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ジュリアの文章 ― 細部へと目を向ける(2)


ジュリア・キャメロンが書いた『ずっとやりたかったことを、やりなさい』からです。

なぜ、こんな文章が書けるのか。

書き写していて、細部への眼差しに気が付いたと書きました。

彼女は、その目を祖母から受け継いでいた。単に細かなことを羅列したのではないのです。

しつこい引用、ジュリア、許してください。



(引用します)


私はよく、祖母から長い手紙をもらった。

「植物と動物の報告をします。

レンギョウの芽が出ました。今朝、今年初めてコマドリを見たのよ。

この暑さのなのに、バラはまだ花をつけています。ウルシが色づきました。

それに、ポストのそばのモミジも。クリスマスのサボテンは用意ができつつあります。」

手紙を読みながら、私はあれこれの場面を組み合わせ、祖母の人生を長い家族映画のようにたどったものです。


「お父さんの咳は悪くなる一方よ。

小さなシェトランド犬は子どもを早産したようだわ。

ジョアンナは病院へ戻って、アンナといるわ。

新しいボクサー犬をトリキーと名付けたの。

彼女は私のサボテンのベッドに寝るのがお好みのようだわ。想像できる?」


想像できた。

彼女の手紙がそれを容易にしてくれたのだ。


祖母の目を通した人生は小さな奇跡の連続だった。

6月、ポプラの木の下に咲く野生のオニユリ、川の岩陰を素早く走り回る、見事なツヤのあるトカゲ。

彼女の手紙は1年の季節感だけではなく、人生の季節感をも漂わせていた。

彼女は80歳まで生きたが、亡くなる直前まで手紙をよこした。

彼女の亡くなり方は、今日咲いて、明日散る、カニサボテンのように唐突だった。


彼女はたくさんの手紙と62年間つれそった夫を残して亡くなった。

彼女の夫、つまり私の祖父にあたるダディ・ハワードは悪運をしょい込むタイプで、ギャンブラー・スマイルをもつ上品なやくざ者だった。

彼は何度か財産を築いては失い、結局は失いっぱなしになった。

祖母が小さな小鳥たちに気前よくパンのかけらを与えたように、祖父は酒とギャンブルにお金をつぎ込み、気前よく使い果たした。

祖母が小さなチャンスを満喫したように、祖父は大きなチャンスを無駄にした。

私の母はよく、「あの男」と祖父のことを言っていた。


祖母は「あの男」とタイル張りのスペイン風の家、トレイラー・ハウス、山の中腹の山小屋、鉄道の駅などで暮らし、最後には安っぽいあばら家に住んでいた。

母は、「母さんがどうして耐えているのかわからない」とよく言っていた。

ほんとうは、祖母がどのようにして耐えているのかみんな知っていた。

彼女は人生の流れに膝までつかり、ささいな出来事をじっと見つめることによって耐えていたのだ。


祖母の手紙から私が学んだのは、人を生かすのは健全な判断であり、健全な判断はすべてに気を配ることの中にあるということだった。

それを私が学ぶ前に祖母は亡くなってしまった。

彼女の手紙はこうつづっていた。


「お父さんの咳はまた悪化したの。

私たちは家をなくして、もうお金も仕事もありません。

けれども、オニユリが咲いているわ。

トカゲが日の当たる場所を見つけました。バラがこの暑さに耐えています。」


祖母は苦しい人生が自分に何を教えてくれたかを知っていた。

成功しても失敗しても、人生の真実は、その質とほとんど関係がないということを。

人生の質はつねに喜ぶことの出来る能力に比例している。

喜ぶことのできる能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる贈り物なのだ。


(引用おわり)



書き写しながら、ふと思ったのは、かのじょ(妻)がいつも笑ってるということでした。

そういえば、かのじょは平らにすべてに注意を払っていて、細部についても話したがる。

わたしは、魚が安かったことも、隣のネコが子を産んだことにも興味がなくて、うわの空で聞いてきた。

わたしはあまり笑わない方だと思う。

不愛想というのとは違うのだけれど、喜ぶことを探していない。わたしはじぶんを観念的だとも思う。

でも、かのじょは悲しみの多かった人だから、その母と同じように喜ぶことを望む。

よく笑う人は深い孤独を知っているでしょう。

細部に宿る神は、きっと悲しくこの涙の谷を見ている気もする。

なぜか懐かしいジュリアの文章なのです。

ご参考になれば幸いです。

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