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【感想】『仮面ライダーギーツ』が描いたエンターテイメントの在り方

─What's your desire?

 勝ち抜ければ理想の願いが叶うゲーム。所謂「デスゲーム物」としてジャンルになっているぐらい、創作物としては幾度となく描かれてきた構図だ。それを日曜朝の「仮面ライダー」という枠組みでやるのだから、それはもう面白いに決まっている。古くは『仮面ライダー龍騎』でも描かれて、バトルロワイアルというジャンルに爪痕を遺したとも言われているとか言われていないとか。
 子供向け番組という性質上、直接的な視覚表現で人間のグロテスクさを描くことはできない。『龍騎』の時とは時代が違い、自主規制を含めた制限もかなり増えている。果たしてどういう風に描くのか、と特報を聞いた時から自分はワクワクして待ち望んでいました。そして、最高に自分好みの番組として1年間を走り抜けてくれました……。

 思い返せば、放送前の段階で全てにワクワクしながら待機し、放映が開始してからもずっと熱量を保ち続けて応援していた特撮作品って初めてかもしれない。ライダーのデザインも、玩具のコンセプトも、キャストの演技も、描かれた物語も、その全てが自分に刺さり続けたという奇跡。
 ギーツやバッファは勿論、ダパーンという変わり種のデザインまで含めて大人数が並び立っている絵面を始めて見た時の高揚感。「これからこいつらが蹴落とし合いをします」と言われて期待しない訳が無い。

『仮面ライダーギーツ』第2話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/2/

 全員が共通のベルトを使った等しく横並びのゲーム参加者であり、己の願いのために戦う。絶対に面白いじゃないですか。デスゲーム物の漫画でも第1巻がつまらないことって無いらしい。
 そのぐらい、スタートダッシュが約束されている作風だと思います。「仮面ライダー」という名前を持つキャラクターが新しく1人出るだけで一定数のワクワクが担保されるニチアサ作品なのだから、尚更。

 玩具コンセプトも凄く良くて、「全員が共通のベルトを使う」という設定を思う存分に活かせる変身ベルトが発表されました。

仮面ライダーおもちゃウェブより 引用元:https://toy.bandai.co.jp/series/rider/item/detail/12683/

 セットするアイテムによって見た目が別物のようになる変身ベルト。更には「IDコア」と呼ばれるアイテムによって「どのライダーに変身したか」も明確に分かる見た目。いや、これもう絶対今後の展開含めて面白いやつじゃん……集めれば集めるほど楽しいやつじゃん……。
 ということで、生まれて初めて放映開始前から変身ベルトを予約することになりました。普段自分が変身ベルトを欲しくなるっていうのは、本編が面白くて、且つギミックが実際に触ってみたいなと思うやつぐらいなので相当珍しい事でした。なので今でもその時の衝撃を鮮明に覚えている。「本編が面白いかどうかもまだ分からないのに……」という戸惑いを抱えつつも、欲しい気持ちが一度も揺らぐことが無かったです。
 似たようなコンセプトの『仮面ライダー鎧武』の戦極ドライバーですら第一印象はダサくて、本編にハマったことでようやく欲しくなったので……。

 しかも、なりきりアイテムだけではなく、フィギュア展開も凄かった。

仮面ライダーおもちゃウェブより 引用元:https://toy.bandai.co.jp/series/rider/item/detail/12704/

 高い造形レベルに、上半身と下半身の変形ギミック。しかもフィギュアーツと同等のサイズ感に加え、ギミックの割にはまとまっているプロポーション。更にはメットパーツさえ変えれば別ライダーになるという拡張性。
 変身ベルトと同様に、放映開始前から期待値が上がってしまい予約して購入したレベルでした。
 正直、放映が開始してからもしばらくはボーイズトイフィギュアの展開には近年の傾向からあまり期待していなかったんですが、結果的にとんでもないラインナップ数になったので追いかけていて本当に良かったなと……。
 おかげで、玩具もフィギュアも追う大変な1年になるとはこの時は想像だにしていませんでした。嬉しい悲鳴ですが。社会人になってからの作品で助かった……。

 本当に、全ての情報が自分の期待を煽っていた。今思えば、放映開始前からこんなにハードルを上げてしまっても大丈夫なの? ってぐらいに。結果的にそのハードルを容易く超えてしまったのが本当に凄いんですが。
 期待に胸を膨らませながら待ち望んだ放映開始。ハッキリ言って、最初からずっと物語にも心を掴まれっぱなしでした……。

感想Ⅰ:デスゲームの新構図と、浮世英寿の持つ主役性

 デザイアグランプリの持つ、バトルロワイアル系とはまた違った構造によって先が読めない展開。それから、浮世英寿の持つ圧倒的ヒーロー性による安心感。それによって序盤から不安を抱くことがなく思う存分楽しむことができました。

 放映前から『龍騎』との共通点を挙げられていた『ギーツ』ですが、結果的には程遠い物語と展開になっていったように感じます。そもそもデザイアグランプリの構造自体が「ライダー同士の殺し合い」ではなく「スコアを競うバトル」なのが一番印象的な相違点かな。
 だから今までの作品でもあった「ライダー同士のバトル」が番組序盤では全くと言っていいほどに無かったのが目新しさを生んでいたし、好きでした。デスゲームをしているのに直接戦わないという構造は、展開の単調さや先読みを防止していたように思う。

 一番印象的な思い出は、第5話『邂逅Ⅳ:デュオ神経衰弱』を見終えた時。「こいつはメインじゃないから脱落するだろうな」というキャラクターが順調に脱落している中での、突然の変化球。「はいはい、次は仮面ライダーメリーがどうやって脱落するんだろうな~」なんて見ていたら、まさかのメリーとバッファがタッグを組む展開。
 最下位のタッグが脱落するゲームということで、メリーが運営のライダー(パンクジャック)と組まされた時点で脱落を確信したのに……。まさかのデュオ交代でバッファと組むことに。視聴者の予想を盛大に裏切ることで、「絶対に楽しませてやるし先読みはさせない」という熱意を感じたエピソードです。

『仮面ライダーギーツ』第6話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/6/

「え、バッファがメインの予告だから勝ち抜くんだろうけど、それだとメインキャラだと明言されているタイクーンが脱落しちゃうってこと!?どういう話の流れになるの!?」と全く想像の付かない展開になってしまい、1週間がかなり待ち遠しかったのは良い思い出です。リアルタイムで追いかけたからこそのワクワク感、というのは『ギーツ』において最高の魅力だと思う。

