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やりたいことが「ある人」と「ない人」 あらゆる可能性を秘めるのはどっち?

 将来やりたいことがある人や夢がある人のほうが、それらがない人より素晴らしい……。それは本当なのだろうか? 「探究型学習」の第一人者である矢萩邦彦さんは、著書『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中で、「自分の未来が想像できなくても焦らなくていい」と語っている。なぜ、そんなことが言えるのだろうか。(タイトル画像:francescoch / iStock / Getty Images Plus)

矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)
矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)

 自分の5年後、10年後、20年後はどうなっているでしょうか?

 想像してみてください。20年後をリアルに想像できた人はあまりいなかったのではないかと思います。想像しやすさは、自分との近さで決まります。能力的にも時間的にも近いほど、想像はリアルになっていきます。

 もし、あなたに自分で選択した具体的な夢や目標があるのなら、それは素晴らしいことです。それに向かって努力することで、少しずつ将来の想像がリアルになっていくのなら、実現に近づいているはずです。

 一方で、もし、あなたが未来の自分を想像できなくて焦っているとしても、どうぞ安心してください。未来が想像できないということは、あらゆる可能性があるということでもあるのです。

 ふつう、年齢を重ねるごとに将来は予測しやすくなります。赤ちゃんはもちろん無限の可能性がありますが、学生より社会人、若者よりも高齢者のほうが未来を想像しやすいのはなぜでしょうか?

 年齢を重ねるということは、自分とのつき合いが長くなるということです。モヤモヤしたりグルグルしたり試行錯誤したりしながら、すこしずつ自分の価値観や興味関心など自分軸の輪郭や性質や能力の可能性が分かってきます。自分というものが正確に把握できるほど、未来は想像しやすくなります。

 ただ、それは必ずしもよいことばかりではありません。一つの将来がリアルに想像できてしまうというのは、他の可能性に気づけなくなっているともいえます。ぼくはもうそれなりの年齢ですが、それでも、来年の自分が何をやっているか想像できません。また本を書いているかもしれませんし、会社をつくっているかもしれない、はたまた世界を旅しているかもしれない。日々、あえて自分でも未来を想像できなくなるような選択をするように心がけています。それはぼくにとって、自由を感じながら生きることでもあります。

 選択できる状況にあるとき、ぼくたちは自由を感じます。そして、選択するためには選択肢が必要です。選択肢はいま見えているものだけではありません。すでにあるのにも関わらず気づいていない選択肢もありますし、まだ存在しない選択肢もあるはずです。それらを見つけ出し、あるいはつくりだすこと。そして、そのなかから、自分の意志で選択するための知識と技術こそが、リベラルアーツです。

 選択するためには、その選択をするとどうなるのかを想像できるかどうかが鍵になります。もちろん、想像できないほうを選択することもできますが、そのためには「想像できない」というメタ認知が必要です。

 もう一つ、忘れないで欲しいのが、そもそも、想像できたところでその通りになるとは限らないという前提です。いかなる場合でも、誰にとっても、未来に保証なんてない。つまり、「想像は想像でしかない」というメタ認知も必要だということです。だったら、闇雲に不安がって可能性を楽しまないのは損です。

 未来は想像を大きく超えるかもしれない。まだ見ぬ夢や想像もしていない未来が待っているかもしれない。分かっていることは、いまあなたが想像した将来とは確実に違うということです。だから、想像も変わっていい。ゆれながらも想像し続ける経験が、ぼくたちを強くしてくれます。

 まだ<ない>ことは、ときにすでに<ある>ことよりも価値があります。そして何より、まだ<ない>未来が訪れることに、理由も意味もあるはずなのです。

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売

(構成:教育エディター・江口祐子/生活・文化編集部)