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歴史的事実の“隙間”に見えてきた美しい“虚構” 21世紀メアリー・アニングの映画の出現

 いま最も注目される監督、フランシス・リーが描く“女化石ハンター”メアリー・アニング。映画「アンモナイトの目覚め」でメアリーを演じたケイト・ウィンスレットがよみがえらせたのは、貧しく無学でも堂々と上流階級と渡り合った生き様だ。地質学、古生物学に大きな貢献を果たしたメアリー・アニングとはどんな人物だったのか。メアリーの生涯を追ったノンフィクションの書籍『メアリー・アニングの冒険』(朝日選書、2003年)の著者の一人で地質学者の矢島道子氏(もう一人の著者は数々の名作アニメ映画を生み出してきた監督で脚本家の吉川惣司氏)が、メアリーの人物像を解説する(『アンモナイトの目覚め』劇場パンフレットに寄稿した文章の一部を抜粋し加筆)。

■ジュラ紀化石の宝庫、ライム・リージス

 昨秋から、あのメアリー・アニングの映画ができたらしい、それも彼女が女性を恋する映画らしいというニュースが耳に入ってきた。その映画『アンモナイトの目覚め』(フランシス・リー監督/脚本)は4月9日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他にて全国順次公開となる。

 メアリーは1799年、イギリス南端、ライム・リージス(ライム王国という意味の地名、以下、ライムと略す)に貧しい職人の娘として生まれた。ライムはイギリスの上流階級の避暑地として有名で、夏はとても美しい。でも化石を採集する冬は厳しく、どんよりとしている。ドーバー海峡を渡ってきた嵐がライムの崖にあたって、崖が崩れ、見たこともないような化石が突然現れる。ここでは保存状態のよいジュラ紀の化石が多産され、化石ハンターには絶好の場所だ。メアリーの父も化石ハンターの一人で、家具職人の傍ら化石を掘り出し観光客に売る小さなコーナーのようなものも営んでいた。だが化石採集は容易ではない。海岸は狭く、大きな岩がゴロゴロころがり、荒い波が押し寄せている。崖はもろく、しばしば滑り落ち、命を落とすこともある。化石の採集で衣服も身体もどろどろになる。『アンモナイトの目覚め』の始まりはこの場面で、ケイト・ウィンスレット扮するメアリーが、長いスカートをはいたまま崖をよじ登るシーンだ。スタントを使わなかったという。冒頭から女優の渾身の演技で圧倒される。

■無愛想で堂々としたメアリー

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図1)デ・ラ・ビーチが描いたメアリーの戯画。メアリー研究の書物に「たくましい男のような肖像。泥除け用の上靴、短い頑丈なペチコート、より短い格子縞のスカート」の化石発掘の仕事着姿を描いたものと紹介されている

 映画ではメアリーは青い格子柄のワンピースを着て登場する。男らしい上着に肩掛けカバンを下げ、ライムの海岸をひとりで歩く。化石掘りの仕事着だ。図1)によく似ているではないか。もうひとつ、ロンドン自然史博物館にも肖像画が陳列されている(書影参照)が、やっぱり仕事着のほうがよく似合う。

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書影)吉川惣司・矢島道子『メアリー・アニングの冒険』(朝日選書、2003年)

 メアリーは、地質学上の重要な発見を行った人物だ。初等教育は受けずに父から手ほどきを受けて化石ハンターの道に入った。13歳でイクチオサウルス(魚竜)の全骨格を掘り出し、絶滅した海生爬虫類が実在したことを証明した。想像を絶する、全長5.5mを越す巨大な海生の生物が過去に生存していたのだ。博物学隆盛期のイギリス、ヨーロッパを大いにわかせたこのニュースは、ライムのメアリー一家を有名にした。日本で恐竜が初めて発見された時の驚きなんてものではない。危険な崖から一人で化石を掘り出し続け、24歳の時に世界で初めてプレシオサウルス(首長竜)を発見し、生涯ライムで母らと小さな化石店を営んだ。メアリーが10歳の時に父が他界したため、一家はメアリーが掘り出す化石で生計を立てていたが、度重なる化石の大発見にもかかわらず、暮らしは楽ではなかった。乳がんのため47歳で死亡。現在、ロンドンの自然史博物館には、メアリーが発掘したイクチオサウルスやプレシオサウルスが展示されている。

■歴史に埋もれた女化石ハンター

 産業革命で経済的な格差が広がっていた19世紀初めのイギリスでは、貴族や裕福な紳士たちによって地質学・古生物学が出来上がっていった。ダーウィンが『種の起原』を書くちょっと前の時代である。メアリーの戯画の作者、デ・ラ・ビーチはロンドン生まれ、祖父が西インド諸島に領地をもつ富裕な領主であったが、軍人の父を亡くし、再婚した母といっしょに15歳ごろにメアリー化石店の隣に引っ越してきた。メアリーが最初に化石を発見したころで、それに影響を受けて地質学者を目指し、のちにイギリス地質調査所を創設する。聖職者であり数学研究から地質学へと乗り換えて「カンブリア紀」の提唱に至ったケンブリッジ大学の地質学教授セジウィック、恐竜メガロサウルスを発見したことで有名なオックスフォード大学教授のバックランド、ダーウィンが地質学を学んだ大著『地質学原理』を執筆したライエル、映画ではシアーシャ・ローナンがその妻を演じる地質学会会長マーチソン夫妻ら、金銭に余裕のある紳士地質学者たちは、メアリーが発見した様々な化石の重要性を知って続々とライムにやってくる。海生爬虫類の発見は恐竜学への道を開いた。恐竜イグアノドンの発見者で医師のマンテルはライムの近く、サセックス州に住んでおり、その日記にはメアリーの化石店を訪ねたことが記されている。