 デザイアグランプリのゲームシステムは、「次の脱落者が誰か」という点以外にも「次はどんなゲームなのか」「強い奴が生き残るとは限らない」という強い牽引力を物語に持たせていたと思います。
 また、「願いを叶えられるのは1位となったデザ神だけ」というのも「必ず主人公が勝つとは限らない」という緊張感に繋がっていました。主人公が脱落する、までは行かないまでも、他の誰かが優勝して物語が大きく動きそうだなという予感は常にあった。

 そして、このように単純なバトルロワイアルではないからこそ、浮世英寿の持つ圧倒的な主役性、ヒーロー性を描けたようにも思います。
 基本、自分って常にスポットが当たる主人公よりもサブキャラにばかり目を向けて大好きになってしまう人間なんですが、浮世英寿はそんな自分でも惚れ惚れしてしまうぐらいに”主人公”でした。こんなに自分好みで魅力的な主人公に仮面ライダーで出会ったのは初めてかもしれない。
 浮世英寿を大好きになれたからこそ、『仮面ライダーギーツ』という作品を安心して応援し続けられたんだと思う。それも、途中からではなく最初からずっと英寿の持つ魅力は一貫していた。

 自分の思う浮世英寿の好きなところって、「圧倒的な実力を持っているにもかかわらず、他人のサポートに準ずることが出来るところ」なんですよ。
 他人を気遣うことで、時には守り、時には支え、時には発破を掛ける。その気になれば英寿が自分勝手に動いて全てを解決することも出来るかもしれない。だけどそれはしない。自分の為すべき役割を理解して、決して出しゃばらない。そういうところが大好きです。
 何が凄いって、それを序盤から分かりやすく魅力的に描き続けたところなんですよ。
 まず、物語が本格的に動き出した回である第2話の時点でそれが描かれていたので、すぐ好きになっちゃいました。

『仮面ライダーギーツ』第2話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/2/

 劇中で「ハズレ」とも言われた"ショボい装備"のアームドウォーター。主人公のメイン装備であるはずのマグナムは他人が手に入れていて、まさかの弱装備からのスタートに自分の少年心はワクワクしていました。
 英寿が装備に戸惑いつつも水道管で殴りながら戦い始めた時、自分の心は既にもう掴まれた。決して装備に頼っている訳ではなく、本人の自前の強さがある、という描写としての説得力が凄かったです。その後の話でも一貫して「工夫して戦う」という強さを見せつけてくれたので、本当に良かった。
 勿論主人公なので強化フォームをどんどん手に入れていく訳ですが、本人の実力を兼ね備えた上での必然的な強化ばかりだったので「装備に頼っている感」も、反対に「持て余している感」も無かったかなと。
 そんなこともあり、自分の中で『ギーツ』を象徴するフォームとして印象深い姿です、アームドウォーター。ギーツの好きなフォームベスト3に入るぐらいには。

 第2話ではその他にも、戦えない景和を気に掛けている描写、景和を化かしてブーストバックルを手に入れる、ギンペンの家族に人知れず大金を寄付する……など、浮世英寿の魅力が詰まっています。この話で一気に英寿のことが好きになれたので、定期的に観返すぐらい大好きな回です。

 その後も、第11話『謀略Ⅱ:ジャマトの迷宮』にてケイロウに発破を掛けるシーンにて。

『仮面ライダーギーツ』第11話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/12/

「死を覚悟するな。必ず勝ち抜けると信じろ」
「そうすれば、運は巡ってくる」

 庇護する対象ではなく、あくまで対等なゲーム参加者に掛ける言葉として発言したのが大好きなんですよ。これ以降も英寿は「諦めなければ夢は叶う」というのを基本スタンスとして自分にも他人にも接していくのが良くて……。
 浮世英寿の”芯”になる部分って、こういうところなんだよなと思っています。だから劇場版『4人のエースと黒狐』でも、英寿の持つ大事な要素として台詞回想と共に前面に押し出してくれたのが本当に嬉しかったです。Xギーツに立ち向かうマグナムフォーム、好き過ぎ。好き過ギーツ。

 もう1つ好きなシーンは、第19話『乖離Ⅲ:投票!デザスターは誰だ!』で何も言わずにタイクーンの足場を作りながらアシストするシーン。

『仮面ライダーギーツ』第19話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/20/

 決して目立ったシーンではないし、なんだったらロポやナーゴの方にフォーカスが当たっていたぐらいなんだけど、だからこそ大好きなシーンです。英寿は景和を信じているし、何も言わずに他人のサポートだけをさり気なく行うことが出来る。元々好きだった浮世英寿のことが、このシーンでぐっと深みが出た”好き”になった思い出があります。なのでギーツのパワードビルダーフォームも大好き。いぶし銀的なカッコよさがある。

 他にも、『MOVIEバトルロワイヤル』で「五十嵐一輝が戦いの記憶を忘れない世界」という願いを叶えたのも大好きでした。『ギーツ』本編に影響が出なくて、『リバイス』本編で出した結論も台無しにしなくて、でもちょっとだけ幸せになれる願い。それを一輝本人にも言わずに叶える英寿が粋すぎて……。

 こういった浮世英寿の魅力を描けたのも、デザイアグランプリがあくまでスコアで競う形式だったからなのかな、と。直接の蹴落とし合いではないからこそ、他人へのアシストが成立するので……。
 主人公だけど主人公らしくない立ち回りもこなしてしまう、というところが自分が英寿を好きになった理由なのかなと思います。
 それと同時に、迷宮脱出ゲームやかみなりジャマト祭りなどで子供への接し方もしっかりとヒーローらしく描かれていたし。

『仮面ライダーギーツ』の世界において、唯一”ヒーロー”として描かれ続けたのが浮世英寿だと思っています。だからこそ、この作品の主人公は絶対に彼でしか有り得ない。わざと偽悪的に振舞うことこそあれど、視聴者の倫理観を裏切らないという信頼が常にありました。

