最近初めて十二国記を読んだ人間の感想。

※ネタバレ多分注意。
『月の影 影の海』を一回しか読んでいない人間の感想なので間違い等あったら申し訳ない。
以下感想。

十二国記に関する前情報
・ネズミが出てくるまで頑張れ。
・ネズミが出た後は早い。
・とにかく話が複雑で凄い。面白い。
・(二次創作を見る限り)陽子は男前。
・『魔性の子』は最新作の前に読め。
・前半が地獄。
・とにかくネズミが出るまで頑張れ。

 『十二国記』には前々から興味があった。
 そもそも『南総里見八犬伝』『遙かなる時空の中で』『彩雲国物語』『ふしぎ遊戯』『暁のヨナ』等、和風または中華風ファンタジーが好きな私が何故長年手を出していなかったのが不思議なくらいドツボにハマる話なのは読む前から知っていた。そういう予感がしていた。だからこそ中途半端な気持ちで手が出せなかった。
 正直に言うと、私は文章を読むのがあまり得意ではない。読んでも一度で理解できないのだ。『八犬伝』は児童文学を何種類も読んで場面を理解した。『遙か』はゲーム、漫画、アニメで聴覚的にも視覚的にも補助があり世界観を理解できた。『彩雲国物語』の場合も同様に、小説、アニメ、漫画と多様なメディア展開で間口が広いように感じた。不足した読解力は漫画なりアニメなりで色々な角度からフォローすることができる。
 それに比べて『十二国記』はどうだ。『八犬伝』の様に多くの改編作品があるわけでもなく、アニメから入ろうと思えば「アニメは原作と違うので小説を先に読んだ方が良いですよ」とアドバイスを頂く。つまりジャンルへの入口が原作の「小説」しかないのだ。
 噂で「複雑」と聞くこの作品に、自身の読解力が追いつくのだろうか、という不安もさることながら、「前半が地獄」と言われれば「挫折」の二文字が脳裏をよぎる。私は痛い話と苦しい話が苦手だ。
 『十二国記』がどんな話なのかある程度知っていたらもう少し早く手を出せたのかもしれないが、前情報が上記の通りなのだ。ネズミのゴリ押し。

 一体どういう話なんだ?何故誰もネタバレを話してくれない?

 「アニメは原作と違うと言うなら原作はどんな話なんですか?」と訊ねれば「複雑すぎてどこから話せばいいか分からない」「読んでみてからのお楽しみ」的な返事が返ってくる。深く聞こうとすればするほど皆口を閉ざすのだ。
 ぶっちゃけネタバレが平気な私は、物語に対する不正行為とは知りつつも、ネットであらすじから話のオチまで検索をかけるのだが、まず十二国記に登場する言葉の意味が理解出来ない。蝕?胎果?海客?一体何の話だ。
言葉の意味さえ理解できない話は初めてだった。前半が踏んだり蹴ったりというのは知っていたので、せめてネズミが出るところから読み始めることはできないのだろうか。
 そんなことを思いつつ、フォロワー様方の強い推しの中『月の影 影の海』を手に取った。
(『魔性の子』は最新刊の前に読めとお言葉を頂いたのと、本の帯に「まずはココから!」と書いてあったのでとりあえず先人の意見に従ってみた。)

