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慶應法という学歴を捨てて新卒オープンハウスへ

お久しぶり、ヘイチャンです。
最初のnoteを投稿して9か月経ちました。

そこそこの売れ行きだったので値上げしてしまって申し訳ございません。
モノを売るからには、もう少し、僕の経歴に透明性を出そうと思いまして、改めてnoteを書こうと思い、今に至ります。

結論から申し上げますと、私は現在、投資銀行にはおりません。
あれだけ大学生の時に憧れていた外資系投資銀行でしたが、自分がいまやりたいことと照らし合わせた結果、その選択はしませんでした。現在はとあるネット系企業で経営企画・IRをしております。

今回の記事ではオープンハウス時代の話をしようと思います。ファーストキャリアとしてのオープンハウス、これは誰しもが気になるコンテンツなのではないかという考えたからです。

最初に申し上げておくと、新卒で、いわゆる高学歴のカードを使わずに、ゴリゴリの営業会社”オープンハウス”に入ったことは非常に良かった、大正解だったと感じています。

※今から記載する内容はストーリーベースで記載しますので、もし、まとまった元をぱぱっと読みたい方はOpen Workから僕のレポートをご確認(企画系の職種のもの)ください。

第0話 投資銀行に行けない

 大学3年の頃です。外資系投資銀行や日系投資銀行のセカンダリー採用でインターンに参加しながら、社員との感触もよく、当時は投資銀行に行けると考えていました。もしかしたら、あの時期(チャイナショックの真っただ中 2016年)でなければ行けたのかもしれませんが、結果はいけなかったわけです。今だからこうして書けますが、当時は寝込みました。ゼミにもいきませんでした。心配の電話も無視して、ひたすら眠りについていました。周りの友人は投資銀行から内定をもらう中、僕は貰えなかった。まさしく劣等感ですよね。人生でおそらく5度目の挫折です。うん、ぼく結構挫折経験多めなんですよね(笑)

第1話 心地よく感じたオープンハウス

 ただ、ふと思い返すと、自分の人生は失敗だらけでした。落ち込んで落ち込んで、でも結局最後はうまくいってきました。それはあきらめなかったからです。そこで考えたのが、投資銀行には新卒でいけないなら、それとは違う希少な経験を積めばいい、それで20代を突き抜ければいいんだと思いました。そこで心地よく感じた会社、それがまさしくオープンハウスだったわけです。当時は時価総額1,000億円ちょっとで売上は2,400億円でした。当時から社長は1兆円を目指すと語っていました。そこで僕の脳裏に浮かんだのが、売上2,400億円の会社が1兆円になるストーリー、その中で20代過ごせば、突き抜けられる経験が得られるのではないかと思ったわけです。狭小3階建て、東京にリーズナブルな住まいを、いわば不動産のiPhone、それを提供しているのがオープンハウス、売れるに決まっている、1兆円なんて軽くいく。そう感じました。

第2話 社長からトップ評価で1か月で内定

 オープンハウスは6月から選考を受けて、6月末には内定がでていました。スピード内定です。社長からは非常に評価が高かったようです。それが僕のオープンハウス人生にとっては非常によかったポイントでした。「こいつは違う、もう学生じゃない、大人だ」というのが社長からの評価でした。おそらく、投資銀行に行けないキャリアからなんとか這い上がったマインド、そのマインドに高学歴っぽさがなく、社長からは心地よかったのだと思います。その高い評価のプレッシャーを背に、宅建やインターンに打ち込み、宅建は45点でした。50点満点とると豪語したのに......※これは僕らしい(笑)

第3話 配属はまさかの渋谷の戸建営業

 とはいえ、まだエリートの自分、慶應法の自分を捨てきれていませんでした。配属希望は戸建営業といわれるイメージ的に泥臭い部署を選ばず、ビル等の売買を扱うBtoBを希望していました。おそらく、それは社長から見透かされていたのでしょう。徹底的にエリート魂を拭い去るように、僕は希望通りとはならず、戸建営業の本丸の渋谷に配属されたわけです。ここで僕に火がつきました。これは社長からの「本当に本物の人材なら高学歴でも営業ができる、オマエはほんとに本物か?」かという挑戦状だろうと思いました。営業なんて自信はない、コミュニケーション能力の高いとは思ってない。でも絶対に売ってやる。トップ営業マンになってやる。感情じゃなく戦略で家は売れると証明してやると。

次の投稿は1年目、営業マン時代のお話です。
戦略的営業手法をストーリーベースでお話します。

続きが気になる方はスキしてくださいm(__)m

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