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子育てをシェアできないかと考える

札幌はいつ雪が降ってもおかしくないくらい朝晩冷えてきました。
我が家のじゃじゃ馬(=お姉ちゃん)は早くソリに乗りたいらしいです。
私は寒いのが苦手なので夫に任せたいasaです。

お姉ちゃんの赤ちゃんが返りがひどくて
弟くんが産まれて1ヶ月はおひさまが出ている間は下の子に触れることもほぼ許されなかった1年前。
(夫の母がつきっきりで弟くんを見てくれていました)
ごめんねという思いから夜の授乳で弟くんを見て、涙が流れることもありました。

弟くんが産まれて3日で退院
4日目に帰宅すると、おもちゃやおやつが散乱していて、この3日間のお姉ちゃんのワガママぶりがうかがえました。
お腹にいる時は喜んでくれていたように見えていたお姉ちゃんもいざ赤ちゃんが家に来ると、
「弟くん、要らないんだよねぇ!」
と言い放ち、わかりやすく赤ちゃん返り。
マイナス1歳=2歳児に戻ったようにトイレまで後追いしてきたり、少し出来ていたトイトレもイチから、産院が天国だとしたら一気に地獄に来てしまった感覚を覚えたのが懐かしく、思い出すとホロリとしてしまう過去です。
当時、お姉ちゃんを乗せた帰りの園バスが来る14時10分が近づくと怖くなってしまうくらいお姉ちゃんの「私だけを見て!」パワーが強烈で、鬱にならないようにと強く自分に言い聞かせて毎日生きることに必死でした。

お姉ちゃんが弟くんに手を出し、それに対して咎めたところ、何をしても泣き喚き怒ってその場が何をしてもおさまらなくなったときに、いっそ交番にでも行って話を聞いてもらいたい。この状況を抜け出したい。泣きたい。助けて。って思った日が過去に何日かありました。
お姉ちゃんと一緒に泣いていたこともありました。

そういう1人じゃどうしようもない時、大人が誰か1人でも居たらいいのに
大変だよねって。言ってくれるだけでもいいから、弟くんを抱っこしてくれるだけでいいからって思うことがあり、
育児シェアの可能性を考えるようになりました。
考えてみれば自分達が子どものころは
おじいちゃん・おばあちゃんが家にいたし
おじいちゃんがゲートボールに連れて行ってくれたり
近所のおばちゃんの家に行ってワンちゃんを触らせてもらっておやつもらったり
そんな生活をしていて、私の周りにはたくさんの大人がいました。

時代が変わり、
住む場所が変わり。
私たちが子育てする現代社会は
親が子の「お世話」も「遊び」も「メンタルケア」も・・・
全てを担う時代になった気がしています。


遊び部分だけでも
メンタルケア部分だけでも
誰かと一緒にできたらいいのにと思うわけです。

今のところふと思いつくのは

①親と子のメンタルケアに関しては、
「トンビが鷹を産むことはできないかもしれないけど、
トンビが鷹と一緒に子育てすることはできないか」
(要は子育ての研究者・専門の方の力をかりる)

「あ〜娘・息子がこんなふうに育ってくれたらな」と思う人を見ると、この人はどうやって育てられたんだろ、この人が親になったらどう子に向き合うんだろと思うことが、親になることにより増えたんですね。
例えば、私が尊敬する方の中にキングコングの西野さんがいるのですが、西野さんがもし我が子のワガママを目の当たりにした時ってどういう反応して、どういう言葉をかけてくれるんだろ、どんな遊びを繰り広げるんだろと、西野さんは子ども向けの絵本の執筆もしていらっしゃるし、そういう専門家の方と何時間かだけでも子育てをシェアできる仕組みとか環境作りができないかな?と。
今のところ、教育について学んでいる方や、教育についての事業をおこしている方にとって「よりリアルに子育て」を感じていただけるということしか相手にとってメリットはないのですが。
(西野さんの時給を考えると・・・到底叶わない夢ですよね)

②まずは子どもを見ていてもらうという部分にフォーカスする場合は
花嫁修行の一環に「子育て」を

うちで子育てのリアルを学んでみませんか?
子どもがどんな生態をしているのか学べますってスタンスで。
※これ、もし、我が家に来て
子育て大変すぎ、無理!ってなった時にどうにかできる補償はないな。

③まずは子どもを見ていてもらうという部分にフォーカスする場合は
子育てがひと段落した世代の方の力をかりる

娘さん・息子さん(お孫さん)が遠くに住んでいてなかなか会えない方や子育てをしてみたかった方にちからを借りる?
ここにはちゃんとした金銭の報酬が必要ですねきっと。
ここが一番現実的なのだと思うけど、信頼とか、信用とか色々問題があるのかな・・・

自分の頭で考えられるアイディアには限界があり
どの方法を見ても
私にとってのメリットしかないんだなぁ・・・。

家事代行や、ベビーシッターさんが割と普通になってきた今
子どもの「遊び」について
親と子の「メンタルケア」について
家に入ってもらって自分達も一緒に学べるような体験できるような仕組みがあればいいのになあ。

何もわからないまま子育てを開始して
子どもへの接し方や遊び方、何もかも自信がなくて正解がわからない中、出口の見えない暗いトンネルの中をずっと歩いている感覚に襲われる日があって、そのトンネルに小さな光を灯すようなそんな仕組みがあればいいのになぁ。

こんな中途半端な正解の見えていないつぶやきを
最後まで読んで下さった方がいたら心からお礼を伝えたいです。
また、何かかたちにできそうなことを思いついたらつぶやきたく思います。
ありがとうございました!


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