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【感想メモ】蜆(梅崎春生)

 戦後日本のお話なのにこれまたどうして共感できてしまうのでした。青空文庫にて公開されている梅崎春生「蜆」読了です。

 ソシャゲで他のユーザーにコメントを表示できