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#16 言い訳

最近、いろんなことに対して「自分がアジア人やからかな?」みたいな言い訳がましい理由づけをしてしまうことが多い。

些細なことやけど、お店の店員さんの態度が(私目線で)悪いときとかは特にそう。「この人もしかしてアジア人ヘイトな感じの人なんかな」って真っ先に考えてしまう。

原因はたぶん先入観と逃げの思考。西洋ではアジア人ヘイト受けやすいみたいな先入観と、とりあえずアジア人やからかな?って考えとけばもっともらしい理由になる感じがあるから、自分の真の非(?)から逃げようとしている気もする。

実際ニュースとかみてると、今自分がいる国でのアジア人ヘイトは多そう。アジア人というだけでバスで切りつけられたりしたり、アジア人というだけで横柄な態度を取られたり、アジア人というだけでコロナに関連付けて差別を受けたり。アジア圏以外では「アジア人だから」というだけの理由でヘイトを向けられることがなきにしもあらずなんだろう。でもそれが、私個人の周りで起こる悪いことの全ての原因ではないことは明らかだとも思う。

さっきあげた、お店の方の私への態度とかもそう。別に人種関係なく、その人は誰にでも態度悪いのかもしれないし、私の番にたまたま、特に理由もなく機嫌が悪くなってしまっただけかもしれない。はたまた、私がアジア人だから、という理由ではなく他に私が何かやらかしてしまったという可能性もある。私の声が小さすぎて聞き取りにくくてイライラしはったのかもしれへんし、私の英語がわかりにくくて不快に思ったのかも。

そういう、幾つもの可能性が考えられることに対して「自分がアジア人やからこういう仕打ちを受けるのかな」という短絡的な理由で片付けてしまうのは浅ましい行為なのだなあと思うことが最近増えた。「自分がアジア人やから」というのは簡単でわかりやすい理由で、かつ、「アジア人」という事実はもう変えようもないから、自分がアジア人ってだけで嫌われてるならどうしようもないかあみたいな思考になってしまうときもある。それはつまり、自分が成長する、自分の悪いところを改善する機会をみすみす逃してしまっていることに等しい。

もし相手の人が、私がアジア人だから、ではない理由に対して不快に感じているならば、私が直すべき問題で不快にさせている場合もあるだろう。さっきあげた、声が小さいとか、英語が拙いとかは明らかにこちらの問題であり、自分が努力して直せる部分でもある。そういうのを深く考えずに、「ああ、この人は自分がアジア人やからこういう態度なんだなあ」って考えてしまうことは勿体無いことだと気づいた。

大きい主語とか、人種差別とか、意識しているときは気をつけられるのだけれど、ふとしたときに言い訳として使ってしまってる。無意識に思ってしまうっていうことは、自分の根底にはそういうグループ分けというか、カテゴリーに分けてこういう人はこう、みたいな偏見が自分の中にはまだまだいっぱいあるのだろうなと反省。

実は今日もそう思わされるような機会があった。寮の部屋で一人ぼーっとしてたのだけど、急に廊下の方がうるさくなった。それだけならよかったけど、その人たちが急に私の部屋のドアノブを面白おかしくガチャガチャし出した。何人かでゲラゲラ笑っているのが聞こえたから、たぶんそういう若者の(?)ノリでやってるんだろうなと思いつつ、覗き窓で様子を見た。すると、そうしてゲラゲラ笑いながら悪戯をしていたのは体の大きい黒人四人組だった。タトゥーが入っていて、タンクトップを着ているいかにもな感じのグループで、それを見た瞬間私は「やっぱりこういう感じの人たちか」と思ってしまった。

見た目がいかつい黒人の方は野蛮。そんな主語が大きい偏見が私の中にあったからこそこういう「やっぱりか」みたいな感情が生まれてしまった。よくないなあ。#1でも、コミュニケーション能力のなさの原因として「人を勝手に判断してしまうこと」を挙げたけれど、留学半年が経とうとしている今でもまだこの癖は抜けてないみたい。

意識しなくても偏見で相手を判断しないレベルまで持っていける日が来るのかはわからないけれど、頑張ろう。

모두 기도해 내 falling 그 손 위로 I'mma jump in

Antifragile by Le sserafim