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仕事が辛いと思う時に忘れていること


退職すると気が付くことがある。「今」の扱いです。

今、未熟で至らなくとも、ぜんぜん働く上で問題ではなかったのです。

「今、してあげれることは何か?」という想いで働けば、じゅうぶんお客さんは喜んだ。

でも、ふつう、人は自己防衛するので、そんな発想は持てません。

と、仕事は辛いものとなり、嫌で嫌で仕方なくなるでしょう。

いつ幸せに成るの?今でしょ!という話がしたい。

もう何十年も働いてきたので、失敗した当事者として少しは言う権利もあるような気もする。

上から目線で言い過ぎてたら、ごめんなさいほろほろ。



1.すごい西川さんと、小野さん


ふつうは実名なんて出さないのだけれど、面と向かって言ってなかったので、もし本人が読んでくれたら嬉しいな。

で、西川さんは、お義母さんが通ったデイ・ケア施設の施設長。

若くて、30台後半だと思います。

住んでる街も高齢化し、候補となる施設もいっぱいあった。

でも、西川さんもスタッフもすごく”気持ちの良い人たち”だったので、そこにお願いすることに。

実際、彼は自分自身を気にしていないのです。利用者ファースト。

毎朝、出向いてお年寄りを車で拾って行くのですが、腰が低い。

そして、家族であるわたしたちに聞き、体調に変化はないか、家族の希望に変化はないかに集中します。

せっせと、手際よく年寄りを車に乗せて行く。。

ただ、それだけなんだけど、意識を自分に置かず、利用者に100%置いていることが分かります。

ちょっとしたモノで年寄りが楽になるのだったらと、施設側として100円ショップで買って来てくれたりもする。

彼から、彼の自我が落ちています。


利用者ファーストという姿勢は、スタッフにも伝染するのでしょう。

日によっては、西川さんじゃないスタッフがお義母さんを迎えに来る。

不慣れなスタッフもいるのですが、どのスタッフも誠心誠意、利用者に向いている。

嫌そうな感じ、今日は気が乗らない、不機嫌だという感じが落ちている。

年寄りのケアって、やっぱり向き不向きがあります。

不向きらしいスタッフもいるけれど、わたしはその人が気になりません。

西川さんほど完璧なプロではないのだけれど、サービスを受けるこちら側は、仮に落ち度があっても気にしないのです。

だって、その人が出来る精いっぱいでお義母さんに接してくれていると信じられるから。


住んでいるシニア向けマンションの1階には、コンシェルジュとして小野さんたちがいます。

老人しかいない巨大施設なので、いろんな問題がデスクに寄せられる。

で、コンシャエルジュは裁くわけですが、小野さんはいつもテキパキと気持ちが良い。

積極的にこちらにいつも声を掛けて来る。

きっと、長くホテルマンをしてたんじゃないかなと思わせるプロです。

もちろん、小野さんも知らないこと、間違うことがあるのですが、彼の意識は自分ではなく、いつもマンションの住人に向いている。

今、自分が出来ることは何かを考えているでしょう。

出来ることを精いっぱい提供する。

なので、こちらはいつも嬉しい。


他にもコンシェルジュがいるのだけれど、その人たちは、プロという感じがしません。

顔1枚の下に、不機嫌さ、戸惑い、恥といった自我意識があるのかもしれない。

それが普通だとは思います。わたしがそうだから。


マクドナルドのメニューには「スマイル 0円」と今でも書いてあるのでしょうか。

接客の極意は、自我を落として利用者、購入者に尽くすということなんだけれども、難しい。

わたしたちは、家族や上司や同僚と揉めていれば、不安だったり、不満だったりする人間だもの。

長時間労働で賃金も低いとなったら、なんだか悔しいし、納得も出来ません。

が、世の中には西川さんや小野さんのような”プロ”がいる。

自己の都合は捨てて、サービスに尽くす。

そのプロ根性は、しかし、誰でも出来るわけではないのです。

たぶん、働く上でもっとも、獲得しにくいスキルでしょう。

でも、利用者は絶大に、そのプロを信頼します。

彼らを見かけるたびに、わたしの胸が喜ぶ。

かれらには、利用者側から感謝と喜びが伝えられます。

それがかれらを、また、鼓舞するでしょう。

わたしたちは、想いを交換する生き物です。



2.女子たちに受け入れられるには


日本語講師(ボランティア)に応募して、7回ほどの講習を受けました。

まったく、日本語は難しい、ということが分かりました。

文の型から読み、イントネーションまで含め、教えるなんて絶望的に難しいと知りました。

本格的には400時間以上の教育が必要なところを、14時間しかしていないし。

ボランティアだからいいのか?


日本に日本語講師は4万人ほどいるのだけれど、半分はボランティアが支えているそうです。

移民だったり難民だったりと、そもそも学習者側にお金がありません。

なので、0円で教えてもらえるボランティア組織も、まあ、仕方ない。

シロウト講師でも、我慢してもらうしかない。こちらも無償だし。

でも、ボランティアだからいいのか?


