大好きなアーティストに初めて会いに行った日


2016年秋
初めてクリープハイプのライブに
行った時の話です。

現在とても好きなアイドルがいて、
そのアイドルに会いに行くことを
楽しみにするたびに
思い出すこの日のことを
振り返りたいと思います。

なんだかんだでもう
7年も前の話になるので
(そんなに!!!)
記憶が曖昧な部分もありますが
ずっとずっと書きたいと
思っていたテーマです。


ライブは秋で、
春にチケット申し込み、
夏に当落発表とか 
そんな感じだった気がする。

当落発表の日は、
会社の研修の最終日だった。
社会人としてあってはいけないことだが
研修の度に私は居眠りをしていた。
だがこの研修期間はチケットの当落が
気になって目がバキバキに開いていた。

色々と忙しく、夕方、
当落発表の時間には 
すっかりそのことを忘れていた。
同じ地区の同期を乗せて、
車を3時間くらい運転して、
夜、誰もいない閉店後のお店の駐車場で
同期たちと別れ、気がついた。
チケット。

私はメールを見て叫んだ。

チケットがご用意できました

嬉しくて
ライブの日まで何があっても
生きられると思った。

本当は、このライブが
初になる予定ではなかった。

その前の年、2015年
高校卒業式の日に地元でライブがあった。

でも行けなかった。

チケット申し込みの日、親に
「卒業式終わったらライブ行って来るね」
と言った。

「危ないから」
「どんな人がいるか分からない」
「そういうのは自分でお金を
 稼ぐようになってから」
「そもそも間に合うのか」などと
要するにダメだということを
淡々と言われた。

当時まだ学生だった私は
何も言い返せなかった。
それと、親は私にとって本当に
怖い存在であったため
反論するなどということは頭になかった。
関係が少し良くなった今となっては
この時くらいもう少し粘っても
良かったと思っている。

以下、忘れもしない当時17歳の私の気持ち
長ったらしく、子供らしいかもしれません。
読みたい人だけ読んでください。(いるのかな)

チケットを申し込む前から既に楽しみで、ライブのマナーや交通手段など色々なことを調べていたのに。私はこのツアーでやるアルバムが好きだった。これからもっとCDを出したら二度と生で聴けない曲もあるかもしれない。送迎して欲しいとか、お金を出して欲しいと言ったわけでもない。私はバイトもしていた。卒業したら一人暮らしだってする。色んなところに遊びにも行く。卒業した当日の私と、1か月後に社会人として働く私はそんなに違うのだろうか。何食わぬ顔で学校に通っていたけれど本当は傷ついて登校前に怖くて手足が震えていた。クラスの中心人物や人気者になりたかったわけではない。ただ怯えずに教室に居たかった。家で少しだけ愚痴をこぼしたかった。相談ごとを匂わせても「それも経験だ」、「あなたにも原因があるんじゃないの」としか言わない両親に期待をすることも辞めた。行きたくないと言う意思表示すら出来ずに毎日耐えるしかなかった。小学校から高校までずっと。それも強さだと言う人もいるかもしれないが、私は意思表示する強さの方に憧れた。ようやく迎えられる卒業式に、長い学生生活の一番最後の日に、一番大好きなアーティストが近くに来てライブをしてくれることは私にとって特別だったのに。


等、言いたいことは沢山あったが
「分かった」としか言えず
自室で“エロ“を聴きながら泣いた。

今日は明日昨日になる 
今日は明日昨日になる 
今日は明日昨日になるんだから もうやる事やろうよ
エロ 2014年


つまり今は今しかないということ。

曲名に驚いた人もいるかもしれない。
クリープハイプの歌詞は
下ネタや激しい怒りの表現も多い。
私も初めはそう思い、避けていた。

だけどYouTubeのおすすめに
“左耳“があまりにもしつこく
出てくるものだから
聞いてみたら、好きになってしまった。

左耳 知らなかった穴 覗いたら昔の女が居た
左耳 2010年


この歌詞は、
寝ている彼氏をぼんやり見ていたら
左耳にピアス穴があり、
きっと元カノと開けたものなのだろうな、
という女性の気持ち。なのかな。
それを、こんな言葉で表せる人が
他にいるだろうか?私はいないと思う。
歌詞にも、演奏にも、
とても大きな衝撃を受けたことを覚えている。


