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友人を続けるということ

20歳になった。ある程度、関わる人を自分で選べるようになったらしい。

唯一今でも繋がりがある中学時代の友人と、一ヶ月ぶりくらいに会った。楽しい瞬間もあり、楽しくない瞬間もあった。別れた後、「楽しかった?」とLINEが来ていた。「楽しかったよ」と返信する時、少しだけ嘘をつく感覚があった。

彼といる時間は、なんだか自分が試されているような気になる。僕がくだらないことでふざけてみせても、なんでもかんでも愛想笑いで流すようなことはせず、面白くない言動は叱る。無難な会話を続けすぎていても叱る。こちらから話題を振っていない状態が続くと叱る。

彼は、他愛のない話をLINEで報告してくれる。今聴いている音楽を教えてくれる。険悪な空気が流れた時、大声を出して、おどけてみせて、僕を笑わせてくれる。嫌いなものを一緒に馬鹿にしてくれる。

とても大切な友人だ。

人間に相性があるとしたら、彼と僕は少し相性が悪いのだと思う。一緒に過ごしていると気を張って疲れる。だけど、彼としかできない会話が愛おしい。車で流してくれるカネコアヤノが、夜の公園で振り回す手持ち花火が、日付が変わってから作り始めるカツカレーが、たまらなく愛おしい。

一緒にいて楽しいと言い切れない友人と過ごす時間を、僕は自ら選んでいる。友人と関わる意味というのは、楽しい時間を共有するだけではなくて。日常の中のちょっとした高揚感、一人じゃできない悪い事、自分の知らない美しいもの。僕たちにしか理解できないと思っちゃうようなことを共有できる幸せが、この関係を繋ぎ止めているのだと思う。

この歪さが、大切でたまらない。

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