見出し画像

スタンフォードで学んだ新たな「トラブル解決方法」 オンライン紛争解決(ODR)をデジタル社会のインフラに

 なぜ、スタンフォードは常にイノベーションを生み出すことができ、それが起業や社会変革につながっているのでしょうか? 書籍『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』では、スタンフォード大学で学び、現在さまざまな最前線で活躍する21人が未来を語っています。本書より一部抜粋・再編して、立教大学法学部国際ビジネス法学科特任准教授の渡邊真由によるスタンフォードでの学びと、紛争解決の新しい手段、ODR(Online Dispute Resolution)についての解説を紹介します。(タイトル画像:vectorikart / iStock / Getty Images Plus) 

『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)

 ODRは紛争解決のイノベーションになる――スタンフォードロースクールで在外研究をしていた筆者は、デジタル化によって司法制度が大きく変わるであろうこと、そして、パソコンやスマートフォンといった端末でトラブル解決ができる未来が訪れることを強く感じていた。2014年のことである。

 ODRとはOnline Dispute Resolution(オンライン紛争解決)のこと。紛争解決手続といえば、裁判に代表されるように、対面で行うのが基本である。それを文字通り、ICT・AI技術を使って、オンラインでそのプロセスを行おうとするのがODRだ。具体的には、法的トラブルに直面した当事者に必要な情報を提供すること、申し立てをすること、相手方と交渉すること、中立的な第三者(調停人等)を交えて話し合いをすること――これらのプロセスを専用のデジタルプラットフォームで行う。

 この研究をはじめたのは在外研究中のことなのだが、はじめてODRについて知ったとき、強い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。すぐれたデザインのODRが社会実装されれば、社会にさまざまにある法的トラブルのソリューションとなり、今まで泣き寝入りを強いられてきたような個人でも、技術の力で問題解決ができるようになる、そう感じたからだ。

 国際的にも、SDGsのゴール16「平和と公正」に掲げられた目標と関連して、技術を活用して正義へのアクセス(access to justice)をひらこうという気運が高まっており、その実現に向けた取り組みがさまざまに展開されている。

■トラブル解決のデジタル化がなぜ必要か

 私たちの日常生活は便利なオンラインサービスであふれている。Amazonで商品を購入すれば次の日には手元に届く。旅行の手配も専用サイトを使えば自分でできる。だれかを応援したいと思えばネットで支援もできるし、マッチングアプリを使えばパートナー探しもできる。コロナ禍もあって、インターネットでできるサービスは格段に増えた。今では財布よりも、スマートフォンをなくすほうが困るという人も多いのではないだろうか。

 他方で、裁判やADR(裁判外紛争解決手続)といった分野は、驚くほどアナログな世界である。それに、なにかトラブルに直面したとしても、個人が自分で法的紛争を解決するのは難しい。申し立て書類を準備するだけでも手間がかかるし、解決するには時間やお金もかかる。

 そうすると、当事者はどうするのか。解決方法がわからずに「あきらめる」ことになる。たとえば、離婚紛争。将来的なトラブル予防のために、裁判所を通して離婚手続をしたいと考えても、平日の日中に裁判所に出向く時間が取れない、弁護士費用を捻出するのが難しいなどとなれば、たとえ「協議」ができていなくても、やむを得ず協議離婚を選択することになる(事後的にトラブルが起きないことを願いつつ役所に離婚届を出す。もしくは、そもそも離婚調停といった制度があることを知らない人もいるかもしれない)。

 他には、電子商取引紛争。インターネットで購入した商品が破損していたのに、返金も代替品の手配もしてもらえないといったこともあるだろう。日本の事業者でも、個人が企業を相手に交渉をするのは難しい。それが海外の事業者ともなれば、英語でのやり取りが必要になるかもしれず、クレームをいうだけでも一苦労である(海外事業者が日本語の通販サイトを作っていることもあり、トラブルに遭うまで気づかないということも現実問題としてありうる)。

 こういったトラブルに直面したとき、一般的には、なんとか解決できないものかと、まずは自分でできるアクションを取る。たとえば、インターネットで検索したり、家族や友人に聞いてみたり(なお、弁護士等専門家に相談する人の割合は少ない)。ところが、多くの場合、スムーズに解決までたどり着くことができない。結局、問題解決に至るまでの遠い道のりに直面し、「泣き寝入り」が合理的な選択肢だと気づくことになる。【図1】は「法的紛争の一般的解決フロー」を示したものだが、紛争が発生してから裁判を利用するまでの間にも、多くの段階があることがわかると思う。