 読んでみると「本当になんでコレを読まなきゃいけないの?」と思うほど重苦しく長い陽子の旅を知ることとなる。
 現代の話はまだ明るいのかと思いきや、どんよりと薄暗く、人間関係もどことなく窮屈で息苦しい。そんな展開からいい方向に行くのかといえば、何一つも良いことがない。私はそれを知っている。
 女子高生を異世界へ連れ込むのは(乙ゲープレイヤー的に言わせれば)美形男子と相場が決まっているが、そのケイキと名乗る美形男子との出会いもロマンチックとは程遠い殺伐としたもので、負傷者まで出る。しかもその美形男子とは出会って早々別れる。知人の居ない異世界へ放置である。ケイキ、お前は攻略対象ではないのか。あぁ救いようがない。しかし、ネズミが出ればあとはとんとん拍子に進むという。それだけを希望に読み進める。(発売当初この話を読んだ人は先の展開を知らないままよく読み進められたなぁと感心してしまった。)
 陽子の旅は誇張した表現抜きで自身の旅の様に感じた。これが本の世界に入り込むということか、と初めて実感した。ネタバレを皆がしなかったのは、いや、しないでいてくれたのは、もしかしたらこの体験をさせるためなのかもしれない。
 まず登場人物が等身大なのだ。化け物が出てきたら動揺する、血を浴びたら悲鳴を上げる。殺生などしたことがない普通の女子高生なのだ。「そりゃそうなるわな」の反応続きで読み手と陽子の思考がリンクしていく気がした。正直異世界に飛ばされて何をすればいいのか分からない、どうすれば生きられるかを考える。家に帰りたい。でも帰る方法が分からない。自分が飛ばされてもそうなるだろう。
 トリップものは基本的に道筋ができていると思っていたが、それはチートだったのだ。助けてくれる仲間がいて、「○○を達成すれば帰れる」と導いてくれる伝承的なものがある。救世主ということで待遇も良い。――そんな莫迦な。
 ご都合主義とは言ったもので、それらは制作者の都合によって生み出された所謂「裏工作」だったのだと気づかされた。私のよくやるゲームだと、分からない言葉が出て来た時は「□ボタン」を押せば辞書が開かれる。専門用語はそこで確認できるのだ。次々と目新しい言葉が出て来たときにその機能があればどんなに楽かと思った。目的を見失えば特定の人物に聞くか、メモを確認すれば良い。ファンタジー物には何かしらメタ要素がつきものだ。「主人公」はともかく、「プレイヤーである自分」だけはある程度世界観を知った上で物語を進めることができる。
 しかし、『十二国記』は違った。尽く良い意味でも悪い意味でもリアルなのだ。当然ながら陽子は勿論、読者も何も知らない状況で異世界へと放り出される。ヒントもない。どこへ行くかも何をするかも分からない。0からのスタートだ。とりあえず「この世界に連れてきた張本人であるケイキという人物を探す」という漠然とした目標を立てて動き出す。(動き出すのにも時間がかなりかかった。体力も精神力も奪われていては当たり前の話だ)
 人が出てきた時はホッとした。異世界の割に言葉が通じるのだな、と疑問に思ったが、ファンタジー物にはよくあるメタ要素だと思いスルーした。(ここの疑問も後で回収してくれるのが凄い)それにしても、第一村人を発見した割に、どうにも雲行きが怪しい。保護をしてはくれないのか。この世界に味方はいないのか。そこで私はハッと気が付く。「ネズミが出るまで頑張れ」の言葉の真意を。
 「ネズミが出るまで頑張れ」というのは、「ネズミが出るまで誰も信用してはいけない」ということなのでは、と。つまり、ネズミが登場するまでに出てくる人物は簡潔に言うと「全員敵」なのだ。しかし陽子は気づかない。この先は人間不信になる出来事のオンパレードだ。
私が前情報(Twitter等で見かける二次創作)で知っている陽子はもう少し男勝りな気がしていたが、最初は本当に普通の女子高生なのだな、と思った。ここから生き抜く過程で精神面に多大な影響を与える出来事が起こるのだろう。というより、ここからの展開はある程度調べて知っていた。手を差し伸べてくれた女には騙され妓楼へ売られそうになり、同じ海客という老人には荷物を奪われる。読み進める過程で挫折しないようにと事前に色々知ってはいたものの、心を閉ざしていく過程が丁寧すぎるほどリアルに描かれていく。そして感情が死んでいく。もう些細なことでは驚かなくなる。男言葉になった理由も振る舞いも生きるための術だったのだ。違和感なく人格の変化を描き出す巧みな文才に驚かされる。
 フォロワー様方の言葉の真意に気付き、ネタバレを読んだ時点で私は全知全能という立場に切り替わった(普段そういう都合の良い視点で読んでいるため、先を知らないまま読み進めるのは本当に不安だった。ネタバレ万歳。そういう気持ちにさせられたのも初めてでそれも怖かった)が、何も知らないまま陽子の視点で見ていくと本当にしんどいなと思う。
 「これ本当に読む必要ある?色々あって感情が死にました、でよくない?」と何度も思ったが、自身の読解力の無さでは下巻から読んでも支障が出るだろうと堪えた。
 そして、全体を読み終えて思った。上巻は旅を進めるにあたって必要な話だったと。
 まぁそれは当然の話だ。作者が無意味に延々としんどい過程を何ページも書き綴るはずがない。だからこそ読み飛ばしてはいけなかったのだ。挫折しなかった自分偉い。
 そして待ちに待ったネズミの登場だ。
 可愛い!とても可愛い!出会いがまるでジブリの様で愛らしい!あなた楽俊っていうのね!
 今までおどろおどろしい表現しかなかったため、雨の中の愛らしき獣と水滴の表現がとても澄んだ清浄な空気を運んできた様な気がした。この気持ちをジブリで例えるなら、ラピュタは本当にあったんだ!というパズーに似た気持ちだ。先人の言葉は嘘ではなかった。
 その後はもうとんとん拍子に話が進んでいく。ジェットコースターだ。まるで上巻で出された問題の答え合わせをしていく様だった。上巻を閉じた後、「これ読み返す時が来るのかなぁ…。しばらくはいいや…。」とそっと本棚に入れたのだが、これが読み返さずにはいられないのだ。パズルのピースがはまっていくかの様な腑に落ちる展開の数々。まるでアハ体験。陽子を騙してきた女や、同じ海客という老人との出会いも、陽子をただ人間不信に陥れるだけの経験ではなかった。十二国という異世界についての重要なヒントが散りばめられていた。
 ぶっちゃけ下巻を読んだ後は「端から雁国にいれば苦労しなかったじゃん!」とも思った。しかし、それらの経験を無くして十二国に降り立った陽子は、果たして王になる決断をしただろうか。自分のことしか考えず、家に帰ることだけしか頭になかったのではないだろうか。自分と人の汚い心根を知り、落ちるところまで落ちた後楽俊と出会い、国の現状や実態を知る。これらの経験無くして王になる決断を下すことは、普通の女子高生だった陽子にできるはずがない。逆を言えば、それらの経験があったからこそ、陽子は王になったのだ。運命というのは非常によくできているものだなぁと感心してしまった。天命だからと思えば「なるほど」という気もするが。

