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書いたものを消したくなる ― リスクを取るということ


わたしが抹消できなかったのは、その醜い子がじぶん自身だからでした。


1.削除したくなる時


Upした記事の、あまりの人気の無さにしょんぼりしてしまうということがある。

たしかに、モヤモヤなプライベートを書いて、いったいどうしたいというのだったん?

じぶんがどうかしてた。Upしたことが恥ずかしい。

読んでもらえないのも悔しいような、情けないような。汚点を作ってしまったようで落ち着かない。

いっそ、消してしまおうか?

無かったことにしてしまえば良いんだ、と気がつく。

と、わたしも何度も思ったけれど、かつて消したことは一度も無いのです。削除しにくい。


最初は1000日連続で、その後は2、3日おきぐらいのペースで十数年書いています。

たぶん、3000文字ほどの記事を2000本ほど。

当然、品質にデコボコあって今も変動激しい。

で、消してしまおうかと思うことも、今も痛恨に起る。

けれど、そういう時、毎回思い直す。

「そうだっ!どんどん後続を書いてUpすれば、あの子はすごく目立たなくなるっ」と思いつく。

わたしは、きっと削除したくないんですね。

あの子は、巨大な干し草山に埋没するのだ。

わたしは、せっせと後続を出して行く。2日後、5日後、10日後・・。

ほら、誰の目からももう注目もされない、無かった子になってる。

そもそも、どの子だったかをわたしが忘れてる。


やっぱり、我が子を絞め殺すとは言わないけれど、削除はかなり気が引ける。

こころのどこかが、それは「いけない!」と言っている。

少ないとはいえ、誰かが見て「ぽちっ」と既に押してくれている。

産まれた子は自立してしまう。

その人たちの想いは無かったことにしていいんだろうか?

子を供連れに自殺をしてしまう人のような気がする。

どの子も精いっぱい書いて生んだ、というわたしがいた。

じぶんが抱いた”想い”も、都合で無かったことにしていいんだろうか?

他人様にどう思われるかで、なぜじぶんの”想い”まで恥じないといけないんだろ?

書きたいと、そう想ったのは事実だったのです。

じぶんの事実を否定してまで、人目に左右されるなんて、へんだな。

「しくじった感」を持ち、恥や外聞に挫けるじぶん自身が許せない気もする。

じぶんの想いさえ削除してしまうというのなら、いったいわたしは誰のために書いているん?

抹消は、この子は肢体不自由児だからと、受胎初期に抹消しようとするのに似ているような気がする。



2.お願い


最初、人気なかった。

はずなのに、いつの間にか人たちが来て、その後、ペタペタを押して行くことがあります。あれっ?

そういうことが起こると、ひじょうにじぶんを疑う。

なんなんだろうって、じぶんの「しくじった感」の判断基準が危うくなる。

えっ!あの子、素敵なの?

やはりあの子に込めた願い、感覚はこの世のどこかの誰かにはちゃんと伝わったんだと、急に元気に成る。

確かに、万人向けでは無いけど。

ちょっと自信が出て来て嬉しい。

最初はどんなに不人気でも、書き手は信念を持たないといけないんだなと、反省もする。


で、しばらくすると、むむむっていう記事がまた出て来る。

この2週間の期間でさえ、2回ほど「しくじった感」が起こりました。

で、消したいという誘惑が出たのだけれど、せっせと後続記事を出して知らんぷりした。

で、やっぱり、1つの子はその後、ぽちぽちと読まれて行った。あれれぇ??

で、なにをウダウダ書いているのかというと、あなたにも、ぜひ我が子を抹消しないでくださいと言いたい。


もちろん、それはあなたが生み出したもので、その子をどうするかはあなたのマターです。

でも、抹殺しても無かったことには出来ないはずなんです。

きっと、”隠して”しまったことをあなたのこころは覚えている。

「しくじった感」に替わり、今度は「後ろめたさ」を新たに背負うでしょう。


ほんとの自分をそのままに認めないで、自他に”良い恰好”をし続けるとすれば、自己を信頼できないでしょう。

偽りの在る時、わたしたちの心に安堵なんて来るんでしょうか。

きっと後にその子を評価してもらえることも出て来るのです。

いえ、それは、たった一人かもしれないんですが、

あなたのその時の意を汲んでくれる方が出て来ると思うんです。

どうぞ、その芽を摘まないで欲しい。



3.リスクをテイクする


実は、あなたは、だれかを傷つけてしまうかもしれないことに気が付いたのかもしれません。

他者や家族のプライバシーや権利をおかしそうなのかもしれない。

だから、あなたが抹消するってあると思う。

わたしもそのような危険に気が付くことが最近もあった。

でも、結局、もし書き手に悪気が無かったのだとしたら、ちゃんと敬意を払っていたのだとしたら、仕方ないです。

誤解や非難は起こる時は起こるでしょう。


つまり、わたしたちは記事を書くということでいつもリスクをおかしている。

逆に言えば、この子を出して起こることに責任は持たねばなりませんから、リスクを積極的にテイクするのです。

考え得るリスクを冒してまで、この子を世に出したいと望むのなら、リスクを覚悟するわけです。

この世に絶対安心なんてことは無くて、大なり小なりリスクは必ずある。

全員と仲良くしたい、良く思われたい、守って欲しいと、ずっと子を殺し続けるよりも、

ちょっと覚悟をしリスクを取るという意思がいると思います。


で、先に書いたこの2週間の内に抹消したくなった2件のうちの1件は、そういうリスクに気が付いた記事でした。

関係者を傷つけてしまうかもしれないと。

でも、わたしはリスクをテイクすることにしました。

それは、覚悟することによって、積極的に前に進めるからです。

リスクを恐れて縮むのではなく、胸張ってリスクを取ろうって。

それは、わたしにしては珍しく誇らしい感覚でした。

わたしはリスクテイクして出すんだ、この子は取り下げないぞって。

わたしのプライドがかかっていました。



4.みんなと生きる


既にあなたの子に「ぽちっ」と押していた人が何人かいたと思います。

お付き合いばかりで、みながあなたに「ぽちっ」と押してるわけでもないのです。

記事が優れているから、と押してるわけでもないのです。

あなたが、悩んだり苦しんだり迷ったりする姿を応援したくて、「ぽちっ」と押す人もいる。

「がんばって!」って声掛けしたでしょう。

あなたの産んだ子が障害児であろうが、あなたが精いっぱい生きようとする姿に共感する人もいるのです。


消してしまおうかと思うことも、今もわたしに起こります。

けれど、そうだ、良い記事も悪い記事もずっと読んでくださってる方がいると、わたしは思い出す。

わたしは、その方に正直でありたい。

良い恰好ばかりして、人気取りになりたいわけでじゃない。

幸せ探しをしている場合じゃない。

理解されないことや、受け取ってもらえないことばかり心配するより、

そのリスクをみずから取って胸張って生きたいと思うのです。


わたしたちは、あなたを応援しております。

言い過ぎていたら、ごめんなさい。

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