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実家の犬

今から書こうとしてるのは思い出話なのか、贖罪なのか、告白なのか、報告なのか、よく分からないけど、

実家の犬についての話をしようと思う。多分長くなる。

実家の犬はぼくが9歳のころ、我が家にやってきた。確か、ぼくが子供あるあるの「犬飼いたい」の時期だった。

犬は、当時まだもの珍しかった(と思う)インターネットで見つけたブリーダーから購入した子だった。

トイプードル、血統書付き、メス、色はレッド。

写真で見ると完全に小さなテディベアで、まさに理想的な犬だった。値段は確か20万ちょいでオークションに出てたのを30万即決で交渉してた気がする。よく覚えてるな自分。

家に来るまでの間、必死にお迎えの準備をした。ゲージやトイレやらを買って、ぼくは本で犬の飼育を勉強した。

そして羽田空港まで引取りにいって初めて対面した犬は、こんなにか弱く、可愛い生き物がいるのかと本気で思うくらい素敵な子犬だった。

家に着くまで、ゲージに入れられ、少し怯えたような様子の犬を心配しながら帰った。

それから新しい家族になった犬はすぐに慣れ、とりわけ父に懐いていた。本能で家長がわかるのかもしれない。弟とよくどっちが撫でるかで揉めた気がする。

そして家に来た時真っ茶色のレッドだった体色は、少しづつアプリコットが混じっていった。明るめの茶色くらいの色だった。血統書をよく見ると祖母か祖父にアプリコットとかシルバーがいたのを覚えている。

数年経って、ある問題が浮上した。

ぼくが動物アレルギーであることが発覚したのである。

短時間なら問題はなく、長期間一緒に暮らすと症状がでるものだった。

当時親の方針で中学受験も視野に入っていたぼくの状況と様々な要因を考慮した結果、犬は北海道にいる父方の祖母に預けられることになった。嫌な記憶だからかあまり覚えていないけど、ぼくは親と相当衝突してたと思う。

それから、元々犬を飼っていた祖母に大切に育てられていた犬にまた転機が訪れる。

東京にいる母方の祖父母が飼っていた犬(シェットランドシープドッグ)が亡くなったのだ。ある日突然、泣きながら祖母が電話してきたのを覚えている。

関東に住んでいたぼくと犬が簡単に会えないという人間の事情を押し付けられる形で、犬は今度、東京の祖父母の家で暮らすことになった。

どちらの家でも本当に良くして貰っていた。

犬は本当に賢く、東京に移って何年か経つと人の言葉を喋るようになった。

喋るようになったは盛ったかもしれない。でも人語を表情やトーンからだけとは思えない精度で理解していた。仕草なんかも時々、「中に誰かいるんじゃないか?」と思うくらい人間くさかった。

1ヶ月に1回顔を見に祖父母の家に行くと、ぼくの家の車の音でもう来るのがわかるらしくしきりに駐車場に向かって吠えていた。そして玄関を開けるとすごい勢いで家族全員に飛びついて挨拶をしてきた。そして嬉しさがあまって10分くらいは家中を駆け回っていた。

犬はお転婆娘だった。親しげに人に寄っていくかとおもいきや、撫でさせる寸前で身を翻し、残念そうな人の顔を見て満足そうにしていた。
しかも抱っこが嫌いだった。トイプードルにしては大きな身体にぼくらの抱っこが合っていなかったのか分からないけども、抱かれると嫌がり、下ろすと慌てて身震いをした。
お気に入りのおもちゃは買ってやったトイプードルのぬいぐるみだった。ぐちゃぐちゃになっても遊んでいた。

犬は賢すぎて、東京の祖父が亡くなる1週間前から体調を崩し入院していた。それまで病院なんかかかったこと無かっただけに心配した。多分なにかを察して、別れが辛かったからそうしたんだと思う。

犬はとても美人だった。誰に見せても可愛いと言われた。誇らしかった。同種の中でも1番可愛かったと思う。カットは決まってテディベアカットだった。

そんな犬も、10歳を超えてくると多少落ち着き始め、ぼくが雑誌を読んでいると雑誌の上に伏せて「撫でろ」のアピールをしたり、歓迎も大人しいものへと変わっていった。

それから、ぼくの就職やよく集まっていた伯父家族との疎遠化、そして

コロナがあった。


コロナを理由に祖母の家に行くことが無くなった。コロナが落ち着いても母親の「おばあちゃんが忙しいだろうから無理してこないで良いってさ」という言葉を鵜呑みにした。本当は何か違うと思いつつ、忙しさや面倒さ、ほかの楽しさに目を向けた。

