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君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ


Wi-FiルーターとiPhoneが上限を超え速度制限にかかり、データ容量課金を繰り返し早10日。
既に2万円近く課金している。さすがにこれ以上は無駄遣いなので、YouTubeの動画を保存しオフラインで見るという時間の潰し方をすることにした。


私の実家は浦安にあり(地元ではない)、大学生の4年間はディズニーの両パーク共通年間パスポートを所持していたため、週3〜4回のペースでパークに通う生活を送っていた。
加えてバイト先もパークの近くだったので、学生時代のほとんどを舞浜という土地で過ごした(残りは日比谷と宮益坂)。

浦安に住んでいると、常にパークをそばに感じる。
毎日打ち上げられる花火は20時半の時報だったし、頻繁に家の前をディズニーリゾートクルーザーが通過した。
風に乗って聴こえる蒸気船マークトウェイン号の汽笛は、西部開拓時代のアメリカがすぐそこにあることを想わせた。

ファンタズミックが始まると空が明るくなるというのも、そういう特別な日常のひとつだった気がする。


この1ヶ月、どんなに退屈でもそれだけは再生しなかった。特別思い入れがあるつもりはなかったが、なぜだか出来なかった。

きっとこれからも見ないと思っていたが、限られたデータ容量で残りの4月を生きなければならない私は、公開1ヶ月で再生回数300万回を超えたそれと、やむを得ず向き合うことになった。


ファンタズミックが始まった2011年4月と言えば、震災から1ヶ月が経ち、被災地のひとつであった浦安市は10日間の断水を乗り越え、徐々に日常を取り戻し、しばし休園していたディズニーリゾートも復活した時期である。
そんな時期に、母と2人で移住した。まだテーブルもない新居で、楽しい仲間がぽぽぽぽ〜ん♪と同じくらい、ディズニーリゾート休園中のCMをよく見たことを覚えている。

震災によりスタートが遅れ、コロナにより最後を誰にも見届けられずに終えるという波乱万丈な人生を歩んだこのショーは、私の人生で最も愛おしく大切な日々の、いつも一番近くにあった。


最初に見た時のことは何となく覚えている。とにかく感動して興奮した。私の場合、そういう心の底から湧き起こるような感情は全て涙として溢れてしまう。これからこんな素晴らしいものを、観たい時にいつでも観られるんだと、ショーへの興奮を新生活の始まりに重ねて胸を高鳴らせた。

最初の頃こそちゃんと場所取りをしていい位置で見たこともあった気がするが、それからの9年間、大体は人の頭と頭の間から、時には歩きながら何となく。
一時的に自分の中でDヲタとしての比重が増え、朝から晩までウォーターフロントパークに居座っていた時期は、遠くに打ち上がる花火と潮風に混じって聴こえる音を待ち時間の暇つぶしとして消化した。

最後に見たのは、去年の夏の終わり。
(分かる人には分かる、私のジャニヲタ人生において自担が辞めたことの次くらいに重大事件となったあの日である。)

ミステリアスアイランドからハーバーに出た時、折しも何分前かのアナウンスが流れ、せっかくだから見納めておくかと、やはり人の頭と頭の間から覗き見る形になった。

ショーが始まり、夜空を突き刺す白い光。
この光が、ショーの始まりを知らせるように浦安の夜空を明るくする。
雲ひとつない晴れの日は、何処までも続く紺色の空に吸い込まれるような気がしたし、雲に覆われた日は、光が雲に遮断され、本当はここはよく出来た室内遊園地なのではないかと疑いたくなるほど、空の天井が近くに感じた。

ショーの序盤、中央のマジカルハットにリトルマーメイドやピノキオの映像が映し出されるが、それ以外の空間が特に使用されず、やけに間延びした印象を受ける。これは初めて見た時からずっと気になっていた。
どうやらショーが始まった当初、震災直後であることを配慮してカットされたシーンがあるのだとか。
つまり結局、我々は最後まで完全版を見ることができなかったのである。

ショーは終盤。お馴染みのヴィランズたちがミッキーを悪の力で封じ込めようとする。
ドラゴンに魔法の杖で立ち向かうミッキーの姿は、ディズニーランド10周年記念のキャッスルショー「イッツ・マジカル!」を彷彿とさせる。

(まだ幼稚園にも入る前、いつどこで上演されたショーなのかも知らないまま、歌とダンスを覚えるほど見たのがこのイッツ・マジカル!だった。
私にとっては人生で初めて触れたエンターテイメントであり、実はEndless SHOCKの「Last CONTINUE」を観ると、このショーのフィナーレを思い出す。)


「き、君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ!」

ミッキーは己の力を信じ悪に立ち向かい、ショーはフィナーレを迎える。

私は横向きにした画面を伏せた。初めて見た時と同じように、様々な感情が涙となって溢れ出た。
何百回も観たけれど、一番に思い出すのは、水に映る美しい映像でもミッキーの勇敢な姿でもなく、バイト帰りに夜風にのせられ聴こえてくる音楽とか、家まで自転車を漕いでいたら一瞬だけ明るくなった空とか、そんなことばかり。
いつも私のささやかで愛おしい日常の、すぐそばにいたショーだった。



君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ。
タイトルにも掲げたミッキーのこの台詞には、ディズニーの魔法によって生み出される様々なエンターテイメントの意味が集約されていると思う。

魔法使いという名の人間によってつくられ可視化された夢が、見る人の目を通して心に届く。
エンターテイメントは夢のような現実だ。
常に日常と隣り合わせで立っている。

この先の人生で私がドラゴンのような強い力と決闘することがあるかは分からないし、その力を凌駕するほど強い夢を抱くことがあるかは分からないが、それでもこの先、事あるごとにこの言葉を思い出すと思う。

君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ。

一刻も早く、ショーの出来る平和な世の中になることを祈っている。