トリプルチョンボの男

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 その青年とは友人を通じて出会った。

 まだ19になったばかりの大学生で、根は真面目で正直だが抜けているところがあったり、他を批判することもある自信家でありながら、彼自身が否定されればすぐ落ち込んでしまうガラスのハートも持ち合わせていた。
 色々な経験の少なさから人前でアガって不用意なことを言ってしまったり、自覚なしに人を怒らせるようなことが何度かあった。

 そんな彼が麻雀にハマったのは浪人中で、大学に入って以降は授業の帰りに雀荘へ通いつめる日々を送っていた。麻雀で食っていきたい、そんな言葉を聞いたこともあった。一言でいえばレールから外れそうなダメなヤツ、よく言えば面白いヤツで、当然、変人好きのおれは彼をすぐに気に入った。

 おれに対する彼の態度は、小馬鹿にしたような扱いが6割、変なヤツだなというのが4割だった。そしておれもそういう扱いを受けて気に障るタイプでもなかったので、次第に打ちとけていき、共通の友人を数人誘って頻繁にセットを立てるようになった。毎日のように連絡を取り合い、彼のバイトのない日にはほぼすべてがグループ内でのセットで埋められ、多いときでは週に4日打つこともあった。セットが終われば行きつけの飯屋で酒を酌み交わし、ネットに落ちてる何切るを引っ張ってきてはこれは一択だの鉄ポンだのくだらない会話で盛り上がった。いずれこいつも麻雀で食っていくのかもしれない。出身や学校が同じというだけではなんの共感もしないおれが、こういうときだけはやけに親近感が湧いた。それほどまでに麻雀という存在はおれの中に深く根付いていたのかもしれない。


 ある日、五人打ちのセットが立ったときのことだ。
 彼の東発親番。抜け番のおれはその対面を観戦していた。6巡目に北家のドラポン2副露が入り、場は緊迫した雰囲気につつまれていた。ここで彼からお助けコールがかかる。

「な、なぁ!ちょっときてくれ!これどうしたらいい?!」

 当然、おれは西家と北家の手を見てしまっていたし、北家はドラポンだ。あくまで一般論としての発言だけに抑え、深いアドバイスはしないつもりでいた。

 彼の手を見てギョッとした。


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 少牌していた。ベタ降りするなら北家の河に切られている8sの対子落としがベストだろう。しかし「どうしたらいい?」と訊いてくるということは、彼は少牌に気づいていないのだ。観戦しているおれがそれを指摘するのは勝負に水を差すことになる。おれは知恵を振り絞り「真・雀鬼5」の松重豊氏のセリフを引用した。

「あんたも男でしょうが」

 このふざけたアドバイスを受け取った彼は「そうだよな!」となぜか納得し、なにかを決心したように呼吸を整えはじめた。まさかリーチなんてするなよ、というおれの祈りも届かず、数瞬ののちに彼の河にはリー棒と横になった7sが置かれていた。788から7を切ったということは、少なくとも8p8sの待ちではなく14mと思い込んでいるに違いない。しかし場をよく見ると南家は4mを456で鳴いている。つまり14mはフリテンでもあった。

 これはいったいどうなってしまうんだろう。おれは未曾有の展開に戸惑ったが、結末は意外にもすぐに訪れた。北家がツモ切った1mに彼が声をかけたのだ。

「ロンッ!!一発!」

 倒された手をまじまじと見る三人。そして彼らと対称に天を仰ぐおれ。放銃した北家が真っ先に口を開いた。
「4m切ってるじゃん」
 そこから次々に指摘が入る。
「っていうかこれ、牌足りてなくね?」
「テンパってないじゃん」

 フリテンリーチ、ノーテン倒牌、少牌倒牌のトリプルチョンボだ。「トリプルチョンボは12000オールになるのか?」という未だかつてない低次元な議論に突入したが、結果的に4000オールの支払いで済んだ。彼のあがり症かつ不注意な性格がもろに結果に現れた一局だった。こいつは麻雀に向いてないな、とおれは確信した。

 麻雀は非常に魅力的なゲームだ。それゆえハマりすぎるとレールから進路を外し、そのうちにどんどん深いところまで行ってしまい、普通の人生に戻れなくなる。そういった危険と隣り合わせのものなのだ。だからこういったあり得ないミスをするほど向いていないのであれば、すぐにでも辞めて真面目に大学に行ったほうが彼のためだ。
 人は失敗から学ぶことで成長できる。これを機に麻雀を減らし、もっと視野を広げて慎重に将来を選んで欲しい、そのときおれはそう願った。
 しかし幸か不幸か、彼はそこから怒涛の4連続和了を達成し、+80ものスコアを叩いて勝利した。そしてこう言ったのだ。

「いやーやっぱおれってツイてるわ」

 失敗のあとに続く成功は特に記憶に残り、誰もが失敗を深く反省しなくなる。神の悪戯か、麻雀の魔力か、あるいはこれが彼の運命なのか。彼はこの貴重な体験を活かすことなく、また麻雀漬けの生活に戻っていった。

 そして、「お前は向いていないから麻雀やめたほうがいいぞ」というおれの行きすぎたアドバイスが彼の自尊心を削り続けてしまったこともあり、おれと彼は次第に疎遠になっていった。



 あれから6年が経ち、久々に彼のうわさを耳にした。
 どうやら大学を無事に卒業し、いまでは立派に商社で働いているらしい。麻雀は趣味に留めてまともな道を生きる、当たり前のように聞こえるかもしれないが、そんな当たり前なことが、レールから離れ過ぎたおれにとってはなによりも手に入れ難いものなのだ。

「そうか、あいつは戻れたんだな」
 彼のことを話してくれた友人にそう返し、なんとも言い表せない安堵感につつまれた。と同時に、ほんの少し寂しい気持ちもあった。

 あれだけ麻雀が好きだったのだから、いまでも仕事の傍らどこかで打っているのだろう。どこかで会えたらまた遊んでくれるだろうか、などと愚かにも望んでしまったが、一考してすぐに取りやめた。彼は幸運にもレールに戻ることができたのだ。おれのような日陰者が接触すること自体、彼にとって不利益になるに違いない。

 そう自分に言い聞かすと、珍しくすこし憂鬱になった。




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