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「これは私たちの物語だ」 親に棄てられJKビジネスに引きずり込まれていく女子高生たち…桐野夏生さんが『路上のX』で描いたリアル

2018年2月に単行本として発売され、21年2月5日に文庫化された、桐野夏生さんの『路上のX』(朝日文庫)。親に棄てられ「JKビジネス」に引きずり込まれていく女子高生の姿を描いた作品だ。自身も高校時代に街をさまよっていた経験から、虐待や性暴力被害を受けた10代の少女を支える活動を行う一般社団法人Colabo(コラボ)を立ち上げた、代表の仁藤夢乃さんが文庫版に解説を寄せてくれた。発売を記念して、一部を抜粋でお届けする。

「これは私たちの物語だ」

 この本を開いてすぐ、そう思った。

 街をさまよっていた高校時代の「うちら」の日常にタイムスリップしたかのように、あまりにも自然に、あのときの気持ち、空気、匂い、街で出会う人々、友達との微妙な関係、信頼と裏切りと助け合い、そして、私たちを性的に消費しようとする男たちからの無数の声掛けと、私たちを蔑む目を思い出した。登場する少女たち一人ひとりに、かつての自分や、友人たちを重ね、自分を見ているような気持ちで読み進めた。

 私は、中高時代、渋谷の街をさまよう生活を送った。街では同じように「ワケアリ」の少女たちと知り合った。そんな私たちに声をかけてくるのは、私たちを「買おうとする」男ばかりだった。そうした経験から、私は2011年に『Colabo』という団体を立ち上げた。夜の街での少女たちへの声掛けや、繁華街での無料カフェの開催、シェルターの運営、買春の実態を伝える企画展「私たちは『買われた』展」などを通して、この物語に登場するような少女たちを支え、彼女たちと共に声を上げる活動をしている。そんな私には、この物語で描かれる一つひとつの出来事が、自分の経験と重なり、そして、今出会っている少女たちの現実と重なった。

 物語の冒頭、始発で「家」に帰り、「音がしないように、注意深く玄関の鍵を開ける」とある。「家」にはご飯がなく、冷蔵庫にあるものを食べれば「泥棒」と言われる。家族から「気持ち悪い」とののしられ、「家」にいることも「迷惑だ」と言われる。机もなく汚い部屋で、落ち着いて勉強できる環境はない。だからといって、ファストフードやファミレスの机につっぷして寝るのも辛い。私も2005年ごろに経験したことだ。

 最近は、警察による「補導」も厳しくなり、そうした店も22時以降は年齢確認され、18歳未満が利用できないようになっていて、当時以上に行き場がない。渋谷のセンター街や、公園や駐車場にたむろしていると、すぐに通報され、「家に帰りなさい」と言われる。朝まで仲間と群れて安全に過ごすことも許されない社会になり、ますます少女たちは孤立している。そして、大人たちの目には見えにくくなり、存在しないものとされている。

 当時は、「群れる」ことで、同じような境遇にある者同士で「あのスカウトの紹介する仕事はヤバい」「あの店は酒に薬を盛る」「あの先輩とは二人きりにならないほうが良い」「あそこの病院は休日でもアフターピルを処方してくれる」などと情報交換し、一緒に過ごすことで危険を少しでも回避しようとしていた。

 それもできなくなった今の少女たちは、家に帰らず生活するために、SNSで泊めてくれる人を探すようになった。中高生が「家出したい」「泊めて」とつぶやくと、10分足らずで数十人の男たちが「サポートするよ」と声をかけてくる。「事件になっているような危ないことはしないから安心してください。今すぐ迎えに行きます」などと言い、少女に性暴力をふるうのもよくある手口だ。

「渋谷に一人でいると、常に騙されないよう、盗まれないよう、襲われないよう、気を張っていなければならない」という真由も、店長が自分を性的な目で見ているかもしれないことに気付きつつ、「何とか得られたバイト」を辞めたくないと考えていた。何かされるかもしれないと不安を感じながらも、他に行くところがないし、他よりマシ。だから店長を信じようと自分に言い聞かせていたに違いない。でも怖いから、店の2階に泊まるときはせめて鍵を閉めて過ごし、安心して眠ることはできなくても、それでも「家」よりはよく眠れたのかもしれない。

 声をかけてくる男たちは、あからさまに少女たちを買おうとし、性的な目で若さや体を値踏みする。「大人の男のほとんどは、女子高生を一人の人間として扱おうなんて、まったく考えていない。まして、女子高生を買う男たちは、女子高生たちは、遊ぶ金が欲しいから、平気で身を売っていると蔑んでいる」。それどころか秀斗のように、自分を少女を助ける「神」であるかのように思っている。

 日本では、こうした現実が「援助交際」という言葉によって、少女たちが好きでやっている行為として、大人から子どもへの援助であるかのように語られてきた。世界的に見ても、性搾取について、こんな呼び方をする国は他にないだろう。「少女の自由意思、選択だ」という言説を広めることで、少女を売り買いする男たちに都合の良い状況になっていき、少女の性を売り買いすることが堂々と「ビジネス」にできる時代になってしまった。

 買う側を正当化する論理がこんなにも広がっている日本社会では、買う男がいること自体が問題だと、どれだけの人が考えているのだろう。それに対して「おかしい」と声にし、現状を変えるためにどれだけの人が行動しているだろう。この現状を見て見ぬ振りする大人たちも、少女たちにとって、加害者の一人であると言っても過言ではないことを知ってほしい。

※桐野夏生著『路上のX』の解説の一部を紹介しました。続きは、本編と合わせて本書でご覧いただけますと嬉しいです