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差別は「感染症」が生み出す…黒死病から新型コロナまで“魔女”が生まれる理由

 コロナ禍では多くの差別が世界中起きた。「感染症の流行と差別の連鎖」という現象は過去にもあった。ヨーロッパの魔女狩りである。ただし感染症流行の原因として魔女が迫害されたわけではない。事情は複雑であり、長い時間的スパンで考える必要がある。
 SNSなどで話題の歴史漫画『魔女をまもる。』(槇えびし著/朝日新聞出版)の主人公であり、実在した医師、ヨーハン・ヴァイヤーが救おうと苦闘した魔女たちの背後に横たわる歴史を太成学院大教授で西洋近世史が専門の黒川正剛氏に解説していただいた。

■黒死病の流行と差別が魔女イメージへ結晶化した背景

 魔女狩りが猛威をふるった16世紀後半から17世紀前半の魔女のイメージは、この時代に突然生まれたわけではない。それは中世以来、被差別者の様々なイメージが蓄積され、作り上げられたものだ。この融合を引き起こした重要な原因が1346年から1350年頃にかけて大流行した黒死病(ペスト)である。

 黒死病はネズミ類の病原菌であるペスト菌が、ノミを介して人間に伝播して発症する。患者からの飛沫、また皮膚や粘膜からも感染する。急性の感染症で死亡率が極めて高い。悪寒・頭痛・嘔吐・高熱などを伴い、敗血症を起こすと皮膚が黒ずむことからこの名で呼ばれた。黒死病の大流行で当時のヨーロッパ総人口の3分の1が死亡したという。その結果、中世社会は激変した。

 当時の人々は当然黒死病を恐れた。しかしペスト菌に関する情報はなく、その存在すら知らなかった。ペスト菌の発見はそれから約550年後の1894年のことだ。

写真1_モリトール

画像)サバトに空中飛行して赴く動物に変身した魔女たち。ウルリヒ・モリトール著『魔女と女予言者について』1493年頃より

 原因がわからないなか、奇妙な恐ろしい噂が広まった。ユダヤ教徒がキリスト教徒を毒殺するために井戸や泉に毒物を混入しているというのだ。

 噂は噂では終わらなかった。各地でユダヤ教徒の迫害が起こったのだ。ユダヤ教徒が毒物を飲水に投入しているという不確かな情報に基づいて、膨大な数のユダヤ教徒が捕らえられ、拷問・虐殺された。ユダヤ教徒はイエス・キリスト殺しの張本人として常に差別の対象であったが、黒死病の大流行によるかつてない社会不安の高揚のもとで無残な迫害の対象となったのである。アルプス山脈西方地域で始まった迫害は、黒死病発生地域をたどって拡散していった。

 15世紀に入り、さらに恐るべき情報がもたらされた。1409年の教皇の大勅書で、アルプス山脈西方地域でユダヤ教徒とキリスト教徒が新宗派をつくり、悪魔の召喚など反キリスト教的な儀式を行っているという情報から、地元の異端審問官に厳しい処置を取るよう命じたのだ。

 また1430年代に、ある異端審問官は著書で、アルプス山脈西方地域に十字架を冒涜し、悪魔を崇拝し、子どもを食べる者たちがいると述べている。彼らは死んだ幼児を鍋で煮て、固形部分から魔術で使用する軟膏を作る。また動物に変身したり、空中を飛行する。嵐などの天候不順を引き起こし、人間や家畜を不妊にするという。

 この描写は、16世紀後半から17世紀前半のヴァイヤーの時代に信じられていた魔女の夜宴、サバトそのものだ。当時の様々な史料を突き合わせると、このような反キリスト教的・悪魔的な宗派は1360~1370年代に増え始めたとされている。

 キリスト教世界を転覆するために悪辣な陰謀を企てる「反キリスト教的・反社会的・悪魔的な活動に勤しむ集団」の存在が、黒死病の大流行による社会不安によって人々の心のなかに澱のように沈殿し、やがてそれが結晶化したのが「魔女」である。

