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麻雀の本質⑦ 下手な人を馬鹿にしない


 今回の主旨は「格下の対戦相手に感謝しよう」ということである。


■バカにする人

 ツイッターなどのSNSを利用していると、同卓した人のミスをスクリーンショットを携えてさらし上げるような行為が散見される。

 こういった行動は、少し慣れてきた中級者によく見られるという論文が日本オタク行動進化学会から発表されている。強くなるために勉強し、自分が学んだレベルのことを出来ていない他者と、成長した自分とを対比したいからということらしい。

 しかし私の経験上、これはなにも慢心した中級者に限られるものではないように思える。麻雀を覚えて1週間ほどの人にも見られるし、天鳳十段レベルの上級者でも普通に見られることだ。つまり慢心や自己顕示だけでなく、ただ素直に驚いているだけというのも強い理由のひとつだと思う。

 驚きはある種の生理現象みたいなもので、これ自体を否定することはできない。それにほとんどは本当にミスであるケースが多い。とはいっても原因がなんであれ、積極的に相手に不快な思いをさせるのはあまり良くないだろう。

 

 そもそも「格下」とはどういう意味だとお考えだろうか?

 例を挙げると

 牌理に弱い
 点数計算が不完全
 リーチ判断が不得手
 理牌しないと認識できない
 速度計算ができない
 反射神経が鈍い
 多面張がわからない
 チョンボしちゃう
 常に金欠
 自分の待ち言っちゃう

 とまぁこういったことがよく言われる。要素はたくさんあるのだが、一言でまとめると「自分よりも損な選択をしやすいプレイヤー」ということだ。

 これを踏まえると、格下の対戦相手に感謝すべき理由が見えてくる。


■なぜ感謝すべきか

 一番の理由は、彼らがいるおかげで自分は勝つことができているからである。
 麻雀はゼロサムゲームなので、相手が損な選択をしてくれるおかげでこちらに得がまわってくる。こちらが最善手を選んでも期待値は増えない。


 自分の切り番で手牌のうちから1枚を切ろうとするとき。まずは切る前の状態で期待値が算出される。このとき最善手を選ばなければ自分の期待値は下がり、相手の期待値は上がる。だからといって最善手を選んでも、最初に算出された期待値を上回ることはない。

 例えば期待値が 約3400点 の手があるとする。

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 3枚待ち5200点 VS 7枚待ち2600点

 最善を選べばこの手の期待値は3400点のまま。それ以外を選ぶと期待値は下がる。
 この例の場合、最善手は打6sになる。打9sならば期待値は2900点程度になるため約500点ほど減点されることになる。

 (※今回は愚形が外側なのでドラを使ったカン8s待ちが高く評価されるが、【578s ドラ5s】のようなケースでは6sが弱いこと、9sが強いことによって差が縮まり、場況によっては逆転することもある。)

 相手がこのような手牌だったとき、打9sとしてドラを切れば麻雀の神によって500点が減点され、ほかの3人の期待値に計500点が加点される。

 つまり、【 相手のミス 】と【 こちらのツモ 】 このたった2つによってのみ、こちらの期待値は上昇する。
 反対に【 こちらのミス 】と【 相手のツモ 】 この2つによってのみ相手の期待値は上昇する。

 勝つためにすべきことは【 いかに自分がミスをしないか 】そして【 いかにミスをしやすい相手と戦うか 】の2つだけで、残る大部分は運。これは神のみぞ知ることだ。


■きっかけ

 私が麻雀でお気持ちを頂戴するようになったのが21の頃、そこから6年ほどの生活はほとんどそれがメインになっていた。
 通っていた場には当初20人ほど所属していたが、その中でに手強いプレイヤーは片手におさまるほど。かなりのペースで場が立つようになり、実力の低い人たちが淘汰されるのも時間の問題だった。

 当時の私の実力は並み程度で、それでも集中して打てば東風50ゲーム単位でもマイナスになることはない、それくらいの実力差があった。

 実力の低い人たちは本職として大手企業の役員だったり中小企業の取締役といった肩書をもつ人が多かった。それゆえ通り雨くらいの下ブレには涼しい顔で耐えていた彼らだったが、平成30年7月豪雨レベルの下ブレを引くとなかなかの給料をもってしてもキャッシュフローが完全に爆散し、賭場から完全撤退を余儀なくされる場面を何度か目の当たりにしてきた。

 そういったこともあって、フルパワーで打つよりも彼らのお賃金という名の油田が枯渇しないよう手心を加えて打つのがベストという結論に至った。
 特に3,4着のときには目の前の素点をガジりにいかず、最も負けている相手に忖度するような打牌選択を心がけ、半荘収支を越えて人生収支を考える余裕があるほどだった。

 そんな生活の中で、格下である対戦相手を馬鹿にする気持ちがなかったのかと訊かれたらNOとは言い切れない。
 しかし、そんな私でも相手に「ありがとうございます」という気持ちがどこかにあり、時が経つにつれてその気持ちは大きくなった。

 これを最初に意識したのは「自分が不利なゲームなのに、この人たちはどうして戦い続けるのだろう」という疑問が生まれたからだ。

 豪雨のような下ブレというのは麻雀をやっていればそこそこの頻度で訪れる。前述の通り、弱いプレイヤーのほとんどはこれに飲まれて塵となったが、彼らの中にはそれでも打ち続ける人もいた。ガンちゃんがその一例である。

 ある日の飲み会で、私はこの疑問を投げかけたことがある。相手は私との直対がほとんどないA氏だ。確かこんな風に訊いたと思う。

「白い帽子のBさんって本当にいつも勝ってますよね。Aさんはいつもどうやって同卓のモチベーションを保ってますか?」

 それに対し、A氏は軽いほろ酔い状態でこう返してきた。

「あいつはほんとに強えけどさ、一緒に打ってて楽しいんだわ。俺が勝つこともあるし、勝ったら儲けもん、負けてもあいつに金やるならそれは良いって思っとるよ」

 この言葉を聞いて私の中の邪気がスッと消えた気がした。いかに勝つかしか考えてなかったがゆえに、強い者と戦う気力を失っていたことを自覚した。
 対して彼らは、強い者に立ち向かって勝とうとしていた。実力は劣っていても、漢気やカッコよさにおいては彼らが勝っていたのだと悟った。

 単純に目的が違うというだけの話で、私は勝ちにこだわり彼らは楽しむことにこだわっている。これらはガチ勢とエンジョイ勢という言葉に代表されるように、それぞれ目的が違うのだから方法が異なっていて当然なのだ。

 この賭場で私はこれまで何度も爆運を引いてきた。それでも同卓拒否が起こらなかったのは、こういう前向きな心構えの人が少なくなかったからだろう。こちらも多少気を使っているとはいえ、私と同卓することに価値を見出してくれたのなら本当にありがたいことだ。それに気づいたころから、私は実力不足の相手を貶すような気持ちは一切持たなくなった。そして、感謝をする習慣が身につくようになった。


 こういうカッコ良さもあるんだな、そう思わせてくれたA氏を見ると、たれパンダのような泥酔状態でソファにぐったりしている。終電を控えていた私は相手のS級ミスに加えてこちらのツモも良いと場況を判断。ウェイターを呼び「この人あと30分したら起きるからそしたら会計お願いします」そう伝えて感謝とともに店をあとにした。



このノートがあなたにとって有意義なものであったらとても幸いです。