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藤林檎さんは人生を変えてくれた

 オタクの感情を言語化しようのコーナー。というか感謝を綴りたい。誇張表現抜きで今の自分はこの人が居なければ存在しないので。めちゃくちゃ推しへの感情が重たい。でも書きます。引かれない? 自分語り100%です。読んで。

 2021/4/11、とうとう訪れたミスiD2021卒業式の中で書いています。

 ヘッダーは人生の転機にもなったバーチャルチェキ会の時に撮っていただいたチェキ。

藤林檎さんについて

 バーチャルファッションが盛り上がっているVRoid界隈の中でも一線を画す活動をされている方という印象です。というのも、ファッションに主軸を置いた活動をする方が多い中で彼女は独自の路線で突き進んでいるから。

 じゃあどういう路線なのかと言うと、それは彼女自身が好きなのを公言しているアイドルに近いのかなと。自分自身はアイドルに対して彼女のように深くハマったことが無く、アイドルについて詳しく知らないので全然見当違いのことを言っているかもしれないけれど。実を言うとミスiDのことすら知らなかったレベルの世間に疎いオタクなので……。

 具体的な活動例を挙げるとやはりミスiD2021に起因する活動が多く、藤林檎さんを応援し続けてきた身としては出場前とそれ以降で変わったなという感覚があります。バーチャル/リアル問わず同じミスiD2021出場者との絡みが増えたり、配信活動等を始めたことで他のバーチャル活動者とのコラボが増えたりとか、応援し始めた頃を思い出すと考えもしていなかったなと。

 ただ、バーチャルやリアルなどという括りに縛られることなく”藤林檎”という存在として活動しているのは分かります。たまたまバーチャル体で活動をすることを選んだからバーチャルを主軸に置いているだけであって、良い意味で”必ずしもバーチャルである必要はない”と感じています。それは彼女自身がそういった活動をしている(と勝手に思っています)からでもあり、自分が彼女のそういった本質部分に惚れ込んでいるからでもある。誤解の無いように伝えておきたいんですが、だからこそバーチャルであることを最大限に活かした活動をしているともちゃんと思っています。

 そして藤林檎さんが考えもしなかった場所へと連れだしてくれる度に、自分自身もまた想像だにしていなかった日々を過ごすことになりました。

どう人生を変えてくれたのか

 ではどう変わったのか。一言で言うと、出会いをくれた。オタクらしく比喩をこねくり回すと、インターネットの片隅で独り生きていた自分に”個”を与えてくれて明るい場所へと連れ出してくれた。そういう感じです。人生を救われている。依存はしてないよ!

 その辺の遍歴は以前に自身のnoteにも書きました。

 これはVRoidだけに焦点を当てて書いたので割かしさらっと感じるかもしれませんが、ここに書いたエピソードも書いていないエピソードも本当にとても濃密な日々でした。

 自分がインターネットで誰かと仲良くする、そんな日々が未だに夢のように感じられます。それどころか、藤林檎さん以外にもミスiDに出場されるような方々と言葉を交わすことだってあります。藤林檎さんに出会わなければミスiDのことすら知らなかったオタクなのに!

 例えば、鏡崎やお。藤林檎さんを追わなければ彼女の生き様に向かい合うことも無かったでしょう。VRoidに触れている以上どこかで姿は見かけるかもしれない。フォローぐらいならするかもしれない。でも絶対に今ほど向かい合うことは無かった。note記事なんて絶対に書いていなかったと断言できる。

 例えば、終野澄歌さん。まさか趣味で聴いていたコンピシリーズに参加することになる作曲家と言葉を交わすなんて。全く別個の趣味と趣味が繋がった瞬間、世界の解像度が違ったように感じられたのを覚えている。

 例えば、有本みちるさん。なんとバーチャルの世界にも寄っていただけている。藤林檎さんの活動とかに感化されたのかなあと思うと勝手に誇らしい。ただバーチャルに生きているというだけで自分のことも認識していただいている驚き。


 閑話休題。ミスiD2021についてのnote記事になってしまいそう。こんなに住む世界が明らかに違う人たちとも藤林檎さんは巡り合わせてくれたんです。それは彼女自身が色んな世界を駆けているから。

 馴れ合いには興味ねーぜ! と強がっていた自分が今ではすっかり色んな人とコミュニケーションを取るようになりました。しかも凄い人たちと。並び立てるぐらい強くなりて~~~!!!

 藤林檎さんのおかげで出会えた人たちに、常日頃から感謝の念を抱いています。何度か藤林檎さんに直接感謝を伝えたこともあります。その度に彼女は言います、「行動したのはあなただよ」と。でも、だけど、それを踏まえた上で更に言いたい。キッカケも無く行動し始めることなんて自分には出来なかったと。

 Twitterアカウントを作ってから何年も他者との仲良くなり方がわからず独り言を呟くだけだった。Vtuberを応援し始めてたまーにファンの方のアカウントにフォローしていただくことはあっても、距離を詰めることは無かった。それに応援しているVtuberが居ただけでバーチャルのオタクではなかったし、界隈の雰囲気にも何もかもに置いてかれて常に独りだなあという感覚だけがあった。フォローを返しては皆楽しそうだなあとどこか遠くから見ていました。そんな自分が今ではくだらないことを言い合ったり通話でワイワイ騒いだりあれやろうよと誘ったり出来る仲のフォロワーが居ること、それがどれだけ凄いことなのか。恵まれてるなあとふつふつと感じるし、あまりの幸せに涙が出そうになることも珍しくない。本当に。

 バーチャルがかけがえのないもう一つの居場所になっていた。リアルからの逃げ場所ではなく、もう一つの居場所。独りじゃない、居てもいいという感覚。勿論バーチャル界隈の懐の広さも要因の一つではありますが、藤林檎さんに出会わなければそれにも気付けなかった。バーチャルは自由だなんて言われつつも、よく知らず遠巻きから見ていた自分は疎外感を抱いていた。

 正直こんなこと書いちゃって恥ずかしいという気持ちはある。いつまで経っても思春期みたいなことを考えて人の目ばかり気にして情けない感情ばっかりだから。カッコよくもないし可愛くもない。だけどだからこそ藤林檎さんに救われていると何度でも言う。彼女の背中を追いかけて応援していると、自然と前向きに生きていられるから。彼女を目で追っているだけで、俯いて立ち止まっているだけの時間が無くなったと感じられる。停滞することなく、少しずつでも何かが進んでいると思える。彼女は進み続けているのに、常に自分と変わらない距離で接してくれている。置いてかれていないということは、自分も進めているんじゃないかな、と思わせてくれる。

 藤林檎さんに出会えていなければ、心の支えも無く新社会人1年目で心がぽっきりと折れて終わっていたんだろうなという自信がある。今の自分がこうやって前向きな時間を持って生きていられるのは本当に貴女のおかげなんです。ありがとうございます。

 やべ~~~めっちゃ重い~~~たすけて!!!!! 怖がられるかもしれない。嘘。藤林檎さんなら喜んでくれると信じています。それはそれとして気持ち悪がられても仕方ないとは思いますが……。でもこれがリアルな感情だし……。

 藤林檎さんは未だにフォロワー1人ひとりを見てくれていて。自分のどうでもいいようなツイートにいいねを飛ばしてくれたりする度に喜んでいます。いつかフォロワー全員に目が届かないぐらい彼女は大きくなると信じているから、今しかないこの幸せを大事にしようと思う。まあ藤林檎さんならそうなっても可能な限り全員に目を配るんだろうなあと勝手に思ってますが。後方古参面で見守っています。ずっと。きっと。

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