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察しすぎている私

夫と暮らすようになって、自分があまりにも“察しすぎている”ことに気付いた。
夫はいい意味で適当人間、おおらか、穏やかな人。
それに比べると私はかなり空気を読んでしまうタイプだと今更ながら知った。

例えば他人との会話で、表情や言動や口調の細部まで分析して、この人は実はあまり体調が良くないんじゃないかとか、言わないだけで本当はこう思っているんじゃないかとか、あれこれ推察する。
動画を見ていても、YouTuberのちょっとした変化まで見落とさず、何があったのかと考えてしまう。

自分が今までやってきた“察し”は結構度を超えているのかも、と最近思い始めた。
夫が鈍感な人だから余計自分の細かさが目立つ。
気付くことによって場を円滑にしたりとか、そういう良さはもちろんあるとは思う。
でも私の“察し”はちょっと手に負えなくなってきている。

色んなことに気付きすぎて、察しすぎて、疲弊してしまう。
まるで幽霊でも見えているかのように、察しすぎてしまう。
察して落ち込むことも多い。
他人が悲しそうにしているともらい鬱になってしまう私は、できれば他人のつらさを察したくない。
気付かないほうが幸せというのは大いにあると思う。

自分のこの性質を無理やり変えるのは難しい。
日々困りはするが、私の長所であると自認しているから。
でもやっぱり、もう少しおおらかに、適当になりたいなとも思うのだ。
夫とこれからも暮らしていくうちに、少し夫に似てくればいいなとか、ぼんやりと考えている。
無理に変えるのは大変だけれど、いつの間にか少し変わっていたらいいな。

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