見出し画像

非効率的な“怒り”をなくし仕事のパフォーマンスを最大化する「簡易生活」のススメ

「怒り」ほど生産性の低い行為はないと断言するのは、『簡易生活のすすめ』(朝日新書)の著者である山下泰平さんだ。「簡易生活」とは、人づきあいや見栄・虚飾を一切やめるという究極のシンプルライフのこと。山下さんに「怒らない」秘訣を聞いた。(写真撮影/朝日新聞出版写真部・小山幸佑)

295058_簡易生活のすすめ

■「怒り」がパフォーマンスを下げる

 緊急事態宣言中に、ある知人が「理不尽なクレームの電話が増えた」と嘆いていました。それだけ余裕のない人が増えたのでしょうね。不安定なご時世ですから無理もないのかもしれません。

 けれど、「怒る」ことは、人間のいろいろな活動のなかで、もっとも生産性の低い行為です。なぜなら、怒られたほうはもちろん、怒った自分自身も嫌な気分になるから。

 文句を言っているほうも後々にまで嫌な感情を引きずってしまい、なかなかパフォーマンスが回復しません。それは非情に悲しいこと。だから、僕は怒らないようにしているんです。

 そう聞くと、「あなたの怒りの沸点が、元々低いのでは?」と思われるかもしれません。いえ、そうではなく、昔はむしろ怒りっぽくて、すぐに切れ散らかす人間でした。

 そんな僕がなぜ怒らないようにしたのかというと、「簡易生活」の「平民主義」という考え方に感銘を受けたからという一面があります。「平民主義」とは、その字面の印象どおり、身分や地位、性別などに関わらず、すべての人を平等に扱うことで人類全体のパフォーマンスを向上させるという考え方です。

 使いやすいものとしては、どんな人でも「サン」付けで呼んだり、すべての人に対して同じ喋り方で接するというテクニックがあります。

 実際、僕も職場では平民主義を実践しています。上司でも、後輩でも、出入りの業者でも誰にでも、「サン」を付けて呼んでいます。そうやって振る舞うことで、上の人との距離が近づきますし、下の人は自分が尊重されていると感じ社会人としての自覚が芽生えてきます。

 他にも、僕は誰に対してもタメ口でしゃべっています。だから、よりいっそうに距離を近づけることができているという側面もあるでしょうね。

 もちろん、上司にもタメ口です。だいだいの人はおもしろがってくれるのですが、なかにはものすごく嫌な顔をする人も。そういう人は大抵頭が硬いので、ある意味バロメーターにも使えるかもしれません。

 平民主義をなんのために実行するのか。仕事の効率を上げ、生活を簡易にするためです。究極の目標は、生活を向上させて「貴族」になること。明治時代の小説家である上司小剣(かみつかさ・しょうけん)は、「総べての人間を皆貴族にする――貴族と卑族との別を無くする――のが、人間生活の向上ではないか」(『プロレタリア文芸総評』)と言いました。全員日々の生活をよくして、全員が一緒に上を目指すのが「平民主義」の理想像です。

「怒る」ということは、その平民主義から逸脱していると思うのです。なぜなら、相手をコントロールしようとする行為だからです。「有利に立ち立ちたい」とか「コントロールしたい」といった優越感情があるからこそ「怒り」が湧くのです。そこに平等性はありません。

「いや、相手にわかってほしいから怒るんだ」という反論もあるかもしれません。でも、だったら、相手と話し合えばいいじゃないですか。わざわざ相手を萎縮させて、パフォーマンスを落とすことはナンセンスです。

 コンビニのレジで会計が遅いと怒ったところで、店員さんのレジ打ちの速度が上るわけがありません。むしろ動揺させてしまい、会計の時間は余計にかかっているはずです。それなら店員さんのパフォーマンスを上げるため、大人しく待っていたほうが効率が良い。

 日々、怒号が響く場所では、怒られたくないという気持から、一時的に無理をして能力が向上したように見えることもあるかもしれません。でも個人や組織の長期的な成長は望めません。

 相手や周囲、あるいは自分自身に対して悪影響を与える「怒り」は、相手を支配下において、効率を低下させるという意味で悪趣味だと思います。

画像2

■嘘やお世辞をやめることで生活が簡易になる

「怒らない」ということは、周りの能力を開花させるための「簡易生活」の知恵のひとつ。そのほかにも僕が実践している、生活を簡易にしてパフォーマンスを最大化する方法をいくつか紹介します。

 まずは嘘をつかないこと。なぜなら嘘は煩雑だからです。ひとつついた嘘の整合性をとるために嘘を重ねるなんてこともありがちで、そのために労力を裂かれます。逆に、いつも正直に生きていれば、後ろめたいことがないので、生き方がシンプルになります。

 昔はしょうもない嘘をいろいろとついていたのですが、嘘をやめてから生きやすくなりました。総合的なコストを考えると、嘘をつくメリットはありません。

 必要以上に自分をよく見せるようとしようと嘘をつくのも馬鹿馬鹿しい。自分と相手を同じ地平に置く平民主義を実行したほうが効率が良いと思います。

 自分だけでなく、周囲の嘘も減らすようにもしています。怒らないっていうのも、嘘を減らすひとつの方法ですね。「これを言うと怒られるかも」と思わせてしまうと、失敗をごまかし嘘をついちゃう人が増えてしまいます。

 お世辞も嘘の一環であるので、言いません。

 いくら頑張ったところで結果は結果。褒めにくいところを無理に評価する意味はありません。

 努力すれば褒めてもらえると考える人は、あれもこれもがんばってもっと褒められようと仕事を抱えこみがちです。相手をムダに褒めることで、余計なプレッシャーを与えているとも言えるかもしれせん。

 ただし素晴しい仕事をしてもらった時には素直に感謝しつつ、事実だけを評価するようにしています。相手がしてくれたことと、そのおかげで得られた成果を客観的に述べ、それに対して感謝の言葉を口にするんです。

 もっと賛辞がほしいと物足りなく思う人もいるかもしれませんが、この褒め方は職場では特に有効だと思っています。

 失敗を重ねてしまうということは、その仕事が当人にとっては苦手で、一方素晴しい成果を出せるのは得意な分野といえます。だからこそ、職場から怒りを減らし、失敗は素直に伝えてもらい、こちらでサポートする。素晴しい仕事は評価し、さらに技術を磨いてもらう。こうすれば個々人の特殊能力が発揮され、多様性のある集団が完成します。

 誰とでも平等に接して、怒らず嘘をつかない。そして褒めるべきところは素直に褒める。これは明治人が作り上げた簡易生活の考え方ですが、現在理想とされている多様性のあるオープンでフラットな組織の作り方のようにも見えます。
簡易生活が社会に広がれば、人類全体の働き方が効率化してしまうかもしません。

 結局のところ、生活を簡易にする目的は、すべての事柄をなだらかにして、必要最低限のがんばりで、最大限のパフォーマンスを発揮することにあると思うんです。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!