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現場では「いまさら草刈正雄ねえ…」どん底でもたった一つ残されていた選択肢が僕を救った

 昨年、芸能生活50周年を迎え、話題のドラマ「おじさまと猫」(テレビ東京系、水曜深夜0時58分)にも主演中の、俳優・草刈正雄さん著書『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)。長い俳優人生で経験した、絶頂期と不遇の時代を余すところなく語った草刈さんが明かしてくれた、芸能界で生き続けるために必要なたった一つの大切なこととは? 本書より一部を抜粋・再構成してお届けする。(草刈正雄さん写真:篠田英美撮影、幼少期の草刈さんは本書より)

■自分に残されていた、諦めるかどうかの選択

 役者業は、いわば「人間を表現する仕事」です。

「人間を表現する」ためには、その人の過去や現在を想像し、体で感じるしかない。想像するのも自分、感じるのも自分。ですから、実体験がこれほど役立つ仕事もめったにないかもしれません。泣く演技のときに、自分の悲しい記憶がシンクロして涙が溢れ出ることもあるように、いいことばかりでなく、悲惨な経験さえも仕事におおいに役に立つのですから。

 体験したからこそわかる、盛りと驕り、不遇と感謝。コインの裏表のように、表裏一体でした。もしも20代の自分自身に会えたら「よかったねえキミ、ほんとうに」と言うしかないでしょう。何も知らない男の子がひょこーっとプロの世界に紛れ込んで、いろんな人が「やってごらん」と手を差し伸べてくれて大役をやらせてもらえていたのですから。その後、ドーンと落ち込み、他人から求められなくなる経験をし、寂しくて仕方なくて荒れたことも一度や二度じゃない。大事な人に迷惑をかけてしまったことも、一度や二度じゃない。

草刈正雄さんphoto3(撮影:篠田英美)

 36歳で結婚しましたが、ちょうどその頃、映画やテレビの仕事はポツポツとしたものでした。重要なシーンになればなるほど、カメラはスーッと僕の横を通り過ぎて主演俳優に近づいていく。以前は自分にズームアップしていたカメラでした。どんな役でもありがたいのでそんなことを言ってはバチが当たるとわかってはいるのですが、正直、寂しかった。

「いまさら草刈ねえ……」

 そんな現場の声を聞いたこともありました。それでも「なぜ、諦めなかったのか?」と問われれば、

「自分には、芝居しかない」

 それだけがはっきりしていたことは、本書で繰り返してきた通りです。

 だから、どんなにうまくいかなくても、しがみつくしかなかった。すべてに負けていたとしても、諦めるかどうかの選択だけはまだ自分の掌に残されていました。なんだ、まだピッチャーマウンドに立ってるじゃないか! どうする? もちろん答えは決まっています。日が落ちても、ゲーム続行です。

■いいことも悪いことも受け入れて手放す。すると、直感が降りてくる

 そのうち、こう思えるようになりました。芸能の世界ですから、浮き沈みの波は激しい。悪いこともあればいいこともある。人生はその繰り返しだと。毎日の生活がちっとも自分の思い通りにならなくてもがいた日々も、振り返れば、すべて演技の肥やしになっていたと。

 しかも、自分には利点がありました。それは、仕事場で、一流の役者さんたちの演技に接しているという点です。

幼少期 草刈正雄氏 3

 共演させてもらう名優の方々には、共通点があります。観察力と、再現力と、包容力です。人間の悲喜劇をつぶさに観察して再現でき、しかも相手を包容する能力の高さです。それも、自分という枠を超えて、思いきりよくやり切ることができる人の演技には目も耳も、いや、心までもが奪われます。芝居だとわかっていても芝居とは思えない。つくり話だとわかっていても本当のように思えてしまう。そんなキャッチボールにこそ、「人間を表現する」真骨頂があるのだと思いますが、その流れのなかに自分は居られたのです。流れ、というのはそこでしか感じられないものです。台詞があろうがなかろうが、流れ続けるものがある。役者一人ひとりが自分を捧げて生みだす流れです。そのなかに居られること。これを感謝と言わずして何とする。それなら、僕にできることを探さなけりゃしょうがない。

 悩みました。悩みの時代は、ずいぶん長かったように思います。結果、僕なりにつかんだ答えは、直感。つまりそれ以外を、

「手放すしかない」

 これでした。いいことも、悪いことも、ぜんぶ受け入れて、そして手放す。

 ボーッとする。すると、直感が舞い降りてくる。それを信じて、そこで何が起こるか、自分で自分を見届けよう。深く考えるのが不得手な僕にはこれしかない。

 あんなに覚えた台詞すら同じです。どんなに自分の細胞と密着した台詞でも、演じたそのときに音もなく成仏していく。スーッと体から抜けていく。おかしな言い方になりますが、よく抜けきったときほど、後味のいい演技になりました。撮ったら手放す、撮ったら手放す、そのリズムで前進できる。そのためには、過去の怒りや大失敗、懺悔や消えない後悔の念も生きながら手放すしかない。そう気づいたのは、ここ数年のことです。

草刈正雄(くさかり・まさお)
1952年福岡県生まれ。69年デビュー。70年に資生堂のCMに起用され人気を博す。以後、俳優としても活動開始。74年に映画『卑弥呼』で映画デビュー。以来、『復活の日』『汚れた英雄』など数々の話題作に主演するほか、テレビドラマ、舞台でも幅広く活躍。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』や19年の連続テレビ小説『なつぞら』などでもさらに話題を集める。09年から教養バラエティ番組『美の壺』(NHK BSプレミアム)の2代目ナビゲーターを務め好評を博している。近刊に、『ありがとう!──僕の役者人生を語ろう』(世界文化社)。