目の病を抱えた三条院と北原白秋が生きる証として残した「月」の歌
三条院は藤原道長が全盛期を迎えようという時代、1011年に天皇として即位しました。三条の母は藤原兼家の娘・超子。道長は兼家の子、超子は道長の同母のきょうだいですから、道長にとって三条は甥にあたるのです。しかし、兼家はすでに亡くなっており、道長は自らが外祖父として権勢を振るうべく皇太子を立て、三条は在位中、道長にずっと圧迫されていました。
詞書に「例ならずおはしまして」とあり、三条は重い目の病にかかっていたといわれています。三句の「ながらへば」、つまり、もし生きながらえた