車に轢かれ瀕死の母ねこが娘ねこの鳴き声に反応…ねこが声を聞き分けているこれだけの証拠
■ねこは、ねこや人の声の聞き分けができるのか?
ねこは、家のなかで一緒にすんでいる他のねこの声を、あるいは、ノラねこであれば、同じエリアに棲んでいるノラねこの声を、聞き分けることができるのでしょうか?
ねこは、日常の生活のなかでは、いぬほど吠えたり鳴いたりしません。どちらかといえば、もの静かな動物のイメージがあります。しかし、ねこも季節によっては非常に激しく鳴くこともあります。それを聞くことのできるのが、1月から3月頃の発情期です。寒い冬の夜空に響きわたる「アーオー、アーオー」という人間の赤ちゃんの泣き声にも似た、甲高い激しい声を聞かれたことはないでしょうか? これは、オスのノラねこがメスを探して鳴く発情声です。どこか物悲しくも、切羽詰まったようなこの声は、静かな夜であれば、100メートル以上離れたところからも、聞き取ることができます。
飼いねこであっても、去勢されていない大人のオスねこであれば、その時期になると、同様の発情声を出して激しく鳴きます。一方、メスねこもオスほどではありませんが、交尾と妊娠が可能な自分の発情時に、交尾を迫るオスがまわりにいなければ、オスと同じように発情声を出して、異性を呼び寄せようとします。
■個体によって異なる、ねこの鳴き声
わたしは福岡県の相島で、ノラねこたちのこのような繁殖行動をおよそ7年間も観察していましたが、ノラねこの発情声は、人間であるわたしの耳にも、個体ごとにかなり違いがあるように聴こえました。ハスキーボイスのオスもいれば、荒々しくドスの利いたような声のオスもいました。また、大きな身体に似合わず、非常に高い声で鳴くボスねこもいました。ノラねこたちも、発情声を聴けば、どのオスが鳴いているのかが、だいたいわかっているようでした。
発情したメスのまわりをぐるりと取り囲んで求愛しているオスたちは、遠くから発情声が聴こえると、顔を起こして声の方向に耳を向け、強いオスの声が近づいてくると、若いオスなどは相手の姿も確認せずに、その場から一目散に逃げ去ることもありました。まだ力のない若いオスのノラねこたちは、強いオスに見つかってメスの近くから蹴散らされる前に、事前にどのオスの鳴き声かを聞き分けて、そこに残るのか、それとも逃げ出すのか、判断しているようでした。
また、春になって生まれた子ねこたちも、少なくとも自分の母親の声は、聞き分けているようです。まだ乳飲み児の子ねこたちは、母親がエサを探しに出かけるなどで留守の時には、敵に見つからないようにするため、鳴くことはありません。しかし、母親が戻ってきて、子ねこに優しく呼びかけると、倉庫のなかから複数の子ねこの鳴き声が聴こえてきました。わたしたちが外から、いくら母ねこの鳴き声をまねてみても、他のねこたちが鳴いていても、子ねこは全く反応しませんでした。
母ねこも当然、自分の子供の声は聞き分けているようです。もう、20年も前になりますが、神社の境内で、まだヘソの尾のついたままの、目も開いていない、生まれたばかりの子ねこを拾ったことがあります。オレンジのキジ猫でしたので「トラ」ちゃんと名付けました。
その頃、わたしは大学院生で、住んでいたアパートではねこを飼うことができず、少し大きくなるまで、トラちゃんを大学の研究室で飼っていました。だんだん大きくなって激しく飛び跳ねるようになってくると、さすがに大学の研究室では飼えず(いま思うと、なんともおおらかな時代でした)、知人のお宅でしばらく預かってもらっていました。
トラちゃんが大人になった頃、その方が引っ越しをするというので、またわたしが引き取って、今度は大学の野外実験場で飼っていました。そして、苦労の末、ようやく引き取ってくれる方が見つかり、トラちゃんはめでたくもらわれていきました。
しかし実はそのトラちゃんは妊娠していて、しばらくすると6匹もの子ねこを産みました。引きとってもらう時には妊娠の初期の段階でしたので、お腹も膨れておらず、わたしは全く気づかなかったのです。わたしはその方から散々怒られて、「わたしは絶対にあなたをねこ博士と認めない」とまでいわれてしまいました。それでもその方は、6匹の子ねこのうちの4匹の里親を探してくれて、さらには、もらい手のなかった残りの2匹の子ねこ(どちらもメスで、名前は「ツル」と「カメ」)を自ら引き取ってくれました。結局、母ねこと娘2匹の、合計3匹のねこを、その方がもらってくれたことになります。
■瀕死の状態でも娘ねこの鳴き声に反応した母ねこ
前置きが大変長くなってしまいましたが、すごい話はここからです。そのねこたちが、もらわれていってから、2、3年たった頃です。トラちゃんが外に出たまま帰ってこないとの連絡を、その方から受けました。お宅のまわりを捜索していると、道路のアスファルトに、トラちゃんの毛と思われる茶色の毛が張りついていました。おそらく、車に轢かれた時のものです。わたしたちは、もう死んだものと思い、トラちゃんの死体を探して回り、役所の担当部署にも死体の記録がないかどうか、問いあわせたりもしました。しかし、死体はどこにも見つかりませんでした。
10日近くたったある日、その方はふと思いついて、事故のあったと思われる付近を、娘ねこである「ツル」と「カメ」の2匹をかごに入れて連れていき、一緒に探したそうです。すると、その娘ねこの鳴き声を聞いて、近くの家屋の軒下に隠れていたトラちゃんが、前足で這って出てきたそうです。
道路を横断中に、車に腰を轢かれて、そのまま這って近くの家の軒下まで逃げて、そこで隠れていたようです。助け出されたトラちゃんは、骨盤を骨折していましたが、動物病院の獣医師の適切な処置によって、ほぼ完治し、12歳まで生きました。それにしても、大けがを負いながら、しかも飲まず食わずで10日間もよく生き延びていたものです。ねこの生命力のすごさにびっくりするのと同時に、娘ねこの鳴き声に反応して這い出てきたことも、すごい話だと思います。
このエピソードから、少なくともねこが、一緒にすんでいる自分の子供の鳴き声を聞き分けることができることがわかります。飼っているねこが外に出たまま戻らなくなれば、これと同じような状況である可能性も考えられます。その時には、一緒に住んでいるねこを連れ出して、探してみるのもいいかもしれません。また、次に述べますが、飼い主の声も聞き分けているようですので、ねこの名前を呼びながら、近所を探してみるのもいいかもしれません。
では、ねこが人間の声を聞き分けられるかどうかですが、飼いねこは、飼い主とそうでない他人の声を聞き分けているようです。2013年に発表された、東京大学の齋藤慈子博士(現・上智大学准教授)と篠塚一貴博士(現・理化学研究所研究員)らの研究は、次のようなものでした。
飼いねこ20匹を対象にして、飼い主と他人がそのねこの名前を呼ぶ声を録音したものを、次々とねこに聞かせる実験を実施しました。その結果、飼い主の声に対しては、他人の声と比べて、耳や頭を動かすなどの反応の度合いが大きかったそうです。ねこが飼い主の声を聞き分けている、これは、ねこを飼っている人なら、なんとなくわかっていたことではありますが、あらゆる可能性を考えてデザインされた実験によって、きちんと証明できたことの意義はとても大きいと思います。