちこちの鍛冶場を渡り歩いていたころの知り合いだった。瑞祥の消息を掴めないでいると、おこんの家に瑞祥が現れ、卸し鉄を持って行ったという。このときに、瑞祥は親の仇を狙っていると、おこんが気になることを言う。これも最終話に向けての伏線となっている。

 第5話「天国千年」では、3人が奈良へ向かう。天国は、刀鍛冶の祖といわれる刀工で、小烏丸を鍛えたと伝えられている。京の宇治で田村が膵臓を腫らして倒れ、奈良での捜索は光三郎と鍛冶平がやることとなった。

 2人は、春日野の鍛冶親方・松右衛門に案内されて奈良刀の鍛冶場を見て、刀に関わりのあるところを捜すが、何の手がかりも得られなかった。松右衛門親方が瑞祥が東大寺の法華堂に参籠していると知らせてくる。光三郎と鍛冶平が法華堂に駆けつけてみると、瑞祥は一刻ばかり前に出て行ったとのことだった。こうしたすれ違いの面白さがシリーズ第2弾の特色ともなっている。

 第6話「丁子刃繚乱」では、山陽路を備前へと向かう。備前入りしたのは2月も半ばを過ぎていた。備前長船は名高い名工が数多く輩出した町で、鍛冶・祐定の鍛冶場で三人は瑞祥と出会う。詰め寄る田村に、なんの証拠があってそんな罪を着せるのか、と瑞祥はぬけぬけと言い放つ。素直に白状しない瑞祥に、光三郎は備前伝の特色である丁子刃を見事に焼いたほうが勝ちという勝負を申し出る。だが、翌朝、瑞祥に逃げられてしまう。

 そして最終話の第7話「江戸の淬ぎ」で、3人は江戸へ帰って来る。出立のときは寒くて雪がちらついていたが、葉桜の候となっていた。瑞祥を追って、名刀を生んだ土地を駆けずり回ったが、結局、取り逃がしてしまい、何の成果もない旅となった。

 田村の父親は御老中・松平伊賀守忠優の屋敷にお預かりの身となっているものの、松平伊賀守だけの内密事項になっていて幕閣には漏れていないという。

 黄金鍛えの小烏丸の一件は、田村家に恨みを持つ瑞祥が田村家を陥れるために仕組んだことが分かる。瑞祥と田村の父親がからんだ30年以上も昔の出来事で、ここで先に上げた2つの伏線が鮮やかなつながりを見せる。

 ひと月後、鍛冶平がやって来て、瑞祥が三河西尾藩・大給松平家の屋敷で鍛冶仕事にいそしんでいるという。その大給松平家が田村家に鍛冶合わせを申し込んでくる。赤坂の日吉山王社の境内での鍛冶合わせに、瑞祥と清麿が臨む。

 秋になって、光三郎が清麿親方の鍛冶場で焼き入れをする日を迎えた。清麿がかつて鍛えた刀のように、覇気が溢れ、見ているだけで命の力が湧き上がってくるような刀をめざして、この半月、無心で鉄と格闘してきた。きっとよい刀が打てる、との確信があった。焼き入れの後、刀全体を一気に水舟の中に突っ込んで水の淬ぐ音がする場面で、シリーズ第2弾は終わっている。

 光三郎が通う清麿の鍛冶場の描写を通して、清麿の人となりやおとくとの夫婦関係などがユーモラスな筆致でとらえられている。この清麿の生涯を描いた長編『おれは清麿』は、清麿が嘉永7年11月14日に吐血して果てるところで終わる。光三郎らが江戸に帰ってきた年である。清麿に対する光三郎の尊敬の念を確認する上でも参照したい長編である。

 権威にしがみつき、正宗ばかりを名刀としてありがたがる武士をやり込めるなど、光三郎のキャラクターは第2弾でも健在である。光三郎が旅に出たので、ゆき江の登場場面は多くないが、夫婦の息のありようとユーモラスな会話も抜かりなく描き出されている。

 シリーズ第2弾の本書は、2011年9月に第1弾の文庫化と同時に刊行された。同時発売記念の対談(「『顔の見えない正宗』を追って」・山本兼一×末國善己・「IN★POCKET」2011年9月号)の中で、刀に興味を持ったきっかけを問われて、山本兼一はこう答えている。

