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23歳のありふれた奇跡


愛は地球を救えないかもしれない。

真面目で正直なのは損するだけかもしれない。かもしれない。

が、24時間すべきことはある。

道徳的なはなしになっちゃったら、ごめんなさいほろほろ。



1.ザ・社長


たまたま目に入ってきたのです。

 「すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば必ずうまくいく」

それは、松下幸之助だった。

道徳的なイメージの人って、権威掛かっていて嫌いですよろよろ。

いや、これは、自ら実行した者にしか言えない言葉だったのです。


社長はん、わてらにそうして来たんでっか・・

社員たちは、びっくりしたでしょう。

そんなこと実行する社長を、どこにも見たこと無かったんだもの。

いや、誇らしかったかも。

彼の期待に応えたい、がんばろって思ったかもしれない。


わたしの過去が浮かびました。

役員室へ、”ご相談”に行ったのです。彼は5万人の頂点付近にいた。

天上びとでした。わたし、全身で相手の言う言葉を聞きました。

でも、彼はわたしに敬意を払わなかった。わたしは1つのコマでした。

彼は競って上がった者だった。さらに常務となり専務となって行きました。

けど、わたしに彼は肩書の人でしかなかった。

しばらくしたら彼は退職となり、その席にはまた似たような別な人が座った。

会社は、時代に遅れ沈んで行きました。


男たちは、言うんです。

今度は、こういう組織がいるとか、新しい政策が必要だとかとか。

幸之助さまのように、先ず自分自身を変革するなんて、そんな気の遠くなるような内的努力はしない。

でも、唯一、改変できるのは、世界ではなく”自分自身”だけでしょう。

あなたの見ているこの世界は、あなたから出来ているんだから。

だったら、あなたという個人が変容しなければこの世界は絶対、変わらない。

でも、既定路線に乗った男たちには、この話は理解できないのです。外ばかり変えようとする。


もちろん、あなたが変わっても世界は変わらないかもしれない。

いや、それは変わってから、そこで見晴らして確認すればいいこと。

きっと、幸之助さまは小さな1商店のままだったとしても、その内的な誠実さを辞めなかったでしょう。

彼の見ている世界は、彼が責任を負うべき世界だった。

わたしは、幸之助さまの言葉を単なる道徳として片付けれなかったのです。

「必ずうまくいく」。

自らを変容して行くパワーを彼に見ました。



2.こころ明るい人


妻や子を「自分より上の人だ」と接する男を、ほとんど見たことないです。

でも、幸之助さまはこれを実践したでしょう。

それほど、幸之助さまは見ている世界に対して真剣だったということです。

誰が自分より上か下かなんてどうでもいいのです。

たぶん、幸之助さまにはそうせざるを得ない熱が、愛があったでしょう。

わたしたちは、すべての人を敬い、信じることが大切だと松下幸之助は述べていました。


他者を敬い信じるって、自己防衛せずに、世界にこころ開く人です。

それは明るいこころの人なんです。

なぜ、そんなことが出来たんだろう?

彼は神仏を畏れたかもしれない。

伊勢神宮に行くと、入り口近くに彼が寄贈した建物がありましたから。

自分を特別視しないとは、自分を上回るスーパーな存在を確信している者でしょう。


彼は、きっと儚いわが身を知っていた。

そうして、幸之助さまは身近な距離から自分を試して行ったでしょう。

どんどん、自己を変容していった。

一切の万物からメッセージを拾い、学び続けた。と思う。

そんな破格なひとは、でも、今も居るんですね。

わたし、見つけた。同時代を生きていた。



3.23歳の底力


以前も触れました。カズマさんにハマってる。

高校出るぐらいまで、彼は英語をまもとに話せなかったそうです。

そこから、開眼する。

英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、トルコ語、インドネシア語、ロシア語、アラビア語、中国語、、と制覇してゆく。

