いじけて来た自分に気づく
今日は、1年の最後の日まぎわ。朝3時頃のことでした。
意識が戻って来て、あって気が付いた。
ああ、、わたしは愛を学べなかったんだ。
人を無残に殺したり、ストーカーしたりする人たちは、程度の違いだった。
いつまでもひがんだり、恨んだりする。いじめたりする人たちも、それは程度の違いでしか無かった。
みんな、母や人間たちから無償の行為を寄せてもらえなかっただけなのだと分かりました。
人を信じれずにずっと苦しんでいたんだということが分かった。
たった1点でわたしもそこに分類されていた。
愛というピース、たった1つが無いばかりに、いつまでもジグソーパズルが完成しない。
愛という言葉の意味が降りてきて、わたしはふとんの中で愕然とした。
あなたには当たり前のことかもしれません。でも、書いておきたいです。
1.母の告白
最近、はまってるYouTubeの動画があって、1つはフランス人の女子が恋焦がれて来日し、日本を紹介しているもの。
もう1つは、ベトナム人でこれと同じように好きな日本に来たもの。
日本に定着し、母国の母を日本に呼んだ。
わたしからすると、その母たちはちっとも素敵じゃないのです。無知だったり、我がままだったりする。
でも、どのような母の言動でも、娘は喜んでいた。
ここ1週間ほど、わたしはずっーと見ていた。
わたしは、愛おしいのに今でも母が許せません。好きだけど嫌ってる。
でも、同じ両親の元に生まれ育てられた弟や妹は母を守ろうとする。
あんなに”我良し”な母親って許せないというわたしと違って、かれらはそういう母を受け入れている。
もちろん、弟たちも分かっているのです。母が我良しだってことは。
でも、だからといって自分が母を愛するということとは矛盾していない。
わたしとの違いは何だろうってずっとわたしは気になって来た。
母は、不慣れな農家に嫁いで、農作業をし家に帰ったら食事の、お風呂の用意をしたそうです。
姑と小姑にいびられる。夫は何も助けてはくれない。
そして実家の母にはウソのしあわせを言ってきた。
彼女の母親は不遇だったので、自分の母には泣きつけない状況が続いた。
身ごもり、長男のわたしを産んだ母は、孤立無援でした。
あたる先は、わたしだけだった。
ある時、母はこんな話を大きくなったわたしに言いました。
「お前が小さい頃、ある日、わたしはいつものようにお前をぶとうとしたんだよ。お前に手をあげた。
そしたら、お前が身構えた。その目がいじけてたんだ。。
ああ、、こんなことをしちゃあいけないって思ったんだよ。」
すっかりいじけたわたしを見て、この子がだめになるって心底思ったのでしょう。
それからは、たぶん、わたしにあまりあたらなくなった。
わたしから4年後、10年後に生まれた弟や妹には、八つ当たりするということを母は封じたでしょう。
弟や妹は、母を好ましく受け入れている。わたしは揺れる。。
ああ、、そうか、そうだったんだ。
母はこういうことも何回かわたしに言いました。
「わたしは無学だったから、なにも子育てなんか知らなかったんだ。余裕も無かったんだ」。
そう聞くたびに、わたしはそれを言い訳として聞いていたのですが、そうではなかった。
若く負けん気の強い母がわたしにしてしまった罪を告白していたのです。
それはまた、自身も母親から隔離されて育ったという負の連鎖の先に起きたことだったでしょう。
朝方のふとんの中で、今までばらばらでいた記憶のピースたちが、わたしの中で突然1つに集った。
2.無残な生
36人もの命を奪った、京都アニメーション放火殺人事件。
先日も触れました。犯人の青葉は、全身へ重度のやけどを負ったのですが、主治医が献身します。看護師たちからも嫌われて行く青葉を主治医は守った。
青葉が近大付属の病院から京都第一赤十字病院に戻る際でした。
主治医は「おまえ、生きている価値がないって言っていたけど、俺と4ヵ月接して少しは考えが変わったか」と問うた。
で、青葉はこう返した。
「変わらざるをえなかった。こんな『低の低』の自分にぶつかってくれる人が赤の他人でもいるんだって」 。
愛を知ることができなかった壮絶な青葉の人生でした。だから、彼は自身のことを『低の低』だと言うのです。
いじけた者は、おびえ、また、仕返しをしようとします。
誰かを罰しないといけないのです。許せない。そうやって、愛を知らない者は生きて来た。
でも、たったひとりの存在によって、全て惨だった、言い訳にばかりの人生から救われるということもありえるのです。
罪は消えないし、本人の性格も変わらないけれど。
3.捨て犬
YouTubeの動画には、捨てられた犬を保護しようとする人たちの映像が多い。
捨てられた犬はいじけた顔をしています。
保護しようと近づいてくる者を警戒し、ううぅーと低い唸り声をあげる。
最初はエサをあげ遠くから見ている。犬はお腹がすいているから餌を食べます。でも、犬は絶対に警戒を解かない。
やがて、保護しようとする人たちは、そっと近づき手を差し伸べる。犬の鼻先まで手を差し出す。
犬はいきり立ち唸る。今にも噛みつこうとする。
けれど、手を引っ込めないと、やがて鼻先に触れることを許すのです。