だけどまだファンになったわけではないぞ、
と“左耳“だけのために
TSUTAYAで【踊り場から愛を込めて】を借りた。

全曲好きになってしまった。

そこから、CDを全種類買い揃えるほどの
ファンになるまで時間はかからなかった。

それからずっとクリープハイプと
過ごした日々を歌詞とともに振り返る。


自分とはタイプが真逆なのに気が合って
でも一緒に行動したりするわけでもない、
不思議な関係だった女の子が
しばらく学校に来なくなった後、学校を辞めた日。
安否と事情が分かってほっとしたけど、寂しかった。

ずっと君を探してたんだよ こんな所にいたのか 
別に話す事もないけど 別に話すこともないから
なんか嬉しいな
リグレット 2010年


夏休みが終わったら
もっとちゃんと話かけようと思っていた
好きな人も学校を辞めていた。
クラスも違ったし、辞めたと知らなければ
「なんか今日も会えなかったな」で
済んでいただろうか。

ねぇ君はどう 素晴らしき日々を
君はどうだ 
僕はバイトしてます
バイト バイト バイト 2012年

近況を淡々と語りながら、遠くにいる人に
「君はどう」と歌う、この歌のサビは
寂しくて暖かくて好きだった。
バイト中によく頭の中で流れていた。


高校生活も半分以上過ぎた頃に
初めて友達ができた。
私には一生できないと思っていた。
お互い真正面からぶつかる勇気はなく、
少しのことでギクシャクしては
数日で元通りになった。
だけどたまにもう戻れないんじゃないかと
思う時もあった。

ずっと手にしてた物はずっと前に無くしたのかな
じゃあねまた明日おやすみで終わるやりとり
明日は当たり前が帰って来てくれますように
本当 2014年

教室では休み時間も放課後も
ずっと誰かが誰かの悪口を言っている。
それが私のことか、
違う人のことかは本能で分かる。
決定的な言葉が聞こえてこなくても
自分のことだと心臓が冷たくなる。
でも誰のことかに関わらず、嫌だった。
耳栓がわりにイヤホンをして
ずっと好きな曲を聴いていた。

卒業が近づく節分の日、
担任が鬼のお面をつけて
「各々の不満を言いながら、
1人ずつ私に豆を投げなさい」と言った。
私は卒業式にライブに行けなくて悔しい、と
言って投げた。

そして卒業式の日。
その頃には諦めがついていたけれど、
やっぱり心のどこかで
今日はライブやるんだよなあと
思っていた。

社会人になった。

同期が3ヶ月で完璧にこなせることが
私は半年経ってもまとも出来ない。
家で練習して、勉強もして、それでも上手く出来ない。

下手くそな固結びはいつの間にかもうきつく絡まって 
やり直せると思ってたのにな
リバーシブルー 2015年


社会には「パズルゲームが大好きな馬鹿」が
いっぱいだ。
邪魔してくるお客さんも、同期も、
機嫌の良い時はセクハラで、
機嫌の悪い時はパワハラな上司も
皆大嫌い。

そんな時は帰り道に大音量でこの歌を聴いたり
泣きながらカラオケで歌ったり、
嫌いな人を「パズルゲームが大好きな馬鹿」
だと思うことでなんとか踏ん張った。

アレに似てるとか誰に似てるとかなんでも
何にでも当てはめたがる
パズルゲームが大好きな馬鹿が
家では一人で飼ってる熱帯魚(ハムスターでも可)に
向かってどうしても最後のピースがはまらないんだとか
言ってるんだろうね
ばーか ばーか
身も蓋もない水槽 2012年


どうしても辛い時、何か環境などが大きく変わる時、
自分のことを人間だと思わない方が頑張れる時があった。
尾崎さんはそういう意味で
この歌詞を書いたわけではないのだろうが、
私にとってこの歌は応援歌だ。

そういえばいつから化け物になった
それでもこうして生きているのは
死ぬ暇も無いし
そういえば今日から化け物になった 2014年


大人になってから知った曲だけど
学生時代の自分に聞かせてあげたら
絶対に号泣するであろう“週刊誌“。

当時の仕事に対する気持ちが
そのまんま歌になったような“ウワノソラ“。

毎日、毎日毎日毎日尾崎さんは
私のことを歌ってくれた。
私のことではないけれどそう思ったっていい。

クリープハイプのことを
何も知らなかった頃
過激だと思っていた歌詞は比喩表現であり
誰にでも関係のある普通の感情だった。

音楽の力を借りてなんとか生き延びて
チケットがとれたライブに行くことになる。

あと数日でライブというところで
仕事の辛さが限界になってしまったり
お世話になった人との別れがあったり
それについて心無い言葉を言う人がいたり。
あと少しなのにあと少しだからこそ、
頑張れないと思ってしまったりもした。
なんとか耐えた。

ライブの日の朝、実感がなく
準備をしても朝ごはんを食べても
いつも通り仕事に行く朝と
何も変わらなかった。

滅多に破れないのに
コンタクトが破れた。
新幹線の駅まで車で向かう途中、
車線変更の際に
他の車とぶつかりそうになった。
完全に私の不注意だった。

もしかしたらライブに行けていない
世界線があるかもしれないとゾッとして
あんなに無くしたかった命に感謝した。

着いて、会場の場所を確認して、
時間まで何をしても気持ちが入らなかった。
お土産も、服も、何も欲しくなかった。
ただただライブの時間まで
何も見えていない目でウィンドウショッピングをした。

ライブ前に物販でTシャツを買った。
ファンになる前のTシャツがどうしても欲しくて
メルカリで買ってしまったことがある。(笑)
自分でライブに行って買えたことがすごく嬉しかった。

開演時間より5分程遅れて彼らが登場した。
この5分は本当に長く感じた。

1曲目はアルバムの1曲目で、
私はそれがとても嬉しかった。
いつも家で聴いていたCDと
同じ曲で始まるんだと。

ずっとずっと前にレコーディングした曲が
何ヶ月か越しに私たちの元に届いて
イヤホンで、スピーカーで、
何回でも、好きな時に聴く。
それはとても幸せなことだ。

だけど今ここで演奏して
歌ってくれているのを
今、聴けている。
どんなに嬉しいことだろう。
そのことが嬉しくて嬉しくて
涙が止まらなかった。
自分で生きてやっとこの日に辿り着けたのと、
彼らにこの日まで連れて来てもらったのは、
半々くらいか。最早ほぼ後者な気もした。

楽しそうに手を挙げる前の人たち。
私はあと何回ライブに来たら、
その余裕ができるだろうと思った。

楽しみ方は人それぞれだ。
初めてでも手を挙げて声を出す人はいる。
余裕とか、そういうことではないんだ。
ごめんなさい。

そして尾崎さんは、クリープハイプは
私のように直立不動でも楽しんでいる人が
いることを分かってくれている。

中盤少し落ち着いて来た頃、
幸慈さんは本当に楽しそうに気持ち良さそうに
演奏するんだな、とか
当時自身が耳コピしていた曲で、
カオナシさんのベースに耳を傾けてみたり。
拓さんはほとんど見えなかったけれど
聴覚で見た。
内容が間違っていないか怖いので
詳しい内容が書けないが
尾崎さんのこの日のMCはずっと覚えている。

ライブが終わった。

体が空っぽになったような気がした。
こんなに清々しい気持ちは初めてだった。
ずっと我慢してきた悲しい気持ちや
怒り、等のネガティブな成分が
自分の中からなくなったようだった。
ライブハウスの外は寒かったと思う。
でも冷たい風に当たると
空っぽになれた体をより実感できて
気持ちよかった。
生きたくないと思ったことや
生きるのをやめようとしたことは
あるけれど、こんな気持ちになれるなら
今まで頑張って良かったと思った。
生きて、また来たい。

周りの人たちは今日はどこに泊まるとか、
明日は何を食べるとか話していた。
私はこれから新幹線で帰って
少しだけ寝て明日すぐ働く。
これから辛いことが起こらない訳がないけれど
何回でも今日のことを思い出して、
また今日のような日があると信じて
頑張りたい。

帰ってお風呂に入って寝る準備をして
とても半袖で寝るような気温ではなかったが
初めて会場で買ったまだ洗ってもいない 
ライブTシャツを着て、寝た。


以上、結局は自分語りで
こんなに長い文章を
最後まで読んでくださった方がいたら
本当にありかとうございました。

さすがに7年も経っているということには
驚きました。記憶もそんなに鮮明では
ないかもしれませんが今でも思い出して
泣くくらいです。この文章も終始涙目で書きました。

辛くなった時、何かのライブに行く前、
アルバム【世界観】の1曲目、”手”を聴いた時
必ず思い出す日の話でした。
出来ることなら記憶を消してこの日をループするか
この日の私の目が捉えたものを録画できていたら
と思うくらい嬉しかったです(笑)

これを読んだ人もご自身にとっての
そんな1日を思い出してくれたら幸せです。









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