ある日、コロナもすっかり落ち着き実家に帰った時言ってみた。「久しぶりにおばあちゃんの家行きたいな」
そしたら母は
「おばあちゃん、もう無理かもしれない」と。

痴呆症だった。

コロナで習い事や集会なんかが完全に無くなり、一人暮らしの祖母は人との関わりが一切なくなった。

それでも使命感なのか習慣なのか、犬の世話だけは続けてくれているらしい。

何も言えなかった。実家をでてからもう自分は実家の人間では無いような気がしていた。どうしたらいいか分からなかった。

「多分もう会わない方がいいと思う」と言われて、それ以上何も言うことが出来なかった。


そして今から1年ほど前、定期的に祖母の様子を見に行っていた伯父から連絡があり、とうとう犬の世話も出来ないほどに進行してしまったということで、ぼくの実家で犬を引き取ることにした。祖母の状態はぼくの薄っぺらな期待を纏った想像を簡単にぶち壊してしまうくらいだった。ここでは詳しく書けない。

10年以上たって最初の住処に戻ってきた犬は酷く衰弱していた。立つことができず、耳も聞こえなければ目も見えない。体は痩せてしまって、食事も摂ろうとしなかった。

この時点で犬の年齢は17歳を越えていた。人間で言えばいつ死んでもおかしくない、大往生くらいの年齢だった。

だが実家の両親、そして弟の献身的な介護によって元気を取り戻した。

抜け落ちていた毛は生え、相変わらず目と耳はだめなままだったけれど壁にぶつかりながらも自分の足で歩くことが出来るようになった。ご飯も沢山食べていた。寝ている時間は多かったけれど。ご飯ばっかり食べて出すだけ出すのよ、なんて母は少し文句を言いつつ、でも嬉しそうだった。

ぼくも転職を機に、地方にいた頃よりは実家の近くに引っ越すことが出来た。


それでも、中々ぼくは実家に帰らなかった。

帰っても少し撫でるだけであまり世話はしなかった。トイレの世話くらいはしたけれど、散歩にもついていかなかった。


今年、帰ろうと思っていたが体調を崩し帰らなかった。連休は旅行に行った。土日は家から出なかった。友人と遊びに行った。

先週の金曜日、弟からLINEが来た。嫌な予感がして、敢えて見たのは夜遅い時間だった。

いや、嘘をついた。本当は、なにか起こったとして三連休中に友人が家に泊まりに来るからリスケが面倒だったんだと思う。


弟からのLINEで犬が亡くなったことを知った。


犬は今月に入ってだんだん食欲がなくなって、ほとんど起きていられなくなり、夜中にか細く鳴くばかりの状態が続いた数日後の朝、家族が起きると静かに息を引き取っていたらしい。

お寺で供養をしてもらうとか色々家族からのLINEに書かれてあったけれどよく読んでいない。読めば読むほど底に落ちて行く気がする。

ただ、泣けなかった。1粒も涙が出なかった。なぜかしばらく、脳内ですいちゃんが歌う「優しい彗星」が流れていた。こんなに薄情なやつだったのかと自分がもっと嫌いになりそうだった。

三連休、友人が泊まりに来て一緒に映画を見たり、たくさん遊んだ。良かった。1人だと嫌な考えばかりが浮かんでは消えず、浜辺のゴミみたいに溜まっていく。

昨日、仕事を終えて最寄りから帰る途中、目の前に老婆に連れられた大きな白のレトリーバーがいた。

後ろを歩いていたら、犬との色んな記憶がわーっと蘇って来て、堪えきれなくなって泣きながら帰った。完全に不審者だと思う。メガネにマスクした成人がギャン泣きしながら歩いてるんだから。

犬が亡くなってから、今でもどうしたらいいかわからないという気持ちでいっぱいだ。実家に帰ってお線香をあげる。墓まいりにいく。北海道の祖母に電話をかける。やった方がいいことはいくつも浮かんで来る。でも出来ない。

本当にごめん。もっとそばにいれたはずなのに、してやれることが沢山あったはずなのに、声をかけることができたはずなのに、その全てをぼくは無視した。もう寿命が近い事はもちろんわかっていた。究極の現実逃避だったのかもしれない。

犬の写真を貼っつけようとして、やめた。いくら遡っても、カメラロールに出てこない。なんて冷たい奴なんだろう自分は。

東京の祖母はもう、犬が死んだことも分からなくなっているだろう。

ぼくももうしばらく、実家に帰りたくない。家族と連絡を取る事もしたくない。

嫌なこと、辛いことから目を背け続けて生きるぼくは、きっとロクな死に方しないと思う。

今ペットがいる人はこんな気持ちにならないよう、生きているうちに最大の愛を注いであげて欲しい。「大好きだよ」の一言でもいいからかけてあげて欲しい。本当に後悔する。

この後悔はいつか消えるのだろうか。それとも、これはこの先ずっと背負っていく感情なんだろうか。それはとてもにがくて苦しく、重くて吐き気がする、息苦しい、取り返しのつかない、罪悪感というもの。

これを書いているのも、この胸焼けするような感情を文章にすることで多少楽になるかと思ったからだ。自分が。結局自分のことしか考えてない。

多分、ぼくはもうペットを飼うことはないと思う。


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