「『火天の城』を書いたあと、日本人が誇れる技術って他に何だろうと探してみたのです。で、すぐに刀だなと。

 それまで、刀のことはほとんど何も知らなかったんですけれど、ただ、歴史小説を書くからには刀を握ったことがなければいけないと思って、居合だけは少し前から習っていました。

 それから刀鍛冶の取材を始めて河内國平という親方にめぐり合うことができて、奈良の山奥にある鍛刀場でずいぶん取材させていただきました。最後は弟子部屋に3日間泊めていただいて、炭切りもまねごとだけですけどさせていただいて」

「それから日刀保(日本美術刀剣保存協会)という刀の会に入れてもらって、鑑賞会で手に取って見るようになりました。

 刀って、博物館でガラスケース越しに見ているだけでは絶対にわからないんです。手に持って、まずは真っすぐ立てて姿を見る。それから地肌の鉄を見て、さらに光源にかざして刃文を見る。姿、鉄、刃文、この3つを鑑賞会でじっくり見せてもらったのがよかったですね」
 この最後の発言は、あたかも本書の主人公・光三郎が言っているかのような感があり、光三郎が刀を扱うときの所作を彷彿させるものがある。そんな場面では、作者は主人公になりきって描いていることが実感できる。

 本書のラストで、作者は光三郎に「刀は男の生き方だ」とつぶやかせているのだが、先の対談には次のような発言もある。

「生まれてはじめて真剣を握ったとき、あ、そうか。これは哲学そのものなんだなと思ったんですよ。それこそ神にもなるし悪魔にもなる道具、それを自分が決めるわけですよね」
「(刀は武士の魂ではないかという末國氏の言葉には)魂って、それこそシンボルっていう意味もあるんだろうけれども、命の価値と意味を考え、その遣り取りを司る道具、ということでの魂だと僕はしみじみ思います」

 刀に関するこうした作者の真情は、本書の第1話に出てくる光三郎の友人・勝田清右衛門の「よい刀を見ていれば、心が研ぎすまされ、叡知が湧いてくるというもの」というセリフにも表れている。第2話「正宗の井戸」には、「光三郎は、清麿が鍛えた脇差を押しいただいて、鞘を払った」「観ているだけで勇気が湧いてくるほどに覇気があふれている」という記述も見うけられる。こうした描写からも、作者の刀によせる熱い思いがうかがえる。

 長編『いっしん虎徹』に、虎徹が「なぜ、よい刀は手にしただけで、人を惹きつけるのか」と考える場面が出てくる。刀は、斬る前に考えるための道具、死生の哲理をきわめる道具、人の生き死にをつかさどる道具、と虎徹は考えるようになる。光三郎はこの延長線上にいる、とみなしてもいいだろう。

 以上は講談社文庫(2013年9月刊)に書いた解説である。結びの前の一文「作者の刀によせる熱い思い」に触れているのだが、今後もそのような「熱い思い」に接することができるようにとの期待からの記述であった。しかし、講談社文庫の刊行から半年も経たない2014年2月13日に、山本兼一は肺腺癌のため逝去してしまった。享年57の若さであった。本文庫刊行の今年は死後10年にあたる。

 1999年に「弾正の鷹」で小説NON創刊150号記念短編時代小説賞佳作を受賞、2002年に『戦国秘録 白鷹伝』でデビューした。さらに2004年に『火天の城』で松本清張賞を受賞、2009年に『利休にたずねよ』で直木賞を受賞して歴史・時代小説界の有望な書き手の一角をなすに至った。それからの長編作だけを挙げてみても活躍のさまをうかがうことができる。『命もいらず名もいらず』(2010年)、『銀の島』『神変 役小角絵巻』(2011年)、『おれは清麿』『信長死すべし』『まりしてん誾千代姫』(2012年)、『花鳥の夢』(2013年)、『修羅走る関ヶ原』『心中しぐれ吉原』(2014年)と続き、没後翌年の2月には鉄砲鍛冶の国友一貫斎がさまざまな物作りに挑戦する『夢をまことに』が刊行された。どの作品をとっても作者の創作の広がりを感じさせるだけにその早世がいまさらながらに惜しまれてならない。