 アルプス山脈西方一帯で魔女のイメージが結晶化したのは、ここが中世の代表的な異端・ワルド派の潜伏地だったことが重大な要因だと考えられる。原始キリスト教会に立ち返り、清貧の徹底、私有財産の放棄、教会の階層制の批判、民衆への熱烈な説教活動を行ったワルド派は、1184年に異端宣告され、弾圧を受け、残党が隠れ住んだのがこの地域だった。ワルド派も正統教会から悪魔崇拝の烙印を押され、魔女のイメージの一つの源流となった。ここにも差別の力学が透けて見える。

■16世紀の魔女と差別の問題

 その後も黒死病はたびたび流行した。『魔女をまもる。』の中でもヴァイヤーの師アグリッパが黒死病患者の治療に奔走している場面がある。しかし、意外かもしれないが、黒死病の流行が魔女の仕業とされたという例は皆無に等しい。

写真2_デューラー

画像)デューラー作『山羊に後ろ向きに騎乗する魔女』1500年頃

 感染症の大流行、地震や洪水など大規模な災厄は、神の裁きと懲罰とみなされた。なかでも感染症は聖書解釈に基づいて神の怒りと結びつけられ、それを防ぐには神の怒りを引き起こした人間の悪を避けることが必要であるとされたのである。一方、魔女が引き起こすことができた病は隣人や家畜に対する突発性のものだった。

 ある女が、隣人にミルクや酵母をめぐんでもらいに行ったところ拒絶され、罵り言葉を吐いたあと、相手が突然死するなどの不幸が起こり、魔女として告発されたという類の史料がいくつもある。

 16世紀以降の魔女狩りで裁かれた魔女の実像は時代と地域によって千差万別だが、その最大公約数的な姿は「貧しい老女」である。当時、女性一般は人類最初の女イヴと同一視される存在だった。

 旧約聖書『創世記』に記されているように、イヴは蛇(悪魔)に唆され、神が食べるなと命じていた善悪を知る木の実を男アダムとともに食べてしまう。その結果、人類はエデンの園から追放され、死を不可避のものとして担うことになった。女は悪魔に誘惑されやすい存在であり、人類に死をもたらした張本人なのだ。男アダムのあばら骨から創造された女であり妻であるイヴは、男であり夫であるアダムに従わなければならない。家父長制が進展した近世ヨーロッパではこの原理が再確認された。

 またこの時代、資本主義の進展とともに貧富の差が拡大した。中世のような相互扶助の精神は次第に影を潜め、貧しい人々に対する眼差しが厳しくなった。各地で貧民・浮浪者が社会問題化し、様々な施策が取られ始めるのは16世紀である。

 人生で何度か訪れる貧困化のサイクルのうち、最悪期は老年期といわれたが、独身の老女は家庭と夫の保護から外れた存在であるため、より貧困に陥りやすく、家父長制という社会規範からも逸脱する存在として怪しまれた。「貧しい老女」は当時の社会の負の価値の集約点に存在したのである。

 このような魔女の姿にさらにメランコリー(憂うつ)症者と食人するインディオのイメージが絡みつく。『魔女をまもる。』でも描かれているように、当時、魔女とされた者を医学に基づきメランコリー症者とみなすかどうかは論争の的だった。メランコリーに罹るのは黒胆汁過多のためだが、当時「発見」されたアメリカのインディオもまた人種分類で黒胆汁質とされた。同類としての「食人するインディオと魔女」という誤った認識が成立したのである。

 こうして見ると、魔女が当時のヨーロッパの差別問題の核に位置づけられる存在であったことが見えてくるだろう。黒死病の流行は不確かな情報を通して差別と迫害の対象を生み出し、最終的に魔女という想像上の存在を結晶化させ、大量の無実の人々を死に追いやった。このように未曽有の災厄に見舞われたとき、人は差別対象を作り上げてしまうものだ。今回のコロナの流行でも同様のことが起こっているのではないか。『魔女をまもる。』では医師のヴァイヤーが魔女を差別から救おうとしたが、コロナ禍ではその医療従事者が差別対象となっていることは大変な皮肉としか言いようがない。

黒川正剛(くろかわ・まさたけ)
1970年京都市生まれ。太成学院大学教授。専門は西洋近世史。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。著書に『魔女とメランコリー』『魔女狩り―西欧の三つの近代化』『魔女・怪物・天変地異―近代的精神はどこから生まれたか』などがある。


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