 それで言うと、序盤で「世界は守る。理想の世界を叶えるついでにな」という飄々としたスタンスだった理由。それすらも「生まれ変わった俺がいつか、世界を守る覚悟を決めた時、それを実現する力」という願いが発動しないようにという説明が付いたのにはビックリしましたが。
 実際に言及こそされていないものの、それまでの掴みどころの無い態度に説明が付くという丁寧さには本当に唸った。全てを説明する訳ではなく、しかししっかりと行間も含めて理屈付けされている丁寧さが大好きです、『ギーツ』の物語。キャラクターの言動にしっかりと意味がある。

 英寿は諦めなければ夢は叶うと、人は幸せになれると、そう言い続けてきた。辛いことだらけのこの世界で、浮世英寿はいつだって希望を捨てなかった。
 英寿は2000年間転生を繰り返しながら諦めることなく夢を追い続け、無事に母親と再会することができた。
 その浮世英寿が言った。
「オーディエンスが願う限り、世界はハッピーエンドだ」

『仮面ライダーギーツ』第48話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/50/

 その言葉を聞いた時、率直に言って感動した。こんなに照れもなく、真っ直ぐに、シンプルに、ハッピーエンドを謳ってくれるんだと。
 浮世英寿が大好きで、『仮面ライダーギーツ』という番組が大好きで、そんな自分の気持ちへのアンサーとして完璧な回答でした。
 勿論、このセリフが無くても『ギーツ』は大好きだったと思う。スーツデザインは好みだし、玩具もフィギュアも好みでたくさん集めて、1年間存分に物語を楽しんだから。だけど、このセリフを言ってくれたことでやっぱりこの番組の感性は自分の肌に合うし、仮面ライダーギーツは自分にとってヒーローなんだなと思った。
 自分でも幼稚だなって思う時もあるけれど、自分はハッピーエンドが大好きです。みんなが笑い合って幸せになれる世界だと嬉しいし、そんな世界を未だに信じている。だからこそ、そんな希望が描かれている子供向けコンテンツから抜け出せないオタクになっているんですけど。創作作品でぐらい希望を持っていたいんですよ。
 だから、こうやって言葉にしてくれたのが嬉しかったです。リアリティライダーショーという構造を持つ『ギーツ』だからこそ、こんなメタ的なニュアンスを含んだセリフも言えるんだなあ、と。

 自分の望みを叶えた後でも利他的に戦い続ける英寿は本当にヒーローだと思います。ギーツⅨの神秘的なデザインも含めて、自分の中で一種の偶像的存在になったかもしれません。希望の象徴すぎる。
 とか言ってたら本当に最終回で神様になってしまった。2000年間も転生をし続けていたらそりゃとっくに達観しているし、目的を達成した後は神様になる覚悟も決まるだろうなあと……。「俺のデザグラ」を開催した時もそうでしたが、そこで無償で他人に奉仕する選択肢を選ぶことのできる浮世英寿は、間違いなくヒーローでした。

感想Ⅱ:仮面ライダーという称号がヒーローの意味を持たない世界と、吾妻道長が通し続けた1本の芯

 浮世英寿は”ヒーロー”だったと言いました。だけど、それは決して彼が「仮面ライダーだから」という理由ではない。『ギーツ』という作品の世界において、”仮面ライダー”という称号は”ヒーロー”の意味を一切持っていないんですよ。
 むしろ、あの世界における仮面ライダーの称号は「デザイアグランプリの参加者(あるいは関係者)」の意味合いしか持っていない。”デザイア”の名前を掲げたベルトを自らの意思で巻き、他人を蹴落としてでも自分の望みを叶える覚悟を持った人間であるという証明でしかない。

 自分はオープニングの
「誰かを傷付けてしまって 傷付いても降りられないGame」
という歌詞が非常にグロテスクで大好きです。
 この歌詞が真に歌っているグロテスクさというのは、「デスゲームから逃れられない」という部分ではなく、「誰かを傷付けたら傷付いてしまうような善性を持っている人間が、それでも自分の望みのために他人を蹴落とすゲームに参加している」という部分だと思っています。
 それは同曲の2番の同フレーズの部分にも如実に表れている。
「誰もが心が乾いて 理想を追い求めてChase」
 序盤の「他人に迷惑は掛けたくないし」とナヨナヨしていた桜井景和でさえ、デザイアグランプリを辞めようという意識は無く、優勝を狙っていた。結局のところ、『ギーツ』世界の仮面ライダーは皆そういう人間なのだ。

「仮面ライダー」という言葉をそう定義すると、吾妻道長の「全ての仮面ライダーをぶっ潰す」発言の見方も変わってくる。
 道長の親友である透が蹴落とされるその瞬間を、道長は見ていた。

『仮面ライダーギーツ』第6話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/6/

 だから道長は知っている。「仮面ライダー」は自分の欲望のために他人を平気で蹴落とすことの出来る奴らだと。例え元々は善人だろうと、デザイアグランプリという非日常の中で、本来ならば持つはずのなかった力が与えられた時、人間は容易に狂う。
 勿論、視聴者にとっては浮世英寿は主人公だし、桜井景和も鞍馬祢音もメイン格の仮面ライダーだからまず悪いことはしない。メタ的な視点でそう理解しているから、道長のつっけんどんな態度にやきもきしてしまう。早く和解して並び立ってくれよ、とそう思ってしまう。
 だけど、あの世界に生きている吾妻道長の視点では信頼できるはずがない。「仮面ライダーである」という一点だけで、信頼できない十分条件を満たしてしまうのだから。

『仮面ライダーギーツ』20話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/21/

 正直、ジャマトバックルを使って英寿たちと敵対し始めた時、自分は「道長のキャラ良かったのに、迷走しだしたな~」と思ってしまいました。つっけんどんな態度を取りながらも桜井景和とデュオを組み直したり、一般人を庇いながら戦ったり、間違いなく英寿に次いで道長のことをヒーロー的に見ていたから。
「なんだかんだ絆されてツンデレな台詞を吐きつつも、これからも一緒に戦ってくれていると思っていたのに!」という気持ちが抑えきれませんでした。

