見出し画像

ももさんの「わたしの好きな百裂拳」


今日は、エイプリルフール。

全力で正直に書きますほろほろ。



1.導入部


うちだももさんが、自分も書いてみましたと百裂拳された。

自分の好きなものを100個言う。

https://note.com/umai_momo/n/n2eb7891add4d

ももさんの最初は、こんなで始まっている。

1.猫、特にキジ猫。お腹のシマシマとくっきり引かれたアイライン。

2.開田高原の風景すべて

3.静かな空間


ずるい。

読まされてしまった。

「キジ猫」なんてこの世にいたのか。なんだ、それ?

「くっきり引かれたアイライン」。

優雅に撫でられたようにスマートに猫柄が描かれている子なのだろう。

「開田高原の風景」がどんなものか、ちっとも何も知らない。

が、「お腹のシマシマ」という人が示したのだ。

きっと、お空に向かってのびのびと解放されてる高原なのだろう。

5月に吹き渡るアイラインのような風。それはそれは爽快なんだよ。

そう、そこはきっと「静かな空間」なのだ。


言葉とその前後がわたしの無意識層に繋がる。

読み手はメタ言語を読み解いて行く。

たった数行の、ワンフレーズ。言葉って、面白い。素敵だ。



2.百裂拳はかなり難しい


もし、導入部で喚起されると、その人の言葉にわたしは興味を持つ。

その人がどんなことで喜ぶのか、どんな本を好むのか、外を探索したがるのか。

その先に、願っているであろうことがほのかに垣間見えることもある。

百裂拳はこれを見せてくれるでしょう。


でも、好きだからといって、それが満たされているわけではない。

今手元には無いということもある。

ももさんだって、始終、キジ猫に囲まれ、高原で風に吹かれてわけでもないだろう。

そうは在れないから、好きだと言っているのかもしれない。

この手からずり落ちないようにと願い、好きだと言うのかもしれない。

いつか、そう成ったら、もっと素敵に生きれるかもしれないというのかもしれない。

いろんな好きに隠れて願いが百裂拳に現れる。

もし、そのひとの切なさを感じれれば、読み手のこころがウルっとし、それは素敵だ。



が、文章で「自分語り」することは、強く非難される。

ももさんの記事を読んで素敵だなと既に関心を持っていなかったら、わたしはこの百裂拳の話はスルーしたかもしれない。

そもそも、わたしが百裂拳したとして、いったい誰が関心を持つというのだろう。

わたし自身、関心の無い者の好きなことを読みたいとは思えない。

だから、文章で「自分語り」はご法度だ。

もっとも書きやすいテーマだが、とても難しい。

禁を破った者は、世間から無視という百叩きの刑に処せられる。


が、この世には猛者がいて、そんなご法度に果敢に挑戦したがる。

見上げた根性じゃないか!よしっ!

わたしも、習って百裂拳をバババッとケンシロウのように炸裂させてみたいっと思って書いてみた。

結論から言うと、ももさんに比べわたしはかなり「粗い人」。直情的だ。

そして、ももさんは外に目が開かれていていたが(外向型)、わたしの方が内向型である。

わたしも、それでは、行ってみよ~~!



