人について

35℃の暑さの中、バイクに乗って文字通り朝から晩まで一日中外に出ていた。別に節電のために家を空けてたとか、家にいると落ち着かないアウトドア派とかってわけじゃない。
ただ天気がいい日にバイクに乗らないと罪悪感にも似た焦りと後悔で心を埋め尽くされるような、そんな気がしてしまう。暑くても寒くても。バイクに乗っていない時に他人のバイクの音を聞くと、いいなと思う。

正丸峠というところまで4時間かけて走り、峠を流して帰るだけ。正直楽しい時間より辛い時間の方が多い。暑いし肩が痛いし渋滞が多い。
イニシャルDという作品の聖地らしく、「藤原とうふ店」と書かれたトヨタのAE86があった。ゴテゴテにいじった最近の86に乗った人がいて、離れた場所では日産のフィガロを囲む人がいた。走り屋風に改造されたミニカもいた。

帰り道で寄った青梅の定食屋さんで優しいおじさんとおばさんに会った。料理は良く、常連客が午後三時過ぎにも関わらず
「ミックス定食。」
と一言で注文をする。定食屋の向かいでは昔ながらのたばこ屋が営業していて、店頭に灰皿がある。駅前にも関わらず人通りは少ない。むせ返る暑さと眩い青空、タバコの香りが夏を演出している。小さい頃を思い出す。
そのあと休憩で寄ったバイクのパーツやタイヤなんかを売っている店のベンチでずっと座っているおじさんがいた。何をするわけでもなくただぼうっとベンチにいて、夕焼けも相まって少し哀愁が漂っている。僕らと一緒で暑さから避難しているのだろうか。そのベンチにいるということはやっぱりバイクに触れていたいけど走る体力がない、そんな葛藤の中にいるのかもしれない。

夜の都心を抜ける。何年か前はそれこそ天の川みたいに賑やかだったビルの明かりも、節電要請のせいなのかそれとも働き方改革のせいなのか、記憶より少ないと思った。タワーマンションを眺める。どんな仕事をしている人がああいう所にすんでいるのだろうか。きっと僕には想像もできないような仕事をしていて、想像もできないような生活をしているに違いない。スーパーが近くにあるのかしらと考えてしまうのはぼくが庶民だからで、きっとマンションの中で自動で無農薬の食材が栽培されているんだろう。お肉とお魚はカットされた物が家の前に届く。気分転換のためだけに食材を買いに行く。そんな番組を見た気がする。

ディズニーランドを見た。細やかな暖色の明かりが宮殿みたいな建物に沢山飾られていて、とても綺麗だ。いつ見ても夢を感じる。今日もきっと何万もの人があの中で夢を見たんだろう。そして夢が覚めきってしまった頃にまた、夢を見にこの場所に来る。行くたびに笑顔の人ばかりで、みんな心からその場所が好きなんだなあと思えるからディズニーランドは好きだ。

家が近くなって、道に迷った。当てつけだろうけどauの電波障害のせいかキャリアが違う僕のケータイの地図アプリまで調子が悪くて、曲がるべき場所を教えてくれなかったから記憶を頼りに走ったら迷ってしまった。
なんだかトラックについて行ったら倉庫が沢山ある広い道に出て、そこの風景がいつか見た海の近くの倉庫群の風景に似ていて、やっと自分の街に港があることを認識した。引っ越してきてからまだ3ヶ月くらいしか経っていないので家の周りの道も建物も正直わからない。最寄駅と家、近所のスーパーの往復。
方向音痴なのも相まって、この辺りで迷ったら二度と家に帰れないのかも知れないと思った。なんとなくここで死ぬのは嫌だ。どうせ死ぬならお花畑の真ん中とかでこっそり死にたい。そして周りを飛ぶ蝶と鮮やかな花を最後に見て死ぬ。とても幸せだと思う。

倉庫の間の道を進んでいくと、突然真横にガードレールが伸びている。行き止まりだった。
左手にとても古いマツダの車が停まっていた。カップルだろうか。それともいけないものを取引しているのだろうか。それとも何かをこっそり捨てているのだろうか。捨てているのを見つかってはいけないけど、捨てた後は見つかって欲しいもの。いずれにせよ厄介だなと思ったけどなんとはなしに海をじっくり見たくて、右端にバイクを止めた。
さりげなくマツダを見るとその奥に男性がいた。椅子に座って海を眺めている。よく見たら釣りをしている。とても美味しいお魚が釣れそうな場所には見えないけど、実はいい鯛とか釣れるのかもしれない。釣りも魚もわからない僕にはそれが何を狙っている竿なのか、釣ってどうするのか全くわからなかった。クーラーボックスには何もなさそうだった。
ただこんな夜に、倉庫群の行き止まりの小さな場所から大きな海の端っこに釣り糸を垂らしているその姿はなんだか神秘的で、邪魔をしてはいけない気がして端っこでこっそり煙草に火をつけて海を眺めていた。

小さい頃から写真が好きで、今でもカメラを持ち歩いているけど段々撮る枚数が少なくなってきて、とうとう今日も一枚も撮ってなかったことを思い出して少しだけシャッターを切った。自分が生きている記録をつけている気になって、何も残せないという気持ちから少しだけ距離を取れる。
あの釣りをしている男性にも色々な人生があって、紆余曲折、かくかくしかじかの末、今こうして釣り糸をお世辞にも綺麗とは言えない海に垂らしている。

人がどうやって生きているのか、すごく気になる。興味がある。見知らぬ街に行って知らない人、多分一生関わらない人のお家やお庭、洗濯物なんかを見るのも好きだし、問題ないなら道ゆく人全員に話しかけてみたいと思う。どんなふうに生きて来て、どんな仕事をして、今どんな人生なのか。
定食屋の夫婦、ベンチのおじさん、今日追い抜いた車の人、タワマンの明かりの一つ一つに沢山のエピソードがあって人生がある。

タバコを吸い終わって帰ろうかと振り返った瞬間、横に社名が入った明らかに仕事用の軽バンがやって来て、マツダと僕のスズキの間に停めた。軽バンもスズキだったので多数決で僕はマジョリティ。いまこの場にいる人間だけで政治をしたら僕らの勝ち。
軽バンにはおじさんが二人乗っていて、一人が仕事道具の中から楽しそうに釣竿を引っ張り出して伸ばしているときもう一人は助手席でパンを食べていた。多分コンビニのハンバーガーだと思う。ファストフードよりは不味いけどパサパサ具合が癖になるタイプのやつ。
マツダのおじさんの場所が奪われていく。うるさいバイクに乗った喫煙者と社用車で釣りに来る男によって。神秘性は失われてしまう。特別なものではなくなってしまう。

でももしかしたら、マツダのおじさんと軽バンの二人は知り合いかもしれない。
「今日はどうですか」
「うん、まあぼちぼちかね」
そんな会話をしながら並んで夜釣りをする姿を想像して少し楽しくなる。お互いの名前を知らなくてもそれは確実に友達だと思った。追いようがないからこそ儚くて脆くて大切な人間関係。
バイクのセルを回すと海風だけの静かな空間が震えるのを感じた。大変な思いをしてでもバイクに乗るのは、人間というか命というか、そういうものをより濃く感じられるからなのだろうか。少しだけ気まずさを感じながら出発する。
多分この後は迷わず家に帰れる。そんな気がした。


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