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男を食わない小島瑠璃子型キャリアウーマン【ミッツ・マングローブ/熱視線】

 女装家・タレントのミッツ・マングローブさんが時代を駆け抜けた「アイドル」たちについてつづった書籍『熱視線』(2019年8月刊)より、珠玉のコラムを選りすぐりで紹介。今回は小島瑠璃子さんについてお届けします。

ミッツ・マングローブ『熱視線』
ミッツ・マングローブ『熱視線』

 凄まじいと言えば小島瑠璃子です。彼女を観ていると「活躍」よりも「重宝」という言葉が浮かびます。では「こじるり重宝」の肝とは何か? ずばり賢さと拙さの押し引きの巧さではないでしょうか。90年代に、グラビア界から司会業にまで昇り詰めた蓮舫さんと比べてみても、こじるりの振り幅は絶妙です。男社会の賜物であるテレビ業界において、こじるりが醸し出す「どうしようもない小娘感」は、まさに天賦の才と言えます。男は蓮舫には警戒しても、小娘には警戒しません。かと言って、男に媚びるだけの女には鼻の下を伸ばしても、決して仕事人として信頼はしない。こじるりの持つ天性の「(計算高くない)小娘感」は、そんな男性脳のちょうど良い場所を刺激し、安心と信頼のバランスを取っているわけで、そりゃ重宝されるに決まっています。

イラスト:ミッツ・マングローブ

 この年末(※編集部注:2016年)には、シレッと『日本有線大賞』の司会まで務めた23歳。高橋英樹さんの横で佇む和装姿の彼女は余りにも小さく、こんな子供みたいな女に、恙無い司会進行をされた日にゃ、観ている側も使う制作側も警戒心の欠片を抱く余地などあるまい。仮にこれが、現代社会における『女性の立ち回り』として正解なのだとすれば、それはそれで皮肉なものです。かつて女性の社会進出がまだ限られていた時代に、テレビを捌いていた女性というのは、黒柳徹子さん、芳村真理さん、楠田枝里子さんといった、言わば『浮世離れした怪物たち』でした。やがて男女雇用機会均等法の施行により、キャリアウーマンの戦場が広がると、先の蓮舫さんや安藤優子さん、そして山口美江さんといった『男を食う女』が活躍しました。そして、男たちは改めて感じたのかもしれません。「デキる女は邪魔だ」と。さらに『男を食う女』たちは、同性からのやっかみも買う羽目となり、いつしか女性は程良く幼く拙く見せて、世間の警戒心を和らげることが最重要課題になった。

 話を小島瑠璃子に戻します。先の『有線大賞』で、過去の受賞曲を振り返るVTRコーナーがあったのですが、それを受けてのコメントが秀逸でした。「私でも歌えるような曲ばかりですね」と。まあ、よくありがちなコメントではありますが、これを有線大賞の司会として言い放ってしまえる『拙さ』。もちろんこの「私でも」は、「(こんなに若い)私でも」を意味しているのは明白です。視聴者の大半は中高年の女性、もしくは中高年のオカマだと思われる番組で、『デキる女』であれば恐らく自重するであろう一言を、彼女は何の悪気もなく言えてしまえる。お茶の間の中高年たちは一斉に「黙れ! この小娘が!」と突っ込んだことでしょう。とは言え、この隙がないと今はダメなのです。しかもこのベタな「世代アピールコメント」が、今のテレビ的には大正解なのです。スタッフ一同「頂きました」状態。

 一方で、彼女のように制作の意図を無意識に読み取る力を発揮し過ぎることは、制作側の創造力を低下させる危険性もあります。『正解』さえ使っておけば下手は打たないという意識の蔓延は、『当たり障りのない一辺倒な世界』を作ってしまう。しかし、そんな鈍感な男社会を手のひらで転がすかのごとく、こじるりは粛々と『デキる小娘街道』真っしぐらなのです。

(初出:週刊朝日2017年1月6−13日号)


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