3.実際はたいへんな作業だった


1.マリア様っていたでしょう、ダビンチの「ほつれ髪の女」

2.オラウータンのふにゃっとした目

3.かのじょと散歩する時の嬉しさ

4.夜中に鳴く山鳩のホーホーを遠く聴いている

5.棟方志功が描く天女の切れ長の目じり

6.父と母と稲刈り田んぼの山際に長い影落とし沈む夕日

7.我単純だなと思う、しあわせなヤマザキのアンコのパン

8.男もきゅんきゅんする、モモンガのおめめ

9・怒涛の世紀末、祖国を想うショパンの「革命」エチュード

10.無口だった、たぶん唯一の友だち、マサオ


11.春の日、雪が凍りどこまでも凍み渡れる山々のウサギ足跡

12.お金無かった、浜松のお店で楽しみに食べたキーマカレー

13.夏の日に地面をせわしなく歩くアリンコたち、健気

14.裏方に徹する愛想が無いようで、そうでもない駅員さん

15.定期の歯メンテでしてもらう歯ぐきマッサージの、ぐりぐり

16.いくつになっても驚く、ヒグラシの透明羽

17.1度だけ見た、桜の花びらが一斉に枝を離れる花吹雪

18.さあと、テキストを開きパチパチ打ち始める瞬間

19.星の王子様が書いた「人間の土地」ほろほろ

20.ホットコーヒーならなんでも、エスプレッソだって


21.自慢の母のことを話す時、鼻をすこしすするかのじょのクセ

22.未読なのにアニー・ディラードの「石に話すことを教える」

23.ずぶ濡れたらもっと素敵だ、真夏の夕方に土砂降りする雨

24.タバコが吸える換気扇の下のイス

25.ああ”、、1曲で天才だ、モーツァルト「レクイエム」

26.もちろん、死ぬまで辞めれないタバコ

27.このマンションの、控え目、優秀明るい男性コンシェルジュ

28.あまりの不器用さに泣いちゃう、宮沢賢治のアメニモマケズ

29.いつも驚く、掃除、洗濯の終了感

30.男勝りに酒店を采配した叔母さん(わたしには優しかった)


31.駅で配ってくれるポケットティッシュ様

32.関西人引く程に濃く甘じょっぱい、関東のかき揚げ駅そば

33.負けるとやっぱり悔しいPCの麻雀ゲーム

34.何度読んでも分からない、マハラジの講和集

35.1年中はいてる、黒くスマートなヨガ・パンツ

36.カウンター越し面と向かって揚げてくれるお店の天ぷら

37.冬、首に巻いては出かける黒のマフラー

38.私をさらって行ってはくれぬか、と詠った河野裕子の短歌

39.ヨガの聖典「ヨーガ・スートラ」(すこしはヨガもする)

40.この世のすべてのミート・スパゲッティ、命


41.オリビア・ハッセイ演じた「ロミオとジュリエット」

42.秋、道でふと枯れ草の匂いが鼻孔をくすぐる瞬間

43.厳しいけれどどこか優しかった英語の麻呂先生

44.脳に関する本すべて。ワンダーだ。

45.前世乙女だったと確信する、ボロディンの「韃靼人の踊り」

46.若い男子が食らいつくモリモリ、マシマシのラーメン映像

47.米良美一が歌ってる「もののけ姫」

48.神仏信じないわたしでさえ畏れる伊勢神宮の時空

49.毎朝食べてる、ハチミツとマーマレード塗った食パン

50.呪術の熱が踊る、ストラビンスキーの「春の祭典」


51.村上春樹の理知的なエッセイ

52.真夏のモコモコ湧き上がる入道雲

53.死ぬまで捨てないだろう、中勘助の「銀の匙」

54.真夏のへたる日差しに飲む、冷たい湧き清水

55.死んでも読みたい、スタインベックの「ハツカネズミと人間」

56.ほろほろと泣く、スティーブン・キングの「グリーンマイル」

57.ヨガの先生の人の好い旦那さん(僕はドモリなんですと)

