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ただひたすらに、たこ焼きを食べた。


最近、なんだか楽しくなくて。

一体何が楽しくないんだろう。
美味しいものだって食べてるし、かつて挫折した事にも再チャレンジをしてたりしてて。
少しくらいは楽しいはずなのにな。



楽しい事ないかなぁと散歩に行って、自然を堪能しながら汗をダラダラ流しても。


昔からあったけれど、近くで見たらこんなこと書いてあったんだ。という新発見だってした。
わくわくするでしょ。

いつもの私なら。


鉄塔はいつも同じ場所で、無機質に建っている。
そんな出立ちに何故かホッとする。

ところで、どうして私は鉄塔を好きになったのだろう。しかも突然。
正直今でも意味がわからない。


冒頭でも触れたが、また音楽に触れる時間が増えた。
そう。私は何度もコレに打ちのめされては挫折して、を繰り返している。
ある時期までは、自分の人生において一番無くてはならないものだと感じていた。
音楽を聴くのは一生出来るけれど、演奏することが出来る時間はそれよりも限られていると、年齢と共にひしひしと感じるものがあった。

数年をかけて傷付いた心にゆっくりと向き合って。そして再び機会を得て、恐る恐る楽器ケースを開いた。久しぶりの感触にざわっとした。
また楽器を手にしてしまったらもう戻れないかもしれない。演奏する楽しさが全身を駆け巡るかもしれないよ。それでも良いの?

そんな葛藤があったりもしたのだけれど。

全然そんな事無くて。なんだ。


それからなのかもしれない。
私の中の“虚無”がじわじわと広がっていくような気がしているのは。

かつて苦楽を共にした仲間はもういない。
バカみたいに熱く討論して、面白いTシャツのロゴを読んで笑っていた仲間はもういない。
そっか、私はあの時、あの人達がいたから、少なからず“楽しい”という気持ちがあったんだ。

出た出た。失ってから知るってやつ。
私は寂しいんだって、今ようやく理解した。
理解出来たら急に泣けてきた。
虚無だった心が、ほんの少しだけ潤った気がした。



ポカンと何かを失った感覚を引き摺りつつ、「行きたい」と子にせがまれてお祭りに行った。

仕事から帰ってきて疲れているんですが……と、重い体まで引き摺って。
もうこうなったら背後霊やら地縛霊やら全部引き摺ってやる、という気持ちで会場に乗り込んだ。

日中はジメジメと蒸し暑かった気温も、夕方には爽やかになっていた。
海が近いので涼しいを通り越して若干肌寒い。

ゲラゲラと笑い転げる学生達。
光るジュースに喜ぶ子と、財布の中を睨むお母さん。
屋台マジ高くなった、と嘆く若者。
ベンチでひと休みしているシニアの方々。
見上げると淡い色彩の夕空があって。
さらりと海風が人々の合間を過ぎていく。



たこ焼きを見たら何故か無性に食べたくなった。
高い高いと思いつつ買ってしまうのは、お祭りならではの現象。

少し離れた場所に座り、賑わいを遠目で見ながらたこ焼きを一つ頬張る。
たこ焼き自体が久しぶりなのもあったのか、お祭りムードがそうさせたのか、とてつもなく美味しかった。
あ、写真撮ろう。と気付いた時には既に三つ食べた後だった。無心でたこ焼きを頬張る女、ちょっと怖い。

危うく子の分まで食べそうになった自分を制するように「食べるよね?え?二つでいい?本当?」と念を押した結果、まだ食べれる結果となった。
嬉しい誤算だった。

夕方のお祭り会場でたこ焼きを食べた。
何だかすごく楽しかった。
多少たこが噛みきれなくたって良い。
色々引き摺ってでも来た甲斐があったな。


さて。
ようやく“虚無”の根源が理解出来た事だし。
楽しいって気持ちも取り戻せそうだし。
何より来週、再来週と更に忙しそうな日々が待っているわけだし。いっちょ頑張りますか。

時々、今日みたいにフラフラと打ち込んでいると隠れている気持ちに気付く時がある。
そういう時ブログって良いなぁと思う。

楽しくない時も、楽しい時も。
全部ひっくるめてそれが自分の人生で、今を生きているということなんだ。

そんなことを再確認した日だった。


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