 だけど、結論から言ってしまえば吾妻道長は一切のキャラブレが無く、1本の芯を貫き通した立派な男だったと気付いた。
 思い返せば、第1話の時点でシローが脱落したことを喜んでいた。普通だったら最序盤故のキャラ描写のブレとして捨てられてしまいそうな部分だけど、ここも含めて道長はずっと変わっていない。道長は「この世の中から仮面ライダーなんて1人残らず消えて無くなってしまえばいい」と走り続けてきたキャラクターだから。
「家族の命がかかっている」と懇願するロポを足蹴にするのも、仮面ライダーなんだから遠慮する必要はない。むしろ、「他人は蹴落とすのに自分は例外扱いしてもらえると思っているのか」とでも考えていたかもしれない。
 ジャマトグランプリで子供の楽しみである祭りを踏みにじったのだって、全ての仮面ライダーをぶっ潰すための必要な犠牲だと腹を括ったのだろう。仮面ライダーを放っておけば、より多くの人間が蹴落とされ不幸になるのだから、と。
 吾妻道長の人間性を一言で表すならば「トロッコ問題で1人を犠牲にし、5人を救う」タイプなのだ。デザイアグランプリを野放しにしていたら、これから先も多くの人間が不幸になる。だからデザイアグランプリはこの俺が潰す。そのために、現在進行形で他人と蹴落とし合っている仮面ライダーを全て潰す。誰が仮面ライダーだろうとどうでもいいし、例外は無い。幸せになりたいと願うから他の誰かが不幸になる。それを助長するデザイアグランプリも仮面ライダーも、潰すためならなんだって利用してやる。
 多分、こういう思考でずっと突き進んできたんですよね。リアルタイムで観ている時は「ギーツたちと敵対させたいがためにストーリーを展開させてるな~」ぐらいの浅すぎる感想だった自分をぶん殴りたい。
 道長の思考を理解した上で本編を観返すと、第1話からずっと、言動の1つ1つに筋が通っている。上記のような思考を下敷きに、道長なりの考えで動いていたと分かる。迷走してるとか思っててすみませんでした……。
 今思えば、吾妻道長に勝手にヒーロー性を見出して、そして勝手に期待を裏切られたと思い込んでいるだけだったんだなあ。道長はずっと道長だったのに。

『仮面ライダーギーツ』第33話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/34/

 そのことを理解した上で第33話の仮面ライダー狩りを見返すと、より味わい深い。仮面ライダーの記憶を失った祢音にかける「何も知らない方がいい」という言葉は勿論、「どんな世界でも叶えてあげる」というチラミの命乞いに対する「お前らデザイアグランプリが存在しない世界だ」という返答。道長は徹頭徹尾、デザイアグランプリという構造を憎んでいることが分かる。
 仮に、世界において幸福の総量が本当に決まっていたとして。そのバランスを必要以上にめちゃくちゃにしてしまうデザイアグランプリが許せないんだろう。運営が介入してこなければ、透の願いが叶う可能性は無かったかもしれないが死んでしまうこともなかった。くだらない願いのために、本来だったら必要じゃなかったはずの犠牲が生まれるのが何よりも許せないんだろう。そう考えると英寿の「俺が世界スターになっている世界」とか確かに地雷ぶち抜きだと思う。許せねぇよ、ギーツ……。

 吾妻道長という男に関して、こんなに丁寧に描写されていたのに最終盤になるまでその魅力にちゃんと気付けていなかった自分が恥ずかしい。自分は物語をしっかりと咀嚼出来ていなかったように思う。今、1話から全ての話を観返したら吾妻道長の芯の貫きっぷりに感動を覚えるという確信があります。
 というか、キャラソンに吾妻道長という男の在り方が全部書かれていました。これが吾妻道長の行動の全ての答え。

Driver与えられ 欲望 まみれて 潰し合いの正義(justice)?
手段は選ばない 必ずぶち壊す
誰かのためとか言うが 立場変えてみりゃ
破壊者になり得るってことを 証明しに来たのさ
ぶっ潰しに来た 概念ごと消滅させる
心決めた誓いは Undead 止まらない

吾妻道長(杢代和人)『Undead Fire』より引用

 全部書いてる!! ちゃんと聴き込んでいなかったのがバレバレですね。こんなに『ギーツ』が大好きなのに、リアルタイムだと意外とふわふわと楽しんでいたんだなと思うと少しショックだ。やはり自分の言葉で解釈を考えるのって大事かもしれない。

『仮面ライダーギーツ』第26話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/27/

 誰もが夢を叶えるチャンスがあるという甘言が蔓延る『ギーツ』世界において、吾妻道長はその幻想に惑わされることのないリアリストだった。
 死んだ者は蘇らないし、努力せずに夢が叶うこともない。だからジャマトが透の姿で現れたところで別物でしかないし、デザイアグランプリで叶えたい願いだって無い。ただ、これ以上透のように不要な犠牲を出したくはないし、自分には止めることのできる力とチャンスがある。だから、全ての仮面ライダーは俺がぶっ潰す。
 カッコ良すぎるだろ、吾妻道長。ジャマト透を利用していて、これっぽっちも情が無かったシーンは痺れました。

『仮面ライダーギーツ』第41話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/42/

 英寿と和解した後も、パラサイトゲームを見れば道長の根本的な考え自体はブレてないことが分かる。ジャマトに寄生された人間を助ける手段が無いのなら、殺すしかないという覚悟を決めていた。桜井沙羅の時は知らなかったけど、その後は幻覚を見るぐらい罪悪感に苛まれながらもジャマトを倒し続けた。そうしなければ一般人に被害が及ぶから。
 これって、まんま先述したトロッコ問題なんですよね。放置しておけば多くの人間が被害に遭ってしまうが、1人殺せば多くの人間が助かる。だったらやるしかないと、そう決断を下してしまうのが吾妻道長という男。自分自身が罪悪感と責任を背負う覚悟を持って、決断を下す。倫理的に肯定するのは難しいが、決して非難も出来ない。トロッコ問題に正解が無いように、吾妻道長にも是非は無い。

 最終話直前になって、吾妻道長が味方側として着地することが分かっているからこそちゃんと捉えられるようになったのかもしれないな、と思う。
 だって、ジャマトグランプリの辺りは本当に不安だった。道長がどんな道を突き進んでいるのかも分からなかったし、ジャマト化という爆弾を抱え込んでいた。何より、メタ的に”主人公と敵対する”というのはどう転ぶのか全く予想が付かなくて怖い。
 それに、主人公と反する立場ということは肯定的に描かれていないということだ。自分はその立場と振舞い方だけを見て、吾妻道長という男をきちんと見れていなかったな、という反省。
 誤解していたからこそ、こうやって道長への解釈を書き残しておきたかった。皆さんには、吾妻道長はどういう風に映っていましたか?