 「陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることはなんの関係もないはずだ」
 人のことを気にしすぎる現代の人間にとって、これほど刺さる言葉はない。私にとってもストンと腑に落ちたというか、当たり前のことに気付かされた気がした。
 自分の話になるが、相手に反応を期待してしまう、見返りを求める、そんなのが日常茶飯事なTwitterを疲れるコンテンツだとたまに思い込んでいた。人を意図的に攻撃しなければ自由に発言して良い場所なのに、ちょっとしたことで一方的に不愉快になる人間が、私を含めてこの世の中に多いのだ。この言葉は自身の胸の中で何度も刻み直したい言葉だった。
 また、「やるべきことを選んでおけば、やるべきことを放棄しなかったぶんだけ、後悔が軽くて済む」という楽俊の言葉。作中の名言のなんと多きことか。
 そうだよね。やるべきことは分かってはいても自分に迷いがある時、この言葉があれば幾分か救われる気がする。あ~その言葉、受験の時に聞きたかったなぁ~!もう!
 そういえば、作中に泰麒の話が何度か出て来た。新潮文庫完全版の『月の影 影の海(下巻)』に掲載されている北上次郎氏の解説を読めば、『魔性の子』にもチラッと泰麒の話が出ているらしい。今の私は十二国記にかなりのシリーズがあることを知っているし、どの巻にどの人物の話が出ているかをある程度知っている。(延王と延麒の話が気になるのでその話を読みたいのだが、とりあえず順に習って『風の海 迷宮の岸』を購入する予定ではいる)しかし、当時の読者はこの先の話を知らないわけだ。勿論十二国の過去に何が起きたかも知らない。それなのに布石が所々に、それも回収しきれないほど置かれているのだ。現段階ではどれが布石なのかもよく分かってはいない。恐らく私は下巻で明らかになった事実を半分も理解していないのだろう。本当に作者の脳内はどうなっているのだろうか。
 読了後、冗談抜きで実際に十二国という国が存在するのではないかという思考に陥った。土台がしっかりし過ぎているファンタジーはリアルよりもリアルだ。政治も歴史も地理も細かすぎる。学べるなら学びたい。それこそ本当に実在するならば、もしもう少し早く出会えていたならば、八犬伝の様に卒業論文の題材として取り上げたかもしれない。
 そうそう、以前フォロワーさんに「陽子は無事に王様(?)になれるんですかね?」的な発言をかましていたのだが、王様に「なる」「ならない」ではなく、物語の序盤、もう景麒と出会った時点で「王」だったのだ。既に王になっていた。「うわーあれかーあれなのかー」となった。天命とラブロマンスはどこに転がっているか分からないものだ。うむ。
 とりあえず、思い付きでダラダラとまとまりもなく書き綴った感想だが、何も知らない今しか書けないものがあるのかもしれないし、この先この文章を読み返して思うことがあるのかもしれない。いやぁ~実に面白い旅であった。

 以上、『十二国記』って凄いなと、今更読んだ人間が書いた今更な感想である。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?