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我らは地主様

 「今日の飯は特に旨いな」
安村は丼に食らいついていた。
カツを二枚も小鍋に入れて卵を3個も掛けて特別豪華なカツ丼を自ら作ったのであった。
周りの入院患者は安村の食欲に驚いていた。飯の量も半端ない。
 丼からこぼれる程のご飯の上に大きなカツが宙に浮いている、見た目は驚異ですらある。
 「安村さん、先生に怒られるわよ、そんなに食べて後で苦しむわよ」
後日、給仕員の岡田敏江の忠告を聞き入れていれば良かったと後悔するのは当然であった。
しかし今、馬耳東風、一向に聞き入れない安村だった。
入院費用に含まれているとは言えど、敏江はあきれ顔で見ていた。

普通は患者のベッドまで運ばれるのが病院食である。冷えていてカロリー計算されたそれを美味しいという者は変人だろう。
しかし、この特殊な病院では食堂に全員が集い、銘々でご飯を盛り付けおかずもよそい、本日の様に自ら火を使って作って食べられるスタイルであった。
回復を早めるため栄養価の高い食事を摂れるように院長が決めたのである。
さすがに酒タバコは禁止だったが破る者もいたようである。愛煙家は見つからない喫煙場所を探し当てるプロである。厨房の裏戸を出て右へ曲がり死角となるコーナーには小さいながらも灰皿を置いており、数人がヒソヒソ声で歓談して退屈な入院生活を有意義に暮らす言わば天国のような日常であった。
さすがに酒を飲む奴はいない。病気が病気であるだけに禁忌であった。酒豪といえども飲む奴はいない。
日頃、仕事に明け暮れ時間に追われる生活が一変し、寝てるかテレビでも見ているのんびりした生活となり暇を潰すことに苦労する日々を得たのだ。

「安さん、相変わらずだね」
笑いながら食堂に入ってきた皮肉屋の高山がにやついた。
「おう、高さんカツがいっぱいあるぞ」
 また2人の掛け合いが始まったと一同が興味津々である。
「調子はどうだい安さん、あんまり食うと地獄の苦しみだぞ」
「でも一向に気配がない。そうなれば退院だからな」
 食堂には手術前の人、術後すぐの人、回復期で気ままに暮らしている人が総勢15人もいた。
読者は叔父さんばかりだと思うだろうが、そうではない。20代から40代までの女性が多くいた。
同病相憐れむというか、ここでは恥も何にも無い。私はこんなに痛かったのに手術してからスッキリしただの、さすがに手術中のスタイルは恥ずかしかったが痛みの前にはどうでもいいと開き直ったわだの、一般社会では無い赤裸々な体験話が花開くのが日常だった。
今から手術を受ける患者は耳をダンボにして聞き入るのだった。
わずか数週間の間とは言えど、実社会と隔絶した世界では男女貧富の違いを超えた団結があり、親子兄弟よりも親しい関係が存在した。
学生の運動部の合宿に似たとも思われるが、男女が混合された点ではさらに密接な関係とも言えよう。さすがに卒業仲間の同窓会まではと想像されるが、実際には定期的に集まる先輩たちも居るようだ。
実は、ここで知り合った男女が先月結婚した。
「尻会いになった」とつまらぬ駄洒落を言ったのは、当然のごとく安村だった。

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