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浅葱色の覚書「一生使う予定のないアー写を撮った。」

アー写を撮りたいと思った。

アー写、stands for「アーティスト写真」。ミュージシャンやらゲーノージンやらが自身を紹介する際に使ったりする、所謂「宣材写真」的なヤーツ。わたしはアーティストでもインフルエンサーでも何者でもなく、ただ一般の社会人。自分を宣伝する必要など一切ない。
否、だから撮るのだ。一生使わないであろうに、わざわざお洒落して、ロケーションを考えて、バッチバチのアー写を撮る?これ程の時間の浪費があろうか。最高ではないか。それでこそ至高のアーチストではないか。これしかない。


とは云え、「撮りたい」と思っただけで、どんなアー写にするか全くイメージできていない。無論、これまでの人生でアー写なんて撮ったことないので、勝手がわからぬ。漠然でもイメージを捉えるために、手本とするアー写を決めることにした。

好きなミュージシャンたちのアー写を廻り廻ること小一時間。最終的に、我らがFontaines D.C.のアー写を重要参考資料と認めた。だってかっこいいんだもん。
夜の街。外車。やや奇抜なストリートファッション。たまらん。これだ。否、これしかない。

新譜たのしみ。

さて、夜に撮影を実行することも、装う衣服の方向性も決まったのだが、問題は「外車」的なものをどうするかである。外車なんて直ぐに用意できないし、かと云って自家用車(トヨタのずんぐりむっくりSUV)の前で撮るわけにもいかない。自家用SUVの前で写真撮るなんて、納車した学生がテンション上がってやるやつである。まあ外車が用意できないのなら、宇宙船でも探して、その前で撮るしかないか。
かくしてわたしは宇宙船の置いてある場所をGoogle Mapで探すことに。これまた小一時間ほど、知らぬ街をストリートビュー越しに探検。途中、「一生使うことのないアー写…?」と3秒だけ過ったが、見つけた。某所、小さな公園に不可思議な形の水色宇宙船が置いてあった。これしかない。


トヨタのずんぐりむっくりを走らせること数時間。公園に到着。宇宙船と邂逅。
全身が水色に塗られた宇宙船だったので、わたしも全身水色のジャージに身を纏った。掌が白かったので、水色の絵の具を塗った。洗ったら落ちる、安い水彩絵具。幼稚園の頃、手形を画用紙にぺたぺたするお遊戯をしたときに同様のことをした気がする。幼稚園生のわたしが、まさか20年後にアー写を撮るとは思いも寄らぬだろう。元気してるかい、リトルわたし。アクリルたわし。
カメラマンは、撮影の上手な友達に依頼。初めはマジで全部わたし独りでやろうと思ったのだが、手を絵の具で塗ってしまってはカメラを扱えないことに事前に気づけた。えらい。
撮影は難なく終わった。とても充実した体験だった。カメラマンの腕に感謝の限りだが、わたし自身の被写体としてのポテンシャルもなかなかのモノであった。完成したアー写は、それはそれはもう最高だったのだが、ここに完成を示すことはしない。
一生使う予定のないアー写なのだ。


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