 最終回で「うまい肉を食う」と願う道長、ようやく全ての責任感から解放されて普遍的な幸せを追いかけられるようになったんだなと……涙が出ました……。

感想Ⅲ:全てのデザイアの肯定と、決してヒーローではなかった桜井景和

 では、何故吾妻道長が肯定的に描かれなかったのか。それは『仮面ライダーギーツ』という番組のテーマが「人々が理想の世界を願うこと」を肯定していたから……だと思います。だから「くだらない願い」と吐き捨てる道長は『ギーツ』世界においては悪のような描かれ方をしたのだろうな、と。
 第16話のキツネ狩りの時の桜井景和のセリフが一番分かりやすいけど、「くだらない願いなんて無い」という価値観がこの作品の根幹にある。世界平和も、自分のための願いも、なんだったら世界を呪うような願いですら、「それを願い追い求める気持ち」自体は決して否定しないのがこの作品です。

 だから、例え歩んでいる道が少々ズレていようとそれを咎める展開というのはなくて。だから、自分は桜井景和のことが中々好きになり切れなかったんだろうなと思う。
 自分は、何故か桜井景和というキャラクターのことを好きになることが終盤になるまでありませんでした。世界平和を願うぐらいに善人で、人々を守るために戦って、なんだったら城戸真司からバトンまで受け取っていて。一番”ヒーロー”のパブリックイメージに近い言動と行動だったはずなのに、何故か拭い切れない違和感があったし、持ち上げる気にはなれなかった。
 誤解してほしくないんですけど、決して嫌いだった訳でも不快だった訳でもないんですよ。ただ、何故か心の中で引っかかりを覚えるような、そんな気持ち悪さだけが常にありました。Twitterとかで桜井景和がヒーローとして持ち上げられるような感想を目にすればするほど、「なんか違う」感は加速していきました。

『仮面ライダーギーツ』第2話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/2/

 多分、最初は桜井景和のことを”一般人”としてしか見れなかったから”ヒーロー”として見ることに納得がいかなかったんだと思う。
 第2話の時点で戦う覚悟を1人だけ決められずに右往左往するタイクーン。そして目の前でやられていくギンペンを見ながら何も行動できなかったタイクーン。恐らく、この時点で自分は桜井景和をヒーローにカテゴライズすることが出来なくなった。世界平和を言葉で掲げておいて実際に何も行動できないというのは、やはりどこまでも一般人的な感覚だと思う。
 勿論、ただの一般人があの場で飛び出して助ける……なんていうのは無茶な要求だし、咎められるようなことでは決してない。何より、目の前でギンペンを失ったことで戦う覚悟は決まっていたし、ギーツにブーストバックルを横取りされなければその場で戦い始めたはずだ。

 だけど、その後も小さな違和感は積み重なっていく。ある時は缶蹴りゲームで、ある時はジャマーボール対決で、ある時は時限爆弾ゲームで。身近な人物に危険が迫っている時、桜井景和は余裕を失う。傲慢な考え方になったり、動きが止まってしまったり、強引な手段を用いることだってある。
 その描写はやはりヒーロー的ではなく一般人的で、自分の都合が最優先になっている。いや、それは勿論悪い事ではなく、当然の行動だとは思う。思うが、世界平和を掲げる言葉がどこか薄っぺらく感じてしまう要因なのもまた事実だ。
 どうにも桜井景和の性格と言動や行動が一致していないような印象をずっと抱いていた。ちゃんとその度に諫められ、成長していったのもまた事実なんだけれど。それでもヒーローとしてはなんとなくフワフワしていて、キャラクターとしての厚みや人間味を感じることがどうしても自分には出来なかった。このまま作中やインターネットのファンとは温度差を感じたまま着地してしまうのかな……とほんのり寂しい気持ちを抱いていました。
 そんな折、桜井景和の評価が一変する物語が終盤に待ち受けていました。

『仮面ライダーギーツ』第41話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/42/

 物語も佳境に入ってきた中での、桜井景和の敵対。まさかの展開でありながらも、納得の行動でもある。正直言って、タイクーンブジンソードの登場によって初めて桜井景和というキャラクターに人間味が出たし完成したと思っています。

 思い返せば、第1話のやり取りで桜井景和というキャラクターは既に表現されていた。
「求められれば何でもやります!」
「ではなくて、あなた自身の考え方を聞かせてください」
「じゃあ……世界平和です!」
「……人生は戦場です。曖昧な志では、生き残れませんよ」
 桜井景和の言葉の薄っぺらさを、ギンペンこと平さんは既に見抜いていて、確かに景和はそういう人間だった。一度脱落して記憶を失った時も募金には目をくれず宝くじに必死になって高級な寿司を姉に要求するようになっていたし、桜井景和の素っていうのは多分、本当はそっち寄りだ。それが姉への想いや理性によって善人になれていただけで。
 そしてタイクーンブジンソード初登場回のセリフで、桜井景和というキャラクターが決算される。
「変わったな。お人好しのタイクーンは、どこに行った?」
「何も変わってないよ……俺は俺だ」
 自分はこのセリフで初めて桜井景和に人間味を見出せました。世界平和も、退場した全ての人間が蘇った世界も、きっと本心なんだけれど、でもそれは自分と周囲の人間が幸せである前提だったんだろう。桜井景和は姉を失ったことによってそれに気付いたし、だから「自分の幸福」を最優先する方向に舵を切った。
 さっきも書いたように、今までも姉が関わると盲目的に暴走することは何度も描かれてきていたので全く違和感のない展開でした。むしろ、ちゃんと自覚的に描いてくれていたんだと安堵感を覚えるほど。

『仮面ライダーギーツ』42話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/44/

 だから、桜井景和はやはり”ヒーロー”ではなくてどこまでも”一般人”だった。お人好しだけど、善人だけど、大切な人を傷付けた奴を許せる程の慈愛なんて無い。復讐のためなら何でも利用する。どこまでも、”普通”の人間だった。
 だから、タイクーンブジンソードを「闇堕ち」と表現するのは個人的には違うかなと思っています。桜井景和は桜井景和のままブチギレているだけなので……。