【図1】法定紛争の一般的解決フローの一例
令和2年3月16日にODR 活性化検討会によりまとめられた「ODR 活性化に向けた取りまとめ」より

 インターネットの普及で私たちの生活は間違いなく便利になった。しかし、一度トラブルが起きると、その解決は容易ではないのだ。『ハーバード流交渉術』(三笠書房・2011年)の著者として知られるフィッシャー教授とユーリ教授は、1980年代に「紛争は成長産業である」と述べていたが、その言葉のとおりに、紛争の数は増えつづけている。

 たとえば、国民生活センターには毎年100万件近くの相談や苦情が寄せられる。他にも全国各地に行政の各種相談窓口があり、民間企業もカスタマーセンター等で苦情等の受付をしていることを考えると、社会全体におけるトラブルの数は相当数に上るはずである。

 デジタル社会は商品やサービスの利用を容易にしたが、その陰で多数のトラブルが発生している。まさにデジタル化による負の副産物である。他方で、2022年現在、一般人にとって使いやすくトラブル解決を容易にする、オンライン紛争解決の仕組みは、まだ日本社会で広まっていない。

■スタンフォードでの研究のきっかけ

 紛争解決に新たな選択肢をもたらすODRは、この分野のイノベーションになる。そう考え、筆者はこれまで法とテクノロジーの融合領域に関する研究をしてきた。そして、そのきっかけとなったのがスタンフォードロースクールのADRセンターでの在外研究である。

 このスタンフォードへの留学の道を開いてくれたのが東京工業大学の博士課程学生向けリーディングプログラム、グローバルリーダー教育院だ。海外研修として、d.school主催のデザイン思考ワークショップに参加する機会を得たのだが、せっかく行くのならと、ADRセンター長のジャネット・マルティネス先生に面談を申し込んだのがはじまりである。

 もともとは個人的な経験から民事紛争解決の仕組みに興味をもち、一橋大学大学院で日米のADR制度について研究をしていたのだが、その際にマルティネス先生のDispute System Design(紛争システムデザイン)に関する論文を拝読して感銘を受け、ぜひ直接お会いしてディスカッションをしたいと考えたのだ。先生は、一学生の突然の依頼にも快く応じてくださり、ありがたいことに現地でお会いする機会を得ることができた。そして、研究をはじめた動機や問題意識、今後の展望をお話ししたところ、幸運にもスタンフォードで研究するチャンスをいただけたのである。

■日本での社会実装が研究テーマの中心に

 研究をしながら、強く感じたことがある。それは、ODRをサービスという形にまで落とし込み、広く一般に普及させるには、社会実装に関する研究を行い、その情報を発信することが必要だということである。

 筆者がこのような考えをもつにいたったのも、まさにスタンフォードのカルチャーの影響が大きい。ODRは、紛争解決手続にICT技術を活用するところからスタートし、近年ではAI(人工知能)技術の利用も模索されている。そうすると、必然的に学際的な研究が必要になるのだが、そのような研究体制はスタンフォードではよくみられている。日本にありがちな縦割りの組織運営ではなく、研究目的を達成するために、学内外の研究者が分野を超えた連携をして、有機的なつながりを生み出しているのである。

 たとえば、筆者が研究に使っていたブースは、ロースクールが入る建物の3階にあったのだが、同じフロアに各種研究センターが集められている。カフェスペースを中心に別々のセンターが配置されているので、ちょっとした休憩時間等に研究者同士が会話をしやすい環境だ。

 学際的な研究センターも多く、筆者の研究に関連するところでは、リーガルテックに関する研究及び社会実装を行うCodeXや法分野にデザイン思考を融合させたプロジェクトを手がけるリーガルデザインラボがある。他にも従来の学術領域を超えた研究が多数行われているのを知り、このような環境がイノベーティブな研究を可能にし、それが社会にとってインパクトあるものとして還元されていくのだと強く感じたのである。また、スタンフォードらしく、「ユーザー中心」や「デザイン」といった概念が浸透しており、研究を行う社会的意義が明確に掲げられているのも新鮮な発見だった。

 こうして「ユーザー中心」の法的サービスとはなにか、技術を生かして「正義へのアクセスをひらく」とはどのように実現できるのか、ということが大きな関心となった。そして、「ODRが新たな紛争解決の方法として社会に受容される」ためにはどう考えればよいのかということへ、研究テーマがシフトしていったのである。

■ODRのプロセスと技術

 研究をしていると、ODRとはなにか、どのような技術を使うのかといった質問をされることが多くある。【図2】はODRの進行フェーズをイメージしたもので、縦軸(1〜4)に紛争解決のプロセスが示されている。先ほどの【図1】とも併せて、自分でなんらかのトラブル解決をしようとしたときに取るであろうアクションを想像すると理解しやすいかもしれない。

【図2】ODRの進行フェーズのイメージ
令和2年3月16日にODR 活性化検討会によりまとめられた「ODR 活性化に向けた取りまとめ」より

 これまで、これらの紛争解決プロセスは、主に対面(一部電話等)で行われてきた。裁判であれば裁判官、ADRの場合は仲裁人や調停人が手続きを進める。他方で、これらの手続きを利用するには、経済的、心理的、時間的障壁等があり、使い勝手のよい仕組みとはいえないのが実情だった。そこで、技術を活用して、法的サービスへのアクセスの改善や利便性の向上を実現しようとするのがODRである。

 たとえば、申し立て書類をネット上で、自動作成ツールなども使いながら自分で作ることができたり、それをオンラインで登録できたりすれば、利便性は格段にあがる。法的情報を得ようにも、ネット上の情報は玉石混淆だ。しかし、専用サイトであれば適切な情報収集が可能になる。

 相手方との交渉も、対面では交渉力の差や心理的負担で思うように話せないということがあるかもしれない。この点、ODRでは交渉時にチャットを使うことが多いが、自分のタイミングで返事ができるので、考える時間を確保できる。記録を残すこともできるため、事後的な紛争を予防することもできるだろう。海外では、交渉の自動化に関する技術開発も進んでいる。たとえば、当事者が合意可能だと考える金額をAIにレコメンドしてもらえるツールが実用化されているので、相手と腹の探り合いをする必要もなく、早期に和解にたどり着くことができる。

 第三者を交えた手続きをする際には、調停人が当事者間交渉のチャットに加わり、話し合いを促進することもあれば、ビデオ会議等を使うこともある。法的問題はともかく、技術的には、裁判官や調停人が行っているプロセスの一部または全部の自動化を支援するようなツール等も、そう遠くない未来に利用ができるようになるだろう。

 使われる技術にも段階があり、【図2】の横軸は、技術のレベルに合わせて三つに分類したものである。単に既存のITツールを使うだけでなく(導入フェーズ)、ODRプラットフォームを構築して1から4までのプロセスをシームレスにつなげようとする段階(発展フェーズ)、さらには、AI等の技術を活用してプロセスの自動化を図ろうとする段階(進化フェーズ)が示されている。

 将来的には、プロセス全体で、AI等の先端技術を使うことができるようになるだろうが、利用可能な技術や自動化の程度については、その他関連法規との調整もあり、政策的な議論が必要なところである。他方で、海外に目を転じると、特定の紛争類型においては自動化することを前提に、政策的な議論や技術開発を進めている国もみられており、日本国内における政策的議論よりも速いスピードで、関連技術の開発や社会実装が進展していくものと思われる。

 紛争解決手続をデジタル化しようという動きは、特にコロナ禍を契機として急速に進んでいる。世界中で裁判所や各種行政窓口が一時的にでも閉鎖されることになったが、公的サービスへのアクセスを閉ざしてはならないと、技術活用をする方向へ大きく転換したからだ。ODRを社会実装する意義からいうと、めざすべきは、発展フェーズ以降の段階であり、筆者の研究も、主にこの第2段階と第3段階を対象としている。ODRプラットフォームの具体的な中身は、運営主体が達成したいと考えるゴールによるので、そのデザインのあり方について、研究をすることも重要だと考えている。

■日本での議論の進展、国内外での活動

 海外から遅れはあるものの、日本でもODRの社会実装に向けた議論が進展している。日本ではじめてODRをテーマとした国際シンポジウムが開催されたのは2018年のこと。前任の一橋大学で「AI・ビッグデータ時代の紛争ガバナンス―Online Dispute Resolution―」というイベントを企画し、スタンフォードの恩師であるジャネット・マルティネス先生とODRにおける世界的パイオニアである、コリン・ルール氏に来日していただき、京都大学法学研究科特任教授の羽深宏樹さんにもご登壇いただいてパネルディスカッションを行った。

 このイベントも一つの契機となり、その後、2019年に政府の成長戦略にはじめて「ODR」という言葉が入り、内閣官房に「ODR活性化検討会」が設置された。2020年には法務省が「ODR推進検討会」を発足し、そこでの議論を経て、2022年3月に「ODRの推進に関する基本方針~ODRを国民に身近なものとするためのアクション・プラン~」が公表された。この基本方針では、短期目標としてODRの認知度の向上及び推進基盤の整備、中期目標として、世界最高品質のODRの社会実装、そして、スマホ等の身近なデバイスが1台あれば、いつでもどこでもだれでも紛争解決のための効果的な支援を受けることができる社会の実現を掲げている。筆者もこの検討会の委員として議論に参加してきたが、ようやく日本でも、ODRの社会実装に向けて動きはじめたことを感じている。

 今後は、政策的な議論から具体的な社会実装のフェーズに入っていくことになるだろうが、それにはユーザーを中心としたODRの「デザイン」が重要となる。これもスタンフォードでの研究がなければ、気づくことができなかった視点だ。

 研究以外にもODRの普及に向けた活動を行ってきた。2020年には、日本ODR協会を設立し、各種講演を行ったり、関連イベントの企画や研修を実施したりしている。国際的なところでは、APECにおけるODRの議論やISO規格に関する議論に委員として参画したり、マサチューセッツ大学附設のODRに関する研究センター(NCTDR)のフェローやODRの国際コンソーシアム(ICODR)のボードメンバーに就任したりするなど、さまざまな活動に参加している。これもすべて、ODRの社会実装を実現するための取り組みだ。

■紛争解決のこれから──ODRをデジタル社会のインフラに

 研究者としてもまだまだ駆け出しで、学外での活動についても、やりたいことのほんの一部しかできていない現実に、もどかしさを感じることもある。それでも、焦らずに研究を積み重ねて、その成果を社会に還元するというのが今の目標だ。

渡邊真由さん
渡邊真由/立教大学法学部国際ビジネス法学科特任准教授。交渉、メディエーション、ODR等、民事紛争解決に関する授業を担当。法務省ODR推進検討会・ODR推進会議委員、一般財団法人日本ODR協会理事、一般財団法人日本ADR協会調査企画委員会委員、Weinstein International Foundationシニアフェロー 、マサチューセッツ大学NCTDR(National Center for Technology and Dispute Resolution)フェロー。ICODR(International Council for Online Dispute Resolution)理事等、国内外での活動を行う。一橋大学大学院国際企業戦略研究科経営法務専攻博士課程修了(博士・経営法)。東京工業大学グローバルリーダー教育院修了。スタンフォード大学ロースクールADRセンター(Gould Negotiation and Mediation Program)元客員研究員。

 近年でこそ、裁判手続のIT化等を含む司法のデジタル化の議論が進展しているが、研究をはじめた当時、紛争解決手続をIT化するというアイデアを話しても、なかなか受け入れてもらえなかった記憶がよみがえる。これまでの道のりを振り返ると、決して平坦なものではなかったし、これからも、たくさんの山を乗り越えていかなければならないのだろうと感じている。

 先端的研究や新たな仕組みの社会実装に向けた活動をしていると、思うように進められずに苦しい思いをすることも当然あるのだが、そんなときに、一歩でも先に、前にと、あきらめずに進むことの大切さを思い出させてくれるのがスタンフォードでの学びだ。そういう意味でも、研究者としての私の原点は、間違いなくスタンフォードにある。

 諸外国では急速に社会実装が進んでいるものの、カルチャーの違いもあり、日本社会でODRが広まるには、もう少し時間がかかるかもしれない。それでも、これからも変わらずに、利用者を中心とした法的サービスのあり方に関する研究を積み重ねていくのだろうと思っている。トラブルで困る人を少しでも減らすためにも、ODRをデジタル社会に必須の仕組みとして、広く受け入れてもらえるように、働きかけていきたいという思いがあるからだ。

 それにODRがカスタマーサービス機能をもつ企業や各種相談センター等で導入されれば、オペレーション効率が高まりコスト削減ができるだけでなく、利用者の満足度を向上させることもできるだろう。実際に、アメリカで行われた研究によると顧客に特別な体験を提供して喜ばせることよりも、顧客が抱える問題の解決にかかる作業負担を減らすことがロイヤリティを高めるということが明らかになっている。ODRも同様に、デザインの工夫をすれば、事業者や紛争解決サービスの運営主体と個人、その双方にとって、メリットのある仕組みにすることができるものと考えている。

 ODRには、紛争解決手続をオンライン化するということ以上に、大きな可能性があると感じている。制度設計をする側のビジョンやアイデア次第で、イノベーティブなサービスを創造することができるからだ。ODRがリーガルテックの一領域として今後発展していくこと、そして、社会システムとして必要な仕組みだと認識してもらえる時代が来ることを信じつつ、研究の成果がODRの社会実装へとつながるよう、また、技術を活かして法的サービスへのアクセスをひらくというビジョンが形になるよう、少しずつでも前に進んでいきたいと思う。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!