「未来は予測はできないが仕掛けることはできる」/スティーブン・ジョンソン著、大田直子訳『世界をつくった6つの革命の物語』安宅和人さんによる解説を特別公開!
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』、ルイス・ダートネルの『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』など、様々な分野を横断して、俯瞰しつつ、世界を書き下ろすという日本にはないジャンルの本が欧米には存在するが、この本はその一冊だ。
この本を手に取られた人はすぐに『世界をつくった6つの革命の物語』というからてっきりフランス革命みたいな話が出てくるのかと思ったら、全くそうではないことに気づくだろう。もともとのお題は“How We Got to Now-Six Innovations That Made the Modern World”(我々はいかにして今に至ったか――現代の世界を作り上げた6つのイノベーション)。
かといって単に大きなイノベーションについて書いてある本でもない。この本の6つの章「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」を見れば分かる通り、一つ一つのお題はイノベーションというよりテーマであり、一連の物語だ。
「ガラス」は人間との出合いと作る技術の創出から始まる。「冷たさ」と「清潔」の章は、これまでとは逆に向いた価値の発見から始まる。「音」、これは誰もが知っているが、その本質を理解するところから始まる。そこから生まれる電話、暗号は現代そのものの始まりの物語と言える。「時間」は時を計る発見から始まる。最後の「光」の章は、光を安定的に得る話から始まる。
聖書の創世記的には、光はこの世界の始まりであるが、最後の章だというのが意味深だ。(ちなみに宇宙論的には「最初に光があった」と言うよりも、「最初に極端なエネルギーと物質の状態があり、その後光が自由に移動できるようになった」と表現する方が正確。)そしてこれは最初の「ガラス」とセットでもあり、輪廻的な構造をとった本だとも言える。
「ガラス」の章は圧巻だ。地球上で最もふんだんにある材料の一つからガラスが生み出されるが、それが自在に使えるようになってからの人間社会の進化はたしかに驚異的であり、これナシには僕らの文明がもはや存在し得ないことがしみじみとわかる。瓶、窓、レンズ、眼鏡、顕微鏡、鏡、遠近法、グラスファイバー、カメラ、真空管、ブラウン管TV、光ファイバー、モニター、スマホ、これらのすべての背後にガラスがある。
各章で議論するそれぞれの対象があまりにも僕らの生活に馴染んでおり、僕のようなもともと科学の徒の場合、ある程度以上にそれぞれの話をわかっているはずなのに、その切り口のみごとさと、対比による意味合いの抽出、その前後のあまり知られていないリアルストーリーの折り重ねがまばゆく、楽しみながらあっという間に読み終えた。
訳も見事だ。総じて軽やかだが、疲れない、明瞭な文体だ。しかも詩的でもある。そしてそこいらに心に残る言葉が出てくる。
「ボイルが推測したとおり鳥は死んだが、おかしなことにさらに鳥は凍りついた」
「私たちがいま目にしている人口移動は、おそらく人類史上最大規模であり、初めて家庭電化製品によって引き起こされたものだ」
「放射性崩壊の『「等しい時間』は先史時代の時間を歴史に変えたのだ」
などなど。
一部、科学的に見慣れぬ言葉が出てきたり、原文を見たくなる部分もあるが、「創造物」はおそらくcreature(あらゆる生物がこれ)の翻訳なんだろうなと思ったりしてニヤリとする。
もう一つ触れておきたいのが、この本を読んで思う「イノベーション」という言葉の意味だ。シュンペーターの言葉を引いて「新結合」こそがイノベーションの本質だという話が昨今よく出てくるが、本当にそうなのか、それで説明できるのか、と思える事象が実に多い。
まず、最初に起きる発見、技術的なブレイクスルー、たとえばガリレオが吊り下がった祭壇ランプをみて揺れる時間を考えた時など、「新しい財貨( 革新的な製品やサービス) の生産」の前段階であり、むしろ深い「気づき」というべきものだ。そこからさまざまな想定もされない用途が生まれていく。蓄音機を発明したエジソンと、電話を発明したベルが相互に真逆の用途を想定していたという今となればほほえましい話も出てくる。
さらに、鏡を見て自意識が育って現代につながる社会が生まれる、音を遠隔地に同時に届けるラジオが生まれてアフリカ系アメリカ人の文化が一気に広まる、という本書でいうところの「ハチドリ効果」の数々はイノベーションという言葉を遥かに超えた話だ。新しい技術がどのような形に育つのか、どのような影響をもたらすのか、世に出した瞬間にわかるわけがないこともよく分かる。バックキャスティングで未来が生み出せるかのような議論が最近多く、少々辟易としていたが、ある種、溜飲が下がった。国のイノベーション議論をしている方々にもきっと参考になるところが多いだろう。
終章では、ロマン派詩人バイロン卿の娘エイダ・ラヴレースと、プログラム可能な計算機の生みの親であるチャールズ・バベッジの意外な関係とそのいきさつが出てくる。といっても色恋沙汰ではない。時代の数十年、百年先を行く考えができる「タイムトラベラー」としてだ。そこに出てくる次の言葉は僕らの社会の人づくりにおいても大切な視点だろう。
「タイムトラベラーに共通する要素があるとしたら、それは、彼らが表向きの専門分野の余白、あるいはまったく異なる領域の交点で、仕事をしていたことである」
世の中には思いもよらぬつながりと広がりがあり、未来は予測はできないが仕掛けることはできる、だからこそ僕らはこの社会で生きている意味がある。この本は、そんなことを教えてくれる一冊だ。科学が好きな人にも、歴史が好きな人にも、そして未来を考えたい人にも、オススメだ。