見出し画像

いつか来る日の停年に向かって 

 

学ぶ姿勢、健康の維持、夫婦仲、蓄財・・・。どれも日々の積み重ねの結果でしかない。

だから、確かに「善き習慣」とは、人生最大の財産です。

意外なことに、年とっても善き習慣は定着できるのですほろほろ。



1.かなりヤバイ、問題


サラリーマン、50歳を超えると停年が視野に入って来る。

”会社辞めたいっ”を毎日念仏のように唱えて来た。

もう嫌な想いをしなくていいのです。早く辞めたいっ♪

いや、生き生きした定年後のおじさんを見かけない。

みな、受精後のサケのように廃棄物となり川に押し流されて行くような。

セカンドライフが輝けない理由って何だ?


停年=もう仕事をしなくても良い、という図式に騙されていた。

働くとは、傍(はた)を楽にするためだというが、ほんとは自分の為なのです。

仕事ストレスが無くなるとは、働く喜びや貢献感も完全に失うということ。

その証拠がわたしにはあった。


30歳で転職した時、何もしない3週間が辛くて発狂しそうになったのです。

不況が重なり転職に1年半要した。

ついに決まった転職先は大企業の研究所でした。給料も待遇もうんと良くなる。

上司が嫌で辞めたかったのです。給料しょぼい会社も嫌だった。

清々するはずだった。

余ってた有休を使って、3週間の休みは、るんるんなはずだったのです。

が、ぜんぜん嬉しくも楽しくも無い。猛烈にイライラして行った。

戻りたいとは思わなかったけど、何でもいいから”働きたい”って心底思った。

そう本気で願うじぶんが、まったく信じられなかった。


それをすっかり忘れていたのでした。

50歳過ぎたわたしは、また猛烈なストレスが来ることに震え上がった。

誰も褒めても喜んでもくれず、ただ時間をつぶすためだけに生きる。

自己の存在価値が脱落し何もすることが無いのです。

しかも、3週間どころか、死ぬまで無限地獄が続く。

「発狂しそうに成る」の次の段階って、1つのことしか思い浮かばない。それは、断然やばいっ。



2.つまらない男


わたしは、外出嫌いで、友だちもいないし、これといった趣味も無いのです。

本は好きではあるけれど、趣味だとは思ってない。

仕事人間といって良い。

all or nothingみたいな所があって、ほどほど楽しむという加減が分からない。

気が付くと朝、会社の机で目が醒めてたりした。

3か月1度も家に帰らず、仕事し続けていたり。

好きでしているというより、ガリガリやってしまうのです。

仕事が好きか?いや、そうじゃない。

やらねばならないというプレッシャーをじぶんでかけてしまう。

だから、会社や仕事=好きでは無い、です。

でも、このつまらない男は、会社や仕事を通じてようやく生きていたのです。

嫌々行ってた会社のお陰で外出し、いがみ合ってた同僚が話し相手で、仕事が趣味だったのです。

停年後、わたしは途方に暮れるどころじゃ済まない体質です。


わたしがもっとも恐れたのは、かのじょ(妻)への依存でした。

さすがに「おい、メシ!」とかは言わなだろうけど、じぶんでは料理の才能と気力が完全欠落している。

3食、かのじょにお世話になる中で、わたしははたして精神的に独立していれるのか?

あるいは、それ相応の見返りとして何かしてあげれるのか。

だいいち、わたしは寂しがり屋だ。

べったり、”濡れ落ち葉”となるであろうことが想像できました。

が、寂しいから、暇だからと人に依存するのは、わたしのプライドが許さない。


仕事に代わるほどの、何かを見つける必要に迫られていました。

ゆいいつ候補らしい”読書”で、豊かなセカンドライフ??

一般には趣味に分類されるであろう「読書」は、わたしには趣味じゃない。

あれは、ご飯食べたり、お風呂に入ったり、歯を磨いたりする生存のための”習慣”でしかない。

1日というリズムを運営して行く為の、良いも悪いも無い行為です。

それに、いくら本が好きだからといって何時間も読めません。

通勤時の30分間とか、寝る前の30分とかの制約がなくなれば、新たなストレス源となる。

習慣と義務とは近い位置にあるけれど、読書を義務にはしたくない。でも、他に楽しみは無い。

どうする、俺っ!

停年まで、あと10年でした。



3.出来ることを掘り起こす


当時の停年は60歳だったから、10年間で新しい習慣を作り出すことにしたのです。

それは、死ぬまで一人続けられそうなことで、かつ、じぶんが「出来ること」。

「好きなこと」という考え方もありますが、

楽しみだけのためする行為は、義務に替わると行き詰まる。それでは、仕事と何も変わりません。

ずっと昔からを振り返り、出来ることというのをリストした。


で、唯一、候補として残ったのが「書くこと」だった。小さな頃から、いっぱい書けました。

質を問わなければ、苦も無く出来る。よしっ!

新たな職業に成るかは分からないが、がりがり書いてみようとおもったわけです。

書けば、知り合いも出来るでしょう、なにか意外な話も転がり込んで来るかもしれません。

パソコン1台あればいいんです。


書くことはずっと、習慣とはなっていなかった。

生涯の習慣になるかは分からないけれど、やるだけやってみようと、ブログを1000日間書き始めた。

3年間も毎日書くってたいへん?

