書きたかった荒唐無稽な「変なもの」/『虎と兎』筆者・吉川永青さん刊行記念エッセイ
これまで純粋な歴史小説を書いてきた私にとって、今作『虎と兎』は異色の一作だろう。何と言ってもアメリカが舞台である。主人公の三村虎太郎も架空の人物で、これがインディアン戦争と呼ばれる一連の戦いに身を投じるという荒唐無稽な物語だ。
とは言え、歴史小説の枠組みを大きく逸脱している訳ではない。主要登場人物で架空の存在は三人のみ、他は全て実在の人物である。物語中の諸々の事件もアメリカ史に準拠し、アメリカ先住民の思想その他も調べ得る限り事実に即するよう留意した。
それでも、やはりどこか「変なもの」ではある。もっとも今作は、だからこそ、私の中で重要な意味を持つ一編となった。その心は――。
今年の五月には小説家となって十四周年を迎えるが、ここ数年、もっと「変なもの」を書きたいと思ってきた。一見して「これは歴史小説なの?」と思われる物語なのに、読んでみると脱線はしていない、というようなものを。
こういう欲求が出てきてから、あれこれ奇妙な話をインプットするようになった。その中で出会ったのがワカマツ・コロニーの話である。
明治維新の直後に日本人移民を率いてアメリカへ渡り、カリフォルニアにワカマツ・コロニーなる農園を経営した男がいた。プロイセン商人のジョン・ヘンリー・スネルである。
農園の名は会津鶴ヶ城の城下町・若松から取られた。そのせいか、このコロニーは会津人の移民で構成されていると思われがちだが、実際は関東からの移民が大半である。会津人はスネルの付添役を務めた西川友喜くらいだった。
そこに、本当に会津人を紛れ込ませたらどうなるだろう。それが、もしも白虎隊の生き残りだったら。こうした考えが頭に浮かび、物語の歯車が回り始めた。
私は会津人の気質を相応に知っている。父が福島県喜多方市の出身だからだ。私自身は東京で生まれたが、血筋は会津人なのだ。サンプルは少ないが、私自身と父、および父方の親戚筋を鑑みるに、会津人は概ね頑固である。良く言えば、それは「信念を曲げない」という気質でもあるのだが。
そして一般に、会津には明治維新の官軍を快く思わない人が多い。
まあ、それはそうなるだろう。何しろ官軍に叩き潰された側である。ただ、これは単なる恨みつらみではない。先に述べた「信念を曲げない気質」からすれば、会津人にとって官軍の行動とは「噓に立脚した横暴」に他ならないのだ。
維新の英雄譚では常に幕府の腐敗が諸悪の根源とされ、体制を変えねば国が危うかったと唱えられている。が、少し詳しく学んでみると実相はずいぶん違うようだ。
まず、幕末の江戸幕府は機能不全を起こしてはいない。譜代大名の大物が要職を占めて外様を排除するという旧弊こそあれ、実に堅実かつ慎重に国の舵を取っていた。それが求心力を失ったのは、時の帝・孝明天皇の勅許を得ぬまま、日米修好通商条約に調印したからである。
往時の日本の国家体制から言えば、確かにそれは許されることではなかった。だが維新勢力の目的が「国を救うため」であるなら、幕府の行動もそれは同じなのである。条約を締結し、外国との間に明確なルールを設けなければ、日本は早々に攻め滅ぼされていたに違いない。
幕府親藩の会津はこうした事情、幕府が正しく尽力していたことを知っていた。ゆえに官軍の戦争行動は、言ってしまえば不当な蹂躙に等しいのだ。少なくとも戊辰戦争直後には、その意識が強かったはずである。
今作に於いては、これが主人公・虎太郎に渡米を決意させる一因となった。
然るにアメリカへ至れば、そこでは白人が先住民を蹂躙している。
この状況に於いて、虎太郎は何を思うだろう。会津人の気質がそれを許さないのではないか。白人に踏み付けられる先住民の姿を、官軍に踏み付けられた自身に重ねるのが自然である。
だったら虎太郎に、先住民側に立ってインディアン戦争で暴れてもらおう。アメリカ史の中で自由に動いてもらったら、どうなるだろうか――それがスタート地点となり、史実の上に虚構の活劇が展開されていった。
今作『虎と兎』は、西部劇に武士を放り込んだ、言わば「サムライ・ウェスタン」である。従来の拙著に比べてかなり「変なもの」と言えよう。しかし私の中では会心の一編だ。今作が自分の可能性を広げるものになって欲しいと、切に願っている。