越して来たこの街にも、1500人ほど”外国人”がいて、講師へのニーズが高いそうです。

一人の受講者に一人の講師が週1回、1年間付く。

ということで、街は講師を増やしたくて募集した。

30人枠の内、女性ばっかり、男はたった3人しかいない。

教えるだけでなく、生活の相談、不安の受け取りといったケア面が強い活動です。

教え授けるなんていうんじゃないです。世話係みたいなもの。

なので、自然と、子育てする女子が圧倒的に多くなる。

わたしたちを教えた日本語学校の先生も女性。

男3名は、どうみてもケア不向きなゴツゴツした男子。。


若い人から年寄りまで女子ばかりだから、わたしは緊張したわけです。

かなり嫌なんです。女の園って。

グループワークも多い。

で、こういう”疎外”空間にどうしても居ないといけない時、

わたしは40歳の時から一貫してじぶんに言い聞かせていることがあります。

「わたしはここでは誰にも望まれていない。わたしに誰も期待しない。

ならば、せめてみんなが少し嬉しくなるようなことをして差し上げよう」って。

期待もされず、不向きな者として空間を設定する。かんぜんに、諦めるのです。

と、じぶんの自我(エゴ)が出て来ない。


先生は女性ですから、この黒3人にもいろいろ突っ込んで来る。

わたしは、女子たちが抱いているであろう不安を代弁してみる。

生徒の立場だから先生には言い難いこともあるけれど、構わず問う。

そうなると、先生も女子たちも、わたしに関心を持つようです。

持たれても、わたしは最初から諦めている。

みんなのためにというミッションを張っているので、嬉しくともなんともない。

わたしはみんなの為に、真剣です。


自分の為ではない言動は、みんなにも伝わるのでしょう。

一部の女子たちは、本音をわたしに言ってくれるようになる。

わたしを助けてくれる場面も増える。仲間として遇してくれる。。

が、わたしは、人気者になりたくて教室に居るのではないのです。

わたしは、わたしの虚栄を落とすほどに、女の園が嫌なのです。

でも、わたしは奉仕すると決めたのでした。

ボランティアだからいいのか?ええ、ボランティアでも今、学習者にしてあげれることは無限にあるのです。



3.なぜ仕事が喜びをもたらさないのか


たとえば、新しい職場、新しい仕事だったら、わたし、緊張します。

覚えることがいっぱいで、パッツンパッツンになる。

失敗して恥をかきたくない。

出来ないことを上司やお客さんに非難されたくも無い。バカにされたくない。

一人前に出来ることを、自分に強いる。うまく”適応”できないじぶん自身を責める。。

と、とうぜん、仕事が苦痛になります。

周囲やお客さんを見ず、自分の虚栄と保身に走る者を、みんなはすぐに感知します。

いっそうわたしは保身に走る・・。


最初から一人前のデイ・ケアやコンシェルジュに成るなんてぜったい無理なわけです。

長くやったって、仕事には向き不向きもあるし。

出来ないことは出来ないのです。でも、今、出来ることならある。

あなたが、「そんなわたしでも、出来ることは何だろう?」という問いを胸に持つと、ぜんぜん景色が変わります。

できないことはできないと言えばいいのです。

「すみません、不慣れです」と言えばいい。

そういう代わりに、で、相手にしてあげれることを探す。

あなたが出来ることは、あなたにしか分からない。

そして、できることは必ず、ある。

手順を覚えてなくとも、立派な対応できなくとも、シロウトでも、ある。


空間にじぶんのミッションを張る時、100点を最初から目指していません。

わたしが今してあげれること、今できることしか考えていない。

意外なことに、自我を落とした方が、気が楽です。楽しいです。

職場なら、そうやって、1日が1週間、1か月、1年、10年と積み上がります。

周囲のあなたに対する評価は一貫します。

苦手なこともあるようだけど、いつも相手に向かい合う人だなって、信頼する。

あなたは、信頼にこたえようとする。

そうすると、周囲やお客さんは、場合によってはあなたを助けようとする。

ありがたいなぁ~ってあなたは思う。


仕事とは、ほんらい、そばの誰かを助けるという行為です。

あなたの一貫した奉仕の精神は、あなたを救うでしょう。

新人でなんにもできないとしても、スマイルならできる。

今でも、マクドナルドのメニューには「スマイル 0円」と書かれているのでしょうか。

あれは、店舗側のアピールというよりも、働く人たちを精神的に指導し、そしてエゴから守るためのメカニズムだと思います。



4.瞑想における「今」の扱い


「何もしない」をどんどん腹に落とすのが、瞑想だと先日書きました。

腹は、すべてのエネルギーを解放し、あなたが唯一安心できる所です。

「わたしは何でも無いもの」だということをそこで、受け取る。

わたし意識が落ちた時にしか、わたしたちは絶対の安心に至れない。

思考でいくら解釈しても、どっしりとした不動の安心は来ません。


で、なぜわたしはこの面倒な瞑想などというものに惹かれるのでしょう?

何もしないというこが、とんでもなく難しいことだからです。

何にもしないということにより、わたしたちは「今」に居ることができるようになる。

勉強できたら、良い会社に就職できたら、良い人と結婚できたら、子どもができたら、お金ができたら、健康になれたら・・。

そんなの何世繰り返しても、来ないです。

この今ではない時ばかり意識する、「何かに成らないといけない」病気は神経症でしょう。

かなり、やばい。

だって、今ではない何かに成らないといけないのだとしたら、いつまでたっても満たされないのですから。


東大出て、天下の会社に入って、素敵な人と結婚して、お金持ちになって、健康を維持できても、幸せにはなれない。

幸せとは、今、満たされる感覚ですから。

今、未熟だから、新人だから、おバカだから、才能無いからという前提は間違っていると言いたい。

きっと、あなたを幸せにできるのは、今。

今、在れるように在る。

今、不完全でも出来ることは山のようにあるのです。


逆に、もう年寄りだから、病気だから、お金が無いからというのも、「今」に居ません。

いつ、幸せになるのか? 今、でしょ。

「今」にしか、絶対の安心は来ないから、「今」を手に入れることはお金以上に大切でしょう。


言い過ぎていたら、ごめんなさいほろほろ。。



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