やれそうか、たいへんか、という考えは浮かびませんでした。

ガリガリなサラリーマンだったわけです。やるなら、やる。

ただし、人の言う言葉は参考にしなかった。

じぶんがしたいことではなく、できることを候補から選び出した。

そして、じぶんが実際に感じたこと、大事だと信じれたことを書くと決めました。

わたしが、定年後に発狂するか、廃棄物のサケになるか、あるいはみずから・・・

大袈裟にいえば、生死がかかっていた。



4.行為が習慣に成る


以前に触れているので簡単に書きます。

ネタを始終さがしていました。寝ても覚めても。

苦手だった詩や俳句、絵画にも、宗教にも読書の範囲を広げた。

いつも、2,3個候補を持っていて、仕事が終われば脱兎のごとく家に帰る。

食事をし、お風呂に入ったら、せっせと書き出します。

だいたい、1時間半はかかります。推敲に30分。

次の日のための試作をすこし書いて、そして寝る。

かのじょも子どもたちも、わたしをそういう人だと受け取っていたと思います。


実際に、この胸が感じたことを書く。

他者の言葉を引用しても、じゃあ、それがじぶんの胸の中にどう広がり、記憶の何が呼び覚まされるのか。

その想いの下に隠されていたのは何なのか。

そこが、わたしにはとっても大切なわけです。

そうでなければ、何もわたしが書く必然性が無い。

書くとは考えることではありますが、じぶんと向き合うという行為でしょう。

それをほぼ強制的に3年以上続けた。

高熱が出て意識を失った1晩を除けば、毎日書いた。

まさか、意識を失うとは思っていなかった。油断していました。

朝起きて、事態に気が付き、しまったとおもったら、かのじょがわたしに替わり書き込んでくれてた。

すみません。今日は意識がありませんので書けません、みたいなことを。


1000日経っても、2日に一度のペースで書き続けました。

それが、5年経っても、10年経っても。

停年はとっくに来て、今は14年目に入ろうとしています。

3日に1つ、というペースですが、実は毎日書いている。

ただし、たいがい書いたテキストはゴミ箱行き。

1000日縛りが解けても、続いているので、これはもう「習慣」となっている。

きっと、わたしは、ボケが来るまで書き続けるでしょう。



5.大切なこと


1つの記事に最低2時間はかかります。

3日に1個のペースだとして、13年間×365日×1/3=1600個ほど書いているはずです。

この倍は捨ててますから、実際に要した時間は、

13年間×365日×1/3×2時間×2倍=3163時間。

24時間休まずに書いても、これは132日要します。

膨大な時間を費やしたのですが、作家に成りましょうなんて話は来ません。

ほとんど、フォローもされません。

なので、新しい知り合いはほとんどできていません。

かのじょとの話がはずむわけでもないです。

ただただ自己満足な習慣が続いている。

だとしても、なぜ続くのかという、疑問があるのです。

やはり、書くって悩ましく、そしてたいへんですから。


先にも触れましたが、人の意見ではなく、じぶんが大切だと感じたことを書いている。

そして、じぶんがしたいことというより、出来ることを続けています。

したいことは続かない。が、出来ることなら続きます。

意外なことに、サラリーマンを長く続けた者は、自分の感じること、出来ることをしなくなります。

同僚や上司の目を気にしますから。

また、世間でもてはやされる事に目が向いてしまう。

やった方が良いだろう線上に自分を置いてしまうのですが、自分のこころはあまり喜んではくれません。


よし!書けたぁーと喜んで寝るわたしの姿をかのじょは、なんども見てきたと思います。

苦労がようやく形を為し、満ち足りて布団に入る瞬間は嬉しいものです。

ようやく書けたんだとか、じぶんで言うのも恥ずかしいけど、読み返してうるっとしてしまった、とか言う。

ああ、、ぜんぜんつまらないとか、だめだ!書けないとか、さんざん泣きつく。

こんなネタを考えていて、行き詰まっているんだとか言ってみる。

かのじょはどうしてあげようも無いにも関わらず。

かのじょは、淡々としていて、そのうち、自然発火したように、わたしは軌道を見つけ出す。。


これは、わたしが出来ることで、わたしがしていること。

わたしが、大切だと信じ続けられること。

かのじょに相談しながらと言うものの、わたしとかのじょを繋ぐ1つの居場所に成ってくれている。

停年後、どこで何をして過ごすかという命題だったはずなんです。

でも、こうして今日も書いていると、

仕事かどうか、かのじょと一緒に楽しめるのか、趣味なのか、社会に有意義なのかとかいう形式上の話ではないのですね。


違う道はあったのか?という疑問が湧きます。

その人らしさという気づきへのチャレンジが生きるということでしょう。

他人の言葉ではなく、自分の声に耳を傾ける。書けるか、書く必要はあるのか?

それは誰も読んではくれない時よりも、良い評価をもらうときはなおさらです。

善き習慣は、人生最大の財産だと言った人がいます。

仮に50歳に戻っても、わたしはやっぱり書く道を選ぶように思います。



この記事が参加している募集

#日々の大切な習慣

with ライオン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?