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写真)丹念にクリーニングして岩石の塊からアンモナイト化石を掘り出すメアリー/© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation and Fossil Films Limited

 基本的に紳士地質学者たちは発掘を地元の化石ハンターにやらせて、彼らから化石を購入する。そのなかでメアリーの掘りだす化石はたいへん良質でフェイクが一つもなかった。紳士地質学者たちはみんなメアリーの顧客になったが、メアリーは豊かにならない。メアリーは貧しい階級の女性で、無愛想だから、誰もメアリーを顕彰しなかった。

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写真)孤高の女化石ハンターを演じるケイト・ウィンスレット/© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation and Fossil Films Limited

■時代と場所を超えて愛されるメアリーの生き様

 筆者とシナリオライターの吉川惣司氏とで執筆した『メアリー・アニングの冒険』は、世界でメアリーの伝記の嚆矢となったが、現在は世界中のメアリー研究者が研究書を出し、日本でもメアリーの童話、偉人伝コミックもいくつか出ている。とくにヘレン・ブッシュ『海辺の宝もの』(原著は1965年刊、最近の邦訳は鳥見真生訳、あすなろ書房、2012年)はメアリーの子どものころを取り扱っていてそこに描かれるメアリーの神童ぶりが長くメアリーのイメージとして定着していた。無愛想な大人のメアリーの実像をそれらで扱うのは少し難しい。映画『アンモナイトの目覚め』の登場となる。

■メアリー研究の隙間に気付かせる虚構

 メアリーは1度だけロンドンに行き、栄光を味わったことがある。栄光をもたらしたのはシャーロットだ。シャーロットのライム・リージス滞在(1825年)も招待(1829年)も実際にあったことだ。地質学界隈の研究者には、メアリーのロンドン訪問は計算高いシャーロットのやったことだと言われている(実際にはシャーロットはメアリーの10歳年長で夫よりも3歳年上だった)。

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写真)裕福な学者夫人シャーロットを演じるシアーシャ・ローナン
© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation and Fossil Films Limited

 シャーロットの夫、ロデリック・マーチソンは軍人だったが、イギリスでは戦争がなくなり、ロデリックは失業した。世の中の動きをよく知るシャーロットが地質学者になることを勧めた。産業革命で石炭が重要になり、地質学はこの時代に勃興した。地質学者は紳士の職業とされたのである。ロデリックは地質学をよく理解し、瞬く間に地質学会の会長になった。シャーロットの内助の功である。メアリーのロンドン行きは、シャーロットがメアリーにうまく取り入って、よい化石が優先的にロデリックに渡るようにしたのだと、これまでの研究者は解釈してきた。しかし、シャーロットがメアリーを招待した理由としてはちょっと弱い。たしかに少し不思議な隙間がある。リー監督の描き出したメアリーとシャーロットの美しい虚構は、研究の隙間を提示したのかもしれないと私は思う。

 映画の中で、メアリーもシャーロットも饒舌ではない。薄暗いイギリスの光景の中にたくましいメアリーがよく映る。何も言わなくてもすぐわかる。私たちが『メアリー・アニングの冒険』を執筆したとき、メアリーの資料は少なかったが、一つの手紙、一つのメモが様々なことを教えてくれた。フランシス・リー監督が描いた21世紀の新しいメアリーが皆様に愛されることを心より祈る。

矢島道子(やじま・みちこ)
地質学者・古生物学者。主な著書に『地球からの手紙』、『地質学者ナウマン伝』、共著に『メアリー・アニングの冒険』がある。

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 錚々たる映画祭が絶賛!孤独、愛、人生の選択——歴史に隠された古生物学者メアリー・アニングの心の痛みと恍惚を、繊細かつ大胆に描く美しきヒューマンドラマ。
4月9日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation and Fossil Films Limited

 ハリウッドを代表する演技派でありアカデミー賞女優のケイト・ウィンスレットと、26歳にして鮮烈な表現力で4度のアカデミー賞ノミネートを誇るシアーシャ・ローナンが、初共演にして体当たりの演技で、2人の女性の心のぶつかり合いを熱演。メガホンをとったのは、初監督作『ゴッズ・オウン・カントリー』が数多くの映画賞に輝き、驚愕のデビューを果たしたフランシス・リー。長編2作目にして既に全世界の注目を集める本作で、孤独の中に埋もれた自分を発掘していく女たちの物語を、繊細かつ大胆に描き上げていく。

<STORY>
人間嫌いで、世間とのつながりを絶ち暮らす古生物学者メアリー。かつて彼女の発掘した化石は一世を風靡したが、今はイギリス南西部の海辺の町ライム・リージスで、観光客の土産物用アンモナイトを探して細々と生計をたてている。そんな彼女はある日、裕福な化石収集家の妻シャーロットを預かることとなる。美しく可憐で奔放、何もかも正反対のシャーロットに苛立ち、冷たく突き放すメアリーだが、自分とはあまりに違うシャーロットに惹かれる気持ちをどうすることもできず——。

出演:ケイト・ウィンスレット『愛を読むひと』、シアーシャ・ローナン『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
監督・脚本:フランシス・リー『ゴッズ・オウン・カントリー』
原題:Ammonite/2020年/イギリス/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/118分
字幕翻訳:稲田嵯裕里
配給:ギャガ
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■映画の詳細は以下でチェック!

◎予告編動画<ショートバージョン>

◎映画『アンモナイトの目覚め』公式サイト


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