スピードと円環

深夜二時半頃になると幽霊が出没しやすいという誰から聞いたのかも忘れたような迷信を、その時間になると思い出す。人は眠気を遠くから誘おうとすればするほど遠ざかり、宇宙について考えを巡らし始め、ぐるぐると回転する脳みそのイメージだけを加速させ、最終的になにもすることがなくなると、浜に打ち上げられたクラゲのように萎び、それをゼリーと形容されるようにあっさりと詩をつくるようになる。つまり僕は今、照明を落として布団の中でインターネットと打ち解けている。

君の足の甲に浮き出てる血管が囲んでる部分オーストラリアみたいだよね。と意味のわからないことを言ってきたあの人は、講義中にもバイト中にもこっそりソルティライチを飲むせいで、ライチの匂いを嗅ぐ度に思い出してしまう。気まずくなると爪と指の間を擦る癖のせいでネイルが端から少し剥げてることとか、ブラックコーヒーはマスカットのカップにカフェオレは椿のカップに入れることとか、たんぽぽの綿毛は絶対ため息で飛ばすこととか、カラオケでまず一曲目に闘いの詩を入れることとか、空きコマの時に近くの喫茶店に誘ったくせに一言も喋らずピース吸ってることとか、レンタルビデオの18禁コーナーで真剣な瞳を湛えたおじさんを模写することとか、テトラポッド指差してニヤニヤしながらこっち見てくることとか。

昨日、居酒屋でライチとジンジャーエールを混合させたドリンクを頼んだ。クセのない甘さだけが口の中に残ってふと思い出した。振り返ってみれば、という言葉はその言葉を使った時点でなにもできないから虚しくなる。言葉と思考は歯止めが効くが、時間に私情は挟めない。うまく拘束できないまま、そのスピードに置いていかれ、立派な体裁を取り繕って考える葦となる。それはその場から動かないのではなく、動けないことを意味する。いつか誰かの力なしではその穂は垂れ下がり、腐り落ちるまでだ。考えるとはその行為の根本から、考える前からずっと虚しさのスピードを上げて、一人ボブスレーを永遠に続けていることだ。人生は円環だ。周り続けて、周り続けて、どれだけ周ったか想像できなくなった時、暗転する。終わりを決められないなら、誰かに決めてもらった方が良いんじゃないかと思う。

スピード、上がることしか知らない。それを纏って景色を飛ばしていく人生、混じりすぎた色のせいで黒く見えた。

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