 自分の願いを自覚した上で、それでも再び英寿を信じて立ち上がった桜井景和。

『仮面ライダーギーツ』第47話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/48/

 第47話「創世Ⅸ:ホンモノの仮面ライダー」で、桜井景和は完全に”ヒーロー”になりました。自分の願いも、力の使い方も、今までとは全く違う覚悟で自覚して。
 そんな桜井景和が「これで俺は、世界の平和を守れる」とケケラに感謝を伝える。物語が始まった当初とは重みが全く違う、世界の平和を願う発言。どこか他人事で他の誰かに叶えてもらうための願いではなく、自分自身の手で掴み取るという真剣さを感じました。
 この回で用いられる「仮面ライダー」という言葉は、『ギーツ』世界を飛び越えて我々の世界での、ヒーローの称号としての仮面ライダーだったと思います。サブタイトルの「ホンモノの仮面ライダー」の意味合いにゾクッとくる。桜井景和はケケラの言う「ホンモノの仮面ライダー」になったし、我々の言う「本物の仮面ライダー」になった瞬間だなあと思いました。
 タイクーンブジンソード初登場回で桜井景和というキャラクターが完成したと言うのならば、この回で仮面ライダータイクーンが完成したとも言えますね。

 だから、最終話で絵馬にでかでかと書かれた「世界平和」に凄くグッときました。一周して同じ結論に至ったけれど、重みが全く違う。

感想F:エンターテイメントの在り方

 仮面ライダーギーツ本編において、デザイアグランプリそのものは否定することなく最終回を迎えました。それは恐らく、作中の「デザイアグランプリ」と我々の観る「番組としての仮面ライダー」をリンクさせていたからなのかな、と思います。オーディエンスやサポーターたちの存在もそうなのですが。
「未来人が古代人で遊ぶためのゲーム」と「願いを叶えるために切磋琢磨するためのゲーム」という2つの意味で同じ言葉を使っているからややこしくなっている感は、あります。中盤でジャマ神となったバッファがぶっ潰すという宣言をしていたデザグラは前者で、最終回で言っていたデザグラは後者なのだろうと思う。
 普通、この手の作品ってデスゲームそのものを否定してぶっ壊して終わると思うんですが、斜め上の着地でしたね。だけど、自分は思っていたよりも清々しい気持ちでこの結論を受け止めれました。それは、最終回でギロリが「この時代の未来は、この時代の者たちに託される」というごく当たり前のことを言ってくれていたから。ギロリは最終局面で味方として復活してはいたけれど、大本はデザグラのGMであり古代人をエンターテイメントにしていた未来人だった。そのギロリを、あくまで現代に残るべきではない存在としてちゃんと結論を出してくれたのが嬉しくて……。
 利害の一致で共闘するのは納得できるのですが、「デザグラ自体は肯定しているギロリ」と「そもそも未来人に干渉されたくない主人公たち」で微妙に持っている結論は違うよな~と不安だったので、なあなあで済まされなくて本当に良かったです。ギロリはそれを理解した上で共に運営に立ち向かい、そして消え去ることもまた受け入れていたというのが本当に……この番組の価値観は信頼できるなと……。

『仮面ライダーギーツ』第22話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/24/

 その点で言えば、ジーンも最初から肯定的に描く訳じゃなくてちゃんと成長を挟んで描いていたのは素晴らしいなと。ジーンに関しては演者が幼少期からライダーオタクとして有名な鈴木福さんということもあり、メタ的な視点でも文脈が乗っていて唯一無二のキャラクターになっていたと思います。
 そんな誰からも文句が出ないであろう演者による「仮面ライダーのサポーター」という設定で、ちゃんと未来人として価値観が合わない部分も描いていたのはしっかり真面目だな~と。製作陣も視聴者と共にテンションが上がりすぎて悪ノリのような描写が増えてもおかしくないだけに、この辺の真面目さが凄く好きでした。

 勿論、この番組だって完璧だった訳じゃない。慟哭編辺りから桜井景和の描き方が急ハンドルを切られて償わせるモードに入ったり、創世編辺りから「願い」や「幸せ」といったことばかりが語られてテーマがふわっとしたものになってきたり。道長のジャマト化は引っ張った割に世界改変であっさり無かったことになったり、デザスター編で祢音の立ち回りで信頼関係が気まずくなったような描写も結局意味が無かったり。バッファのジャマ神の力の管理がどうなっているのかとか、粗を指摘しようと思えばいくらでも出来るだろう。
 だけど、それらの要素が物語の牽引力になっていたのは間違いがない。ジャマト化のせいで道長の結末は完全に予想できなくなっていたし、デザスター編もメタ視点込みの推理でも誰がデザスターで誰が優勝するのか全く読めなくて毎週が楽しみだった。「メインキャラがデザスターという衝撃の展開で、だけど更に怒涛の展開でデザグラ自体が有耶無耶になってしまい脱落させないまま次のストーリーへ転んでいく」というのはリアルタイム当時から凄い描き方だな……と少し感動していました。

 この番組はいつでもエンターテイメントとして真剣だった。毎回のアクションも凝っていたので本当に観ていて飽きることがなかったです。
 ゾンビフォームのポイズンチャージが一番印象的ですが、ニンジャデュアラーの分割やリボルブオンを組み込んだ殺陣など、とにかく毎話が目新しいアクションだらけでした。斬ったり蹴ったりするだけではなく、その場の地形なんかも活かしながら戦う映像を毎週観れるのってなんて贅沢な1年間だったんだろう。それこそ前述したアームドウォーターの魅せ方もそうなんですが。
 大型バックルのデュアルオンも、回数こそ少なかったもののギーツのニンジャマグナムやダパーンのビートマグナムなど、ここぞという場面で印象付けてきたのが楽しかった。
 特にリボルブオンなんか、大抵の作品なら持て余しそうなギミックだったんだけれど最終話まで活躍しっぱなしだったのが本当に嬉しくて……。ギーツが序盤で回避に使ったりとテクニカルな扱い方をしていたんですが、終盤でもタイクーンやバッファがそれを引き継いで戦っていたのが良かったです。どころか、最終フォームであるギーツⅨの変身にもギミックとして組み込まれるという躍進っぷり。自分は側転からの流れるようなリボルブオンが大好きです。
 リガドΩとの最終決戦でタイクーン、バッファ、ナーゴが3人でリボルブオンをして攪乱したり、タイクーンがバッファの持つゾンビブレイカーのポイズンチャージをした後に地面でニンジャデュアラーを転がして必殺技を発動させたり、最終話のアクションシーンが今までの総決算的で感動しました。

