青年とクッション



 とある街の片隅にひとりぼっちで寂しがり屋の青年がいました。
その青年は早くに親元から離れ、町工場で働いていて、いつもほこりにまみれていました。
青年は18歳になったその月の末にお給料をもらいました。
少ない賃金でしたが青年にとっては十分でした。
なにせいつもひとりぼっちでいるので、一人分のものを買うことができればよかったのです。
でも、青年はいつもさみしさを抱えていました。
満たされない、からっぽの感じ。
求めても、友達も愛情ももらえません。
青年はそれがつらくて求めるのをやめ、自分の殻の中に引きこもっていたのです。

 そんなある日、青年が仕事の終わりに街を歩いていると、あるものが目に入りました。
それは、寝具屋さんにたたき売りされていたクッションです。
クッションは丸くてふわふわとしています。
青年はそれを見て、これだと思いました。
とても触れたくなったのです。
そのベロアにも似た、優し気な触り心地。
いつも触っている機械とは違う柔らかさ。
青年ははじめてものを買いたいと思いました。

 それから青年は毎日クッションを見に行くようになりました。
クッションは寝具屋さんのかごにぽんと置かれていました。
いつの日も、いつの日も。
青年はどうしてか、そのクッションに親近感を覚えました。
まるで俺みたいだ。青年は少しだけ手を伸ばし、置かれているクッションにそっと触れました。
するとどうでしょう。クッションから声が聞こえた気がしました。
青年はびっくりすると、あたりを見回し、胸に手を置きました。
青年は小声でつぶやきます。
「しゃ、しゃべった……?」
青年は腰を抜かしそうになりながらもう一度触ってみることにしました。
つん。
クッションは何も言いません。
青年はほっとして、その手のひらをクッションにくっつけました。
柔らかくてよく手になじみます。
そう思うといてもたってもいられなくなって、青年はお財布の中をからっぽにしてクッションを買ったのでした。
青年は今日の晩御飯でなく、クッションを抱きかかえて、小さな家に戻りました。
 
 青年は家に帰るとすぐクッションを撫でました。
クッションはいくら撫でても怒りません。
そうだった。俺は怒られたり、嫌われたりするのがつらかった。だから、もう一人で生きていこうって決めたんだった。
なんだか、クッションのことを急に抱きしめたくなり、ぎゅうっと抱きしめて夜眠ったのでした。
次の日、青年は起きると同時にクッションを確かめました。
すぐ横にちゃんとありました。
今日も優しい手触りです。
青年は「じゃあ、俺仕事行ってくる」とクッションに語り掛けました。
すると、クッションが少し揺れた気がしました。
ちょっと疲れてるのかなと青年は思い、眠い目をこすりながら早朝から仕事に向かうのでした。

 仕事から帰ってくると青年は思いっきりクッションを抱きしめ、額をこすりつけました。
仕事の最中、しんどいことがあったとき、青年はクッションを思い浮かべて乗り切りました。
疲れが出たのでしょう。青年はご飯も食べずにすぐ眠ってしまいました。
クッションのぬくもりに癒されながら青年は深い眠りにつきました。
 その夢でのことです。
誰かが青年に話しかけています。青年は聞いたことのない声に驚きました。
誰だろう。思い浮かぶ人がいません。
でも、とてもやさしい声でした。
「あの、すみません。毎日会いに来てくれてありがとうございます」
ささやかな声が聞こえます。
「えっ、だれ?」
思わず青年は口にします。
毎日会っているのは仕事の人しかいなかったからです。それに多分女性の声です。
「私はあなたに買われたものです」
「買われた……? 買った覚えないが……あっ?」
青年は最近何も買ってないし、人と話した覚えがないなと思いました。
でも、ひとつだけ。そうクッションを買ったのでした。
「……まさかクッション」
「そう呼ばれるものです。はじめまして。私をそばにおいてくださってありがとうございます」
「いや、あの、そんなこと言われても」
青年は戸惑いました。
「でも、うれしかったんです。ありがとう」
「いや、別に……」
青年は自分の顔が見えないのに顔が赤い気がしました。
うっ……クッションに話しかけられて赤くなる俺って……と青年は恥ずかしくなり、いたたまれなくなりました。
恥ずかしい、逃げたい、と思ったとき、青年は起き上がりました。
思わず、青年はクッションを見ました。
何も、ありません。
「クッション……?」
青年はクッションをぽんと触ります。
こころなしか嬉しそうでした。
青年はそんな夢を見る自分に嫌悪し、沈んで仕事に向かいました。
やる気がでない。なんとなく調子が悪い。青年は自分の調子がよくないことに気が付きましたがそれでも仕事は休めません。
青年はくたくたになって帰ってきました。
疲れた青年は床に倒れました。そして、クッションの存在に気が付きました。
「あっ……」
そして、クッションを抱きしめると泣きました。
なぜだか涙が出てくるのです。
青年の涙はクッションに染みていきました。
しばらくそうしていると青年は落ち着きを取り戻しました。
青年は柄にもなく小声でありがとうと言いました。
やっぱりクッションはどことなく嬉しそうでした。

 そうして、青年とクッションが過ごすある日、青年はクッションの破れに気が付きました。
もともと、縫いが甘いところがあったのでしょう。クッションのほつれたところから綿が出ています。
青年はどうしようと思いました。
なんとか綿を戻しても、出てきてしまいます。
クッションが痛そうだ、そう思いました。
青年は今まで貯めてきたお金をかき集め、寝具屋さんに行きました。
「すみません、このクッション直せますか?」
寝具屋さんは青年を見、怪訝そうな声で言います。
「いや、うちでは直せないよ。それに買ってから文句をつけられちゃ困るね」
「でも」
「でもじゃない。とっとといきな」
そう店主に言われて、青年は追い払われてしまいました。
青年は悲しくなりました。
「お金は払いますから! 直してください!」
青年はドアを叩きながら言います。しかし、その声は店主には聞こえていませんでした。
青年はとぼとぼとクッションを抱えながら歩いて、やっとの思いで家に着きました。
青年は言いました。
「ごめん、俺、おまえを直せなかった」
クッションは黙ったまま、ぽつんと青年の前にあります。
そして、青年は静かに泣き、クッションを抱きしめました。
その日の夜です。青年がうとうとしていると、声が聞こえる気がしました。
あの声です。
「クッション……?」
「私のためにありがとう。でもね、綿が出ているのはあなたのせいじゃないの」
「なんだって……」
「あなたが抱きしめてくれるから、私もあなたを抱きしめたくて。でも、私に手はないから」
「そんなことするなよ」
「私は綿が全部出てしまったら声が出なくなるけれど、愛してもらった記憶は
忘れない」
「愛……?」
「そう。あなたは私を愛してくれた。だからお返し」
ずっとそばにいるね、そうクッションは言うと小さく微笑むように揺れました。
青年は、ぽかんとしながらも、そっとしゃべらなくなったクッションを撫で、こわごわと抱きしめます。
やっぱりクッションはどことなく嬉しそうです。
そのあと、青年はとっぷりと眠りにつきました。

 朝目覚めると、そばにクッションはありました。
青年がクッションを撫でるとやっぱり嬉しそうに小さく揺れるのでした。

 おしまいおしまい。








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