会話だけじゃなくて、読み書きもします。

今日時点で13か国語まできていると思います。

ネットで見知らぬ相手と会話した映像をこんなふうに、公開しています。

世界中からのチャネル登録者は、90万人ほど。


彼は、わたしは言語を愛しています、そして人たちをこころから知りたい、と言う。

23歳が、ちょっと恥ずかしそうにそう言う。

ちらと見て欲しいのですが、真っすぐ相手を見ます。リキミはないです。

彼が世界を変えたいと思ってるかは分かりません。

でも、彼は、自分を変えていった。その結果が90万人でしょう。


どんな国の人に対しても尊敬の念を持ちます。偏見も差別もない。

相手が、日本ともめやすい韓国や中国のひとでも。ウクライナいじめてるロシア人でも。

経済が遅れているであろう、国々の人とも。


わたしには出来ない。ウクライナいじめるロシア人とは話したくないし。

でも、彼らの会話を見ると、「個人」はその「国」とはまったく別物なんですね。

画面の向こうにいるのは、いつも、自分と同じ”人間”です。

彼には、謙虚さとともに知ることに対する純粋さ、”愛”があります。

知らずと彼は、わたしに愛のパワーを教えてくるのですほろほろ。



4.人がこころ開く時の観察


ネットでは英語が世界標準なので、英語がうまくなりたいから、みなある空間に行きます。

けど、最初は、みんなツンデレみたいに不愛想なんですね。緊張と警戒を無意識にする。

で、彼は臆することなく、そこで相手の母国語で急に話し掛ける。

そうすると、相手は「あっ」って言う。

防御してたはずの構えを解かれ、柔らかな懐を突かれちゃう。

面白いほどにへろへろになるのです。

彼は、それが面白くて、毎度ドッキリを仕掛ける。イタズラ好きです。


中東やヨーロッパだと、いろんな事情で何か国語かを話す青年がざらにいます。

ドイツに逃れたアフリカや中東の人だと、ドイツ語を日常にしているけど、両親はアラビア語だったりするわけです。

最初、日本人が流ちょうに英語を話す。先ずは、感心してびっくり。

次にドイツ語を流ちょうに話し出す。非常に、びっくり。何で知ってんねん!みたいな。

実はと、今度はアラビア語で話す。信じられない!びっくりし過ぎてフガフガ言う。

相手は、ビックリを2度、3度と繰り返し、へろへろに。


はて、この人、いったい何か国語を話すんだろかと思い至るわけです。

聞くと、彼がサラリ13か国語を話しますとかいう。オーマイゴォー。

そんな奇跡、まったく理解できないので、なぜ、行ったこと無い国の言葉を知りたいのかとみんな聞いちゃう。

彼は、わたしはあなたの国の言葉が美しい、文化や地理に興味がある、そもそも人に興味があると流暢に答える。

そのレベルに驚いて、つい、どのくらいの期間勉強してるのと聞く。

と、彼はこの言語は3か月間ですとか言う。オーマイゴォー。


最初、人はツンデレなんです。

それが、一瞬にして顔を崩しフレンドリーになる。

そのチェンジは、毎度、ワンパターンに劇的です。

そして、女子たちは驚くと、口に手を当てるんです。国に寄らずみな、ほんとにそうする。

わたしは、女子族の遺伝子に埋め込まれたこのコモンな反応に感動する。わたしも、オーマイゴォー。

相手は、こころを開き、彼を好きになる。彼、cuteですから。

結婚してとか簡単にいっちゃう。わたし、女子族のダイレクトさに、オーマイゴォー。


警戒が一瞬にして壊される瞬間は素敵です。

みんなが、笑う空間に成る。

人は自分を尊重して欲しいのです。

そのリスペクトの証を彼はばっちり示して行く。みんな、がさっと愛にさらわれる。

敬い、愛すれば、身近な世界が開けて行くと、わたしも信じられるのです。

誰にも出来ない”当たり前”なことを、さらっとする23才。とても素敵です。



5.青年が大切にしていること


彼は、週に何日かは1日10時間はネットにへばりつく。録画のネタ探しと言葉の練習です。

1つの言語を1期間、ずっと集中して学びます。

で、3か月しか経ってなくとも、もうぺらぺらと話す。

フレーズで覚えます。単語や文法は後。

こういう場面ではこう言うというパターンを覚えてはネットで使ってみる。

アップル→りんごというような変換は脳にさせない。

そして、現地の人の発話を正確に再現する。彼はとても耳が良い。

相手は現地人の発話レベルを、アジア人の顔した彼がするので一層驚く。


幸之助さまは、事業を為すのに愛を注ぎました。

青年は、語学習得に愛を注ぐ。ほんとに好きなんです。

きっと、幸之助さまも彼を見たら、喜ぶでしょう。

尊敬と愛を両手に持った、人たちですもの。

こりゃ、うまく行かない方が難しいのです。

世界がどうだとか、きみんとこの政府がどうのこうのなんて言いません。

他責にせず、自分の出来るところから、自分の大切なことを、自分が信じるようにするだけ。

とてもシンプル。潔くないですか?



6.願うひと


青年も幸之助さまも、相手に心を開いて見せました。

かれらは、いつもこころ自由でいたいからです。

偏見無く心あそばせ、喜びで居たい。見つけ、学びたい。

だから、かれらはみな、自分の愛の想いを語るのです。


愛とは、一切条件付けずに、相手に対すること。

自分に防御を許さないとも言えます。

それほど、そのひとにとって生死にかかわるほどに、たいせつなことがある。

それは事業だったり、語学の習得だったりする。マジ、なわけです。

そのマジを大切にしたいから、謙虚である。愛を差し出す。

りっぱな人格者やクリスチャンになりたいからじゃなくて。


上司が部下に、教師が生徒に、親が子に決めつけるのは、改善を望んでいないのです。

さっさと処理したい。

男たちは自分に閉じ、防御だけとなるのですが、

実は、その際、なにかを切実に願ってはいないということが最大の問題なのです。

常に学び続けるほどに願うことが、無いのです。



ああ、、この目から見える世界は、わたしが見ている世界なのです。

自分の為に、虚栄を捨て学び続けるためなのです。

愛は地球を救えないかもしれません。

いいえ、先ずは自分がどう誠実に生きるかということだと彼らは示します。

これは道徳論ではなく、真剣勝負。勇気の話でしょう。

さあ、またがんばろって思うのです。

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