 仮面ライダーというのは、身も蓋も無いことを言ってしまえば玩具を売るための番組です。アクションの魅せ方と同時に、アイテムの使い方も今までの作品以上に工夫していたな、と……。
 初期フォームなのに一切格落ちがしないマグナムブースト及びブーストバックル。矢継ぎ早に出てきて印象が薄くなりがちな強化フォームにもしっかりと見せ場がある。出番が多い訳ではないが、しっかりと印象に残るバイクシーンの数々。全く使われなかったな……というアイテムがほとんど無くて、実際の売り場やプレバンにおける展開を見ても好調だったことがよく分かります。
 主人公が使わなくなってもサブライダーや敵役に使わせたり、逆に主人公にたった1回でも使わせることでプレバン限定ではなく一般販売にしてくれたり。「全員が共通のベルトを使う」という自分好みの要素を最高級に調理してくれたと思います。真っ当にカッコ良いデザインと音声で、真っ当にカッコ良い活躍をして、真っ当に使い続けてくれることでリアルタイムで買い集めていて後悔することが全くなかった……。

『仮面ライダーギーツ』第11話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/13/

 凄く印象的なのはフィーバースロットレイズバックルで、この玩具の使い方が大好きなんですよね。迷宮脱出ゲームで初登場してからしばらくの間全く出なくて不安になっていたんですけど、バッファの退場回やナーゴの強化アイテムとしてちゃんと活躍したり、ジャマ神バッファのアイテムとして使われていたのがとにかく良かったです。後、『MOVIEバトルロワイヤル』でのフィーバースロットでのブーストフォームやマグナムブーストとか。「見た目は同じだけどアイテムが違う」というオタク心をくすぐるマイナー感やその場しのぎ感が凄い好きで……。
 特にジャマ神バッファに関しては、プレバン限定の新アイテムで強化フォームになっても全くおかしくない状況で、あえて既存玩具の組み合わせのみで再現できる強化だったのが痺れました。そのこともあって『ギーツ』の中では一番好きな仮面ライダーの姿かもしれない。『ギーツ』という作品の玩具展開の良さが詰まったフォームだと思います。すぐに手元で再現して遊べるっていうのは、やはり最高。

『仮面ライダーギーツ』第36話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/37/
ギミックを活かしたフォームチェンジも魅せてくれたのが最高

 他にも『MOVIEバトルロワイヤル』でリバイやバイスがデザイアドライバーで変身したりだとか、ゲスト参戦的なライダー(ナッジスパロウやロポなど)にもメイン級の装備が与えられたりだとか、とにかく既存玩具の使い方が上手かった思い出があります。

『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』より
引用元:https://mantan-web.jp/article/20221224dog00m200049000c.html

 勿論プレバンが悪という訳ではなく、ブジンソードやファンタジーも出してくれて嬉しかったですよ。強化フォームがある、っていうのは物語的にも盛り上がりが約束されているようなものなので。実際、終盤で吾妻道長も桜井景和も鞍馬祢音も次々と抱えていた物語に決着を付けてくれていたので、嬉しかったし楽しかったです。プレバンアイテムを売るための物語ではなく、物語を盛り上げるためのプレバンアイテムになっていました。

 ギーツの玩具展開の話をするとよくタイクーンのIDコアキャンペーン品問題が槍玉に挙げられるんですが、自分は割と肯定派だったりします。一番玩具を買ってほしいリアルタイムのタイミングで買ってもらうキッカケになるので……。何より生産量も十分で(ニンジャレイズバックルより多い数を生産していると明言された)、いつでもamazonで買える状態でしたしね。
 よく言われがちな「番組終盤で投げ売りになったら買うわw」みたいな態度を取らせなかったのも含めて、上手い事やっていたと思いますよ。そこがギーツ玩具が盛り上がった一因でもあると思います。人気が爆発し過ぎて需要に追い付いていなかった玩具もあった訳ですが、その辺もプレバンで補完されているので……。
 正直、自分もタイクーンのIDコアキャンペーンがなければコマンドツインバックルは買っていなかったような気がします。効果は絶大。ワンネスレイズバックルのためにガッチャードライバーまで予約しちゃったしな……。私はバンダイの犬です。

 リアルタイムで玩具を買い集めながら応援する、という経験は『ギーツ』が初めてでした。過去にハマっていた作品は、当時は子供で買い与えられたもので遊ぶだけだったり、中高生だったのでお小遣いが追い付かないので本当に欲しいものだけを買っていたりでした。だから、ほぼ全ての玩具を買い集める勢いで、というのは人生で初めてで……。
『仮面ライダーギーツ』をリアルタイムで応援出来て良かったなと思うし、それが社会人になった”今”で良かったなとも思うんですよ。学生なんかじゃこうはいかなかっただろうから。
 玩具もフィギュアも予約しながら買い集めて、プレバン限定品もほとんど予約して、商品アンケートもちゃんと送り続けました。その結果、今までの作品では考えられないぐらいボーイズトイフィギュアも展開し続けてくれたのでやっぱり要望を送るのって大事ですね。

 なんというか、物語でウオオッと盛り上がりながら、続々と届く商品で遊びながら応援し続けられて楽しかったなって思うし、その作品が『仮面ライダーギーツ』で本当に良かったな。
 最終話で基本フォームやギミックを活かした戦闘やバイクシーンもあるぐらい「王道の仮面ライダー」を大切にして、玩具の売り方も含めて今までの当たり前を見直した意欲作で、そして「みんなが幸せになれる」と願うハッピーエンド賛歌の作品。そんな『ギーツ』は自分にとって大切な作品になったし、それをちゃんとリアルタイムで追いかけられたのは幸せです。

感想SP:ライブ感と五十鈴大智の話

 正直言って、こんなに文章を書き続けているのにまだまだ語り尽くしていない。五十鈴大智の話を全くせずに終われると思いますか? 最後に少しだけ語らせてください。

『仮面ライダーギーツ』第23話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/24/

 五十鈴大智というキャラクターは奇跡のバランスとライブ感によって凄まじい着地点に到達したキャラクターでしたね。初登場時から五十鈴大智のことが本来の意味で大好きだったので、かなり嬉しいです。
 普通なら使い捨て、良くてかませ犬程度の扱いしかされないであろうキャラクターが、ちゃんとその世界を生きていて大事にされていたのが本当に大好きでした。
 スズメという弱そうなモチーフに、クイズ王という頭脳キャラ、そして余っているから流用された装備であるモンスターフォームのミスマッチ感と、無駄にカッコ良い名前。共通の変身ベルトの面白味ってこういうキャラが気軽に出せるところなんですよ……!!