58.「千と千尋の神隠し」の歌、「いつも何度でも」

59.論理的なようで直感的な、インド哲学

60.怒らない、かのじょがするちょっと困った顔


61.惚れてしまうやろ、ビゼーのオペラ「カルメン」

62.村中、弟と拾って歩いた秋のたわわな栗

63.読後ロス感のコニー・ウィリス、「ドゥームズデイ・ブック」

64.何だか人間変わる、フランクルの「夜と霧」

65.息が凍える。雪道に見上げた、冬のオリオン

66.いつか行こうという、フェアバンクスのオーロラ

67.朝晩の寒暖差激しい年にだけ山中が真っ赤に燃える紅葉

68.好きな本を手に持ちながら眠入る昼寝

69.好きな本を手に持ちながら眠入る夜寝

70.狂おしいゴッホの絵


71.正統派、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の熱

72.降り始めた雨が流れとなって坂を下って行く

73.かのじょが子たちとお風呂でいつまでもお歌を歌ってた夕べ

74.「ニュー・シネマ・パラダイス」の愛のテーマ

75.なぜか説得力のある、五木寛之と筑紫哲也の声

76.早朝の稜線を赤く染める朝日、鳥たちの起床のざわめき

77.ルオーの描く、静謐なイエスと沈黙と

78.緩いルートから時間かけて登る南アルプス

79.津々と雪が降り積もる夜の、完全な静かさ

80.寝る際、かのじょが息子たちに「雨降りお月さん」歌ってた夜


81.化石や石英を捜し歩くワクワク

82.ナタでバサッと割ったような、円空が掘る仏像群

83.冬中我慢してから、一斉に緑燃える山々になる雪春

84.かのじょが食べながらフンフンと歌を口ずさむ様

85.深宇宙まで宝石箱のように続く無数の星たち

86.農家に隠れ田んぼ掘り返して見つける縄文式土器

87.よく分からない量子力学(微小の微小の、宇宙)

88.「ローマの休日」のふたり

89.5歳の頃毎日遊んだ友達(学校上がる前、病気で死んだ)

90.ホテルラウンジでSangah Noonaが弾くピアノ


91.いつも仁先生が泣くドラマ「仁」

92.お寺の広いお堂でするヨガ教室。

93.至る所で泳いでた、透明な体の小さなメダカの春

94.興味を持った人との1対1の会話

95.ステンドグラスのある静謐な教会

96.何杯もご飯お替りした、母の作る卵焼き

97.雨の中する、パンツの中まで泥だらけになるラグビー

98.意外に明るい、雪が積もった月照らす世界

99.タバコ吸いながら換気扇の下で思いつくアイデア

100.ここに書くこと



3.メタ・メッセージ


書き出してみると、これは完全にたいへんだということが分かった。

そもそも、これを読むあなたもたいへんだったと思う。

50裂拳あたりで頭が痙攣してバシバシ打てない、辞めそうになった。へへ。

ほら、もう若くないのでそこで一休みした。


で、ようやく書き終わって、読み返してみた。

たぶん、1000個でも10万個でも、書き出しても「わたし」は分からない。

たぶん、反対なのだ。わたしは「無い」こと、notを無数に挙げないと定義できない。

・犬は怖くて近寄れない

・フェミニストではない

・過剰な音を許容しない

・権威や伝統を重んじない

・酢の物や春菊は食べない

・旅行は好まない

・友達を多く持ちたがらない

みたいな表記でないと、「わたし」を限定できない。

好きは、さらに外側に広がりを持ってしまうが、notは外枠をはめる。

が、それを読みたいという人はまずいない。


ももさんの百裂拳を読みながら、実は、言葉の広がりを感じていた。

「猫、特にキジ猫。お腹のシマシマとくっきり引かれたアイライン。」

ひょっとしたら、そこらにいた猫を無理やり連れて来たのだ。

横にして、猫のお腹にシマシマとアイラインを描いたのは、あなたではないか?

で、それを勝手に「キジ猫」と名付けているんじゃないか。

わたしの、「妄想百裂拳」が炸裂して面白い。

と、わたしのイメージが広がったのは、「わたしも、それでは、行ってみよ~~!」とあなたが書いていたからだ。

それは、すこしお茶目で自由なメッセージだった。

「ここから先は、あなたと一緒に楽しみたいのです」と言うあなたのメタ・メッセージだった。


メッセージをどう読んで欲しいのかという指示書をあなたが暗に記述していた。

百裂拳が「自分語り」に終始するのか、共有体験になるのかは、実はきわきわだ。

とても微細なメタ・メッセージ、あるいはメタ・言語の有無による。

人気のある書き手は、たぶん無意識にこの「メタ」の扱いを心得ている。

それが、その人らしさであり、その人のスタイル(文体)というものの1つの面なんだろう。

百裂拳をやってみて、そんなことを思った。


ただ、かなりたいへんなので、オススメしません。

また、あなたが最後まで読んでくれるのか、実はぜんぜん自信がないのですほろほろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?