わたしは、犬が好きなのにずっと犬が怖い。とてもじゃないけれど、いつ噛みつかれるかもしれない手を差し出すなんてできない。
でも、ボランティアたちは、怯まずに手を出し続ける。どこかで愛を受け知っているのでしょう。
犬がけっきょく人が触れることを許したのは、犬自身もまた人と触れたかったのです。
保護された犬は、数日、数週間と経つうちにもう普通の飼い犬と変わりません。
すべてを人間にさらし、駆け回る。嬉しそうに飼い主にじゃれつく。
捨て犬は、新しい飼い主を好ましく受け入れる。
捨てられ飢餓に苦しんだ恨みを、また無条件に手を差し出した者に救われた。
4.あるクライアント
これも先日も触れた話ですが、ある研究プロジェクトに応募してくれた被験者が、たまたまPTSDの治療に来ていたクライアントだった。
クライアントは親から暴行を受けつらい体験をして心に深い傷を負っていた。けれど、彼自身はすごく心が優しく思いやりのある人間だった。
不思議に思った研究主幹の教授は彼に尋ねた。
「どうして、いろんなつらい経験がありながら、そんなに優しい人になれたのですか?誰があなたに優しさを教えたのですか?」と。
その問いに、本人もすっかり忘れていたある記憶がよみがえったのだそうです。
「。。。僕は、目を腫らしてベッドに横たわっていました。
母親にひどく殴られ、顔に大けがをし、病院に担ぎ込まれたんです。
家族に見つからないように偽名で入院しました。
そんな僕を、ある親切な看護師の女性が優しくいたわってくれた。
彼女は、一晩中僕の手を握り、水に浸した布を何度も取り換えながら、腫れた目を冷やし続けてくれた。
僕は、その看護師から優しさを学び愛を知ったんです。。。」
”良い人間関係”を作る上で、親からの愛は絶対ではなかったのです。
それは、見も知らぬ看護師のたった1晩の献身でも報われた。もちろん、負うた傷は癒えませんが。
人生の困難に打ち勝つことができる人は、境遇というよりも、愛することを自ら知ることができた人、あるいは、愛することを身をもって教えてくれる人を見つけられた人だと教授は言います。
「愛は、学ぶものではありません。自分を愛してくれる人から吸収するものです。私も愛してくれたすべての人たちから、愛とは何かを直接伝えてもらったのです。」
教授はこう付け加えました。
「もちろん人間関係というのは、乱雑で複雑なものです。けれどもその一方で、研究に基づいてこう結論できるでしょう。良い人生は良い人間関係からできているのです。」
日本に憧れて来日し苦労した娘。その娘たちが母国の母を迎えた態度は、まさに「良い人間関係」のたまものだったでしょう。
そして、わたしの母は初号機での失敗を教訓に弟や妹を育てたでしょう。
5.文化遺伝
もちろん、わたしは青葉ほどの残虐はしない。
でも、じぶんの母や彼女のお義母さんに接するとき、ときどきイラっとするのです。
その苛立ちは、どんなにじぶんで正当化しようと、なにかをはずしている。
なぜ、じぶんが苛立つのかがずっと腑に落ちなかった。
けれど、朝方に突然脳に入って来たイメージでわたしは納得しました。
そうか、わたしは母から無条件の慈しみを受け取れなかったんだと。
わたしはいじけ、怒り、恨みを持ったでしょう。
でも、その母もそれを自分の母親から受け取れなかった人だった。
母は、わたしに彼女の苛立ちを、怒りを、不安定さを文化遺伝させてしまったでしょう。
わたしの言動と青葉のそれは違います。
でも、その底には愛を吸収できなかったという共通項があったのです。
まったく吸収できなかった青葉に比べると、わたしはすこし軽度だという違いはある。でも、いじけた者は、人を信じれないのです。
誰かをいじめるかもしれません。人を虐待したり、殺したりするかもしれない。
潜在化したその不安と怒りが、本人の意思に関わらず駆動してしまう。
ああ、わたしたちは愛して欲しかったのです。それを感じたかっただけなのでした。
でも、向けた先の母も、そうだった。
この文化遺伝はしかし、他者によって補修されるということもあります。
なぜなら、愛を受けた子たちは世界に散らばり、愛の手を他者の鼻先に差し伸べようとするから。
愛を知れない者は苛立ち悲惨な事件が起こる。いっぽうで、この世にはとても美しい愛の人たちもいる。後者は前者に、そこから先は自分で立ち向かって行く勇気を与えるでしょう。
今年はわたしにとって激動の年となりました。そして、最後の日にわたしをびっくりさせる天啓のような声が来た。
愛は感じて吸収するものだと。
それが足りないということが問題なのではなかったのです。
それがじぶんには足りないんだという事実を受け入れることが救いでした。
わたしの何も変わらなくとも、もう誤魔化したり混乱する必要がないのです。
すべてが氷解する、という経験だった。
あなたにうまくお伝えできていないと思いますが、書いてじぶんに差し出しておきたいです。
来年もまた、あなたとお話できたら嬉しいです。
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