 ジャマトグランプリ時代は正直持て余されていて後ろでニヤニヤしているだけでしたが、持ち前のキャラ造形の面白さによって「その場に居るだけでなんか面白い」という奇跡の存在感。決して出しゃばる訳ではなく、でも確実に存在感を放っていました。
 自分はこの時点から「最終的に共闘して、最高の仲間面をしてメインライダーと並んでナッジスパロウに変身するシーンが欲しいな~」と期待していました。結果的にとんでもない斜め上な活躍が待っている訳ですが。こういう自分の利益最優先の善悪で括れないキャラクターが生き生きしているのを見るのが大好きです。

『仮面ライダーギーツ』第35話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/36/

 ようやく再び変身したと思ったらどんなキャラよりも生き生きしながら戦っていたり、桜井景和に蹴落とされたことを意外と根に持っていることが判明したり、とにかく右肩上がりの活躍でした。ちゃんと五十鈴大智に尺を取って描写してくれるのが本当に嬉しかったです。主人公の強化フォーム相手に引きどころを見極めてちゃんと撤退できる男、五十鈴大智。ジャマ神バッファ相手には流石に逃げ切れずにやられてしまいましたが。

『仮面ライダーギーツ』第40話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/41/

 その後、ジャマトを育成する五十鈴大智が映って翌週に話を跨いだ時。わざわざナッジスパロウのひび割れたIDコアをベロバが拾うシーンがあったり、目玉商品のようにプレバンで発売もされていたりしたので「なるほど、あのIDコアで五十鈴大智の記憶を受け継いだジャマトが出てくるんだな」と予想しました。
 結果、ジャマトを育成していたのは五十鈴大智本人だし「そんなものは必要ない」とまで本人が言い出す始末。じゃあわざわざ尺を割いてまで入れたあの描写は何だったんだよ!! プレバン品の販促? そうですか……。

『仮面ライダーギーツ』第42話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/44/

 仮面ライダーではなくジャマトになった上で物語に絡んでいき始めた訳ですが、ここからの絡みっぷりがもうめちゃくちゃに物凄い。仮面ライダーギーツという物語のテーマの答えを勝手に一人で全部体現しだしたりする。描こうとしているテーマが一貫している以上当然なのかもしれないけれど、だとしても鮮やか過ぎてビックリする。
 五十鈴大智は「創世の女神に頼らずに自分の力で願いを叶える(≒願い続ければいつか叶う)」し、「仮面ライダーじゃなくても世界の平和を守ることができる」し、「間違ったことをした時は謝罪が大事で、そこから何度でもやり直せる」し、「平凡な人生に普遍的な幸せを見出すことができる」ということを、メイン筋じゃないところでどんどん体現していく。なんだったら「タイクーンを育てながらも裏切られたケケラ」に対して、「ジャマトを育ててちゃんと指示に従ってもらえる五十鈴大智」が皮肉になっていたりする。特に桜井景和回の扱い方は見事で、ジャマトグランプリの時の持て余しっぷりが嘘のように全ての要素が展開に噛み合っています。というか、ジャマグラの時に彼が見てきたものがここに来て結実し始めるという奇跡。彼の行動の理由にも筋が通っているし……。
 五十鈴大智という、あくまでサブでしかないキャラクターを、メインと同じぐらいの扱いでちゃんと描き切ってくれたことに感謝しかありません。

 自分は「ネタキャラ」という言葉が好きではなくて、五十鈴大智に対してもそういう呼称を使いたくないです。あくまで本人はずっと真面目に性格通りに生きているから。だから自分は五十鈴大智のことが大好きだし、公式が変な弄りや悪ノリをすることもなく最終回まで描き切ってくれたのが本当に嬉しかったです。
 それはそれとして面白いのは事実ですし、クソデカフラスコやピクミンみたいなジャマトはノリノリでやってたんだろうなとは思いますが……。ああいう物語やキャラを殺さない塩梅のふざけ方、めちゃくちゃ最高でしたね。

『仮面ライダーギーツ』第47話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/50/

 五十鈴大智というキャラからとことん出汁を絞りまくってたな……と終盤を振り返って思います。インターネットでの反響が公式や本人にも届いていたんでしょうね。
 これだけ絞っているのに「ナッジスパロウへの再変身」という弾を控えたまま終わっているのが驚きですが。「仮面ライダーではない」ことに意味があるキャラクターなのは分かっているんですが、いつか、”仮面ライダーナッジスパロウ”として人類のために戦う五十鈴大智が一度だけでも見れたらなと願っています。諦めない限り、夢は叶うから……!! 新フォームを引っ提げて帰ってこい!! あ、アウトサイダーズは結構です。
 劇場版で明かされた「ジャマトの元となった植物で地球は滅びた」案件のことも考えると、五十鈴大智が主役で地球を救うVシネマも夢じゃないはず。というか冗談抜きで地球の救世主になり得るのが英寿以外はお前しか残ってないんだよ。

『仮面ライダーギーツ』という番組の真面目さと、五十鈴大智の持つキャラクター性と、転んでいった展開と、役者さんの演技の全てが奇跡的に噛み合ったライブ感によって生まれたキャラクターなんでしょうね。二度と再現性は無いだろうし、二匹目のどじょうを狙っても寒くなるだけなので……。
 彼の顛末を前情報無しのリアルタイムで見届けられたのは、自分の人生にとって最高の思い出だと思います。最高の思い出がそれでいいのかは別として。

『仮面ライダーギーツ』最終話より 引用元:https://www.kamen-rider-official.com/geats/51/

 お前が一番生き生きしていて誰よりも幸せそうだよ、五十鈴大智……。
 敵役だったジャマトとの共生という誰よりも優しい願いを掲げる男、五十鈴大智。

 改めて、本当に最高の番組でした! 『仮面ライダーギーツ』!!
 ありがとうございました。自分の中で、一番と言ってもいいぐらい大切な作品です。これからもまだまだ玩具やフィギュアも届くし、ファイナルステージも参戦予定なのでまだ終わった気がしませんが、来週からロスで咽び泣く予感がしています。
 ここまで読んでくださった方も、本当にありがとうございました! 
 願い続ければ幸せになれると信じて、これからも頑張ろうと思います。


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