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ノラねこの必死の子育てに感動 動物学者が目撃し尊敬した母ねこの“強さと一途さ”

 時速50キロで走る、嗅覚は人間の10万倍、1.5メートル以上跳ぶ……。ねこの調査研究を行っている動物学者・山根明弘氏が、優れた身体能力や感覚器の鋭さから人間の治癒力まで、ねこの“すごい”生態を解明した一冊『ねこはすごい』(朝日文庫)から、母ねこの強さが伝わる箇所を一部抜粋・再編してお届けします。

山根明弘著『ねこはすごい』(朝日文庫)

■母ねこは最強?

 人間を含む一部の霊長類、それにキツネやタヌキなどは例外として、哺乳類のほとんどは、父親が子育てに参加しません。ねこを含めた多くの哺乳類は、母親は1ミリメートルにも満たない、とても小さな受精卵から胎児として成長するまで、自分のお腹のなかで子供を大切に育てます。

 また出産後の赤ちゃんも、基本的に母親のみで授乳や世話を行い離乳させます。ここまで子供を育てるのに使った栄養やエネルギーは、すべて母親の身体から絞り出されたものです。

 一方、離乳までに父親が提供したものはといえば、顕微鏡でも使わないと見えないような小さな精子をひとつだけです。子育てに関していえばオスとメスでは、あまりに不平等といえば不平等なのですが、オスはそのかわりに、メスをめぐって激しくオス同士で争います。その争いに多大なエネルギーを使うことで、メスとオスの苦労は、うまい具合につり合っているのかもしれません。

 家に飼われているねこは、飼い主から十分なエサを与えられますので、妊娠から離乳まで、栄養面を含めて何不自由なく過ごすことができます。しかし、ノラねこの場合は違います。わたしがフィールドワークで訪れた相島で観察していたノラねこの母親たちが必死で子育てをする姿は、わたしに大きな衝撃を与えました。それまでは、単なる研究対象であった動物が、わたしにとって心から尊敬できる存在へと変わってゆきました。

 寒さの厳しい1月から3月の発情期に、交尾をして妊娠したノラねこのメスは、お腹がどんどん大きくなってゆきます。それにともなって、胎児は母親の身体から加速度的に栄養を吸収してゆきます。この栄養をまかなうために、母ねこはより多くのエサを求めて、いつもよりも頻繁に動き回ります。妊娠後期、人間なら夫や家族が家事を分担して手伝ってくれるこの時期に、ノラねこのメスは大きなお腹を揺さぶりながら、いままで以上に頻繁にエサを探し求めて、1匹で歩き回ります。

 オスはといえば、3カ月もの発情期も終わり、交尾をめぐる激戦の疲れを癒すのでせいいっぱいなのか、メスの苦労などには全く無関心です。妊娠中のメスは、他のノラねこの縄張りや、時には人家に侵入したりしながらエサをあさるなど、お腹のなかにいる子供のために、普段はやらないような危険まで冒します。そして、妊娠からちょうど2カ月後、いよいよ出産です。

■母ねこに見る動物の普遍的な「つよさ」

 わたしが研究を行っていた相島は、漁師さんの島でしたので、島のあらゆるところに、漁具などを入れる倉庫がたくさんありました。漁具のたくさん詰まった倉庫は、身を隠す空間がたくさんあり、また漁網などは子ねこの保温にも最適な出産床となります。

驚異的な身体能力をもつ猫たち(※写真はイメージです)
写真:SAND555 / iStock / Getty Images Plus

 メスねこは、その場所で、たった独りで出産します。しばらくは生まれたての子ねこのもとから離れずに、授乳や世話を行います。いつも動きまわっていた妊娠したノラねこの姿が突然見られなくなり、数日後に、お腹がへこんだ母親の姿を見かけるようになれば、どこかの倉庫で出産していることを意味します。

 母ねこは急いでエサを食べて、急ぎ足でまたすぐに、どこかへ消えてゆきます。どこで出産しているか、ほとんどの場合わかりません。母ねこは、出産場所を知られないように、とても神経質になっています。出産場所である納屋のまわりに、人や他のねこがいた場合、母ねこは警戒して子ねこのいる場所にすぐには戻ろうとしません。もし、その場所を知られてしまった場合には、翌日にはどこか別の安全な場所に子ねこたちを移動させてしまいます。

 これは、産まれたばかりの子ねこを、人や天敵から守るための行動です。さらに、ノラねこの社会では、オスねこによる子殺しという現象が数多く報告されています。ねこの場合、なぜオスが子殺しをするのかよくわかっていませんが、母ねこはヘビやカラス、トンビなどの天敵だけでなく、オスねこからも子ねこを守らなくてはなりません。

 子ねこが成長してくると、さらにたくさんの母乳を求めます。母ねこは、充分な量の母乳を出すために、エサをたくさん食べなくてはなりません。足りない分は、自分の身体に蓄えられた脂肪からしぼり出すことになります。とはいえ、母ねこの多くはすでに出産した時点で、やせ細った状態で蓄えなどありません。お腹の皮が垂れ、乳首がむき出しの母ねこが、小走りにエサを探し回る必死の姿からは、母親の強さと、一途さを感じずにはいられません。

 子ねこがめでたく離乳し、漁具倉庫から出てくる頃には、母親は骨と皮だけの痩せこけた状態になっています。ここまで無事に育った子ねこたちを、目を細めながら舐めてやる母ねこの姿は力づよく、そして何よりも美しくわたしの目には映ります。発情期のオスねこに見られるような荒々しいつよさではありません。自分の身体を削りながら、独りで静かに新しい命を産み落とし、そして育て上げる、動物の母親の持つ普遍的なつよさのようなものを、ノラねこの母親はわたしに見せてくれました。どんなにつよいボスねこであっても、もとはといえば、そのような母親から生まれ、育てられたわけですから、母ねこは最強といってもいいのではないでしょうか。

 以前、飼いねこが子供を襲っている大型犬に猛然とダッシュして、体当たりをして子供を救った投稿動画が、ネットで話題となりました。そのねこは、体当たりのあと、逃げる犬を少し追いかけ、そしてすぐに引き返して怪我をした子供のもとに戻ってきました。自分よりも身体の大きな猛犬に立ち向かう勇気といい、瞬時の状況判断といい、大人の人間でもなかなかできることではありません。

 子供を救った「タラ」ちゃんという名前の飼いねこは、6年前にその家で飼われ始めたメスねこだそうです。そしてタラちゃんに助けられたのは、ジェレミー君という4歳の男の子だそうです。おそらく、飼い主の子供のジェレミー君を、自分の子供のように思って、日々一緒に暮らしていたのでしょう。人とねこのつながりのつよさと、メスねこの母性本能のすごさを物語る、感動的な動画でした。


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