羽化

私にはおそらく、慢性的な記憶障害と認識障害がある。
特別な診断を受けたわけではないが、おそらくそうなんだろうと自覚している。

認識障害というのは、人の顔をみて顔の造形を記憶しておくこと、またその人の名前を覚えるのが著しく苦手であるということで、

記憶障害はそこにもあるだろうが、
私は普遍的なものに関しての記憶力は特に問題ないが、波打つ海のように変わりゆくものを記憶することに困難を抱えている。

私は小さい頃から学校教育で施されるような勉強は得意な方だった。
特段時間を費やさなくても「いい点数」と呼ばれるような点数はとれたし、
不登校だった時も自分なりに勉強をして模試の成績は学校の中でトップの方だった。

しかし、人間関係においては誰よりもダメダメだったともおもう。
「自分と周りの世界の見え方が違う」と自覚したのは小学四年生の頃だった。

クラス替えの時、いままで別々のクラスだったもの同士の背の高い女の子が二人、私と同じクラスになった。
これは後から別の人間に聞いたことだが、
その二人はそれまで話したことはなかったし、新学期当初別に仲が良いわけでもなかったそうだ。

私には片方が桃色、片方が空色を纏ってみえた。
なんとなく相性がいいんだろうなとおもい、
「〇〇ちゃんと仲いいでしょ?」と何の気なしに聞いて、否定されたことを今も覚えているが、
その数日後には二人はその後15年続く親友になった。

人の雰囲気が色で見える。
逆に人の名前と顔の造形を認識することができない。
「たぬきみたいな顔してるな」とか、
「お猿さんみたいなかおしてるな」とか、
そういう人間ではないものに形容することはできるけど、

じゃあ似顔絵描いてみて、といわれてもほぼわからない。
有名人で言うところの〇〇に似てるよね、と言っても大体否定される。

自分と人との世界が違う。
それは育ってきた環境だけではなくて、
私自身の感覚にも及んでいたと言うことに違和感を持ち始めた高校生の時分、
「人の顔と名前を一致することに困難を抱えてる」ことは感じの悪いことなんだと理解した後、
しばらく悩んでいたことがある。

同じように、私は情緒的なことを記憶することが苦手である。
そして同時にそれも人当たりの悪いことなのであると思う。

私は20歳の頃、詳しい内容は割愛するが、抱えきれなかったストレスが原因で突発的解離性健忘を起こしたことがある。
朝起きた時に自分の名前がわからない、自分が何者なのかもわからない。
免許を見ても自分だと認識できない。

そう言ったことが半年以上続いた。
同時に私は幼少期に好きだったものや、私自身のアイデンティティとなるものを失っていた。

「何かが好きだった」と言う記憶はある。
でもそれをすり抜けていってしまった体のだるさは昨日のことのように思い出せる。

ビューローの上に置かれた埃の被ったカメラ。
まだ手をつけていない大量の洋書。
飲みかけのワインとまだ洗っていないグラス。
なんとなく綺麗だなと判る、カーテンから漏れる木陰からさす日光。

それが私が2020年の今頃に見た景色だ。
私が私で無くなった時、私の育ての母は時間が必要だといちご狩りに連れてってくれた。
この人はどうしてこんなに良くしてくれるんだろうと不思議に思いながら、
食べ放題であるいちごを食べることを遠慮した自分。

「何をしていたのか」は記録などで把握はしてるけど、
「そこにいた自分」はまるっきり忘れてしまった。
もう2度とそんなことが起こらないように私は今日も祈る。

あれから4年。解離性健忘が起こった時、
線維筋痛症を発症してしまい今年中に死ぬかもしれないと思ってから4年。

置き忘れてしまった過去を拾い集めながら、
過ぎ去って行きつづける今を大切に抱えて私は生きている。
「その時楽しい」は感じても、
「楽しかった」と記憶するまでやっぱり時間がかかるから、

私は誰かと何かをして楽しかったことを記憶できるように、
写真を丁寧に印刷しては壁に貼り続けている。

毎月貼り変わっていく写真の多さと、
私が楽しいと思っていたこと、生きた証は比例する。
それがどうしようもなく嬉しくてたまらないのだ。

最近、私は私の持つ障害について周りに伝えると言うことに躊躇いがなくなった。
それは「〇〇である私」ではなくて、「私自身」を見て仲良くしてくれる人が増えたからで、
私はそんな大好きな人たち囲まれて日々を過ごしている。

4年の間で私は羽化をする準備をしてきたんだと思う。

辛い澱みや喜びの声を糸にして自身を包み、
その繭の中で悲しい過去と楽しかった記憶を相殺して、心の中をドロドロに溶かし、
新しい私というものに生まれ変わり、
飛び立つ準備をしていたんだと思う。

長かったし、痛かったけど、嫌ではなかった。
私はその羽根でどこへでも行ける気がした。
後押ししてくれる大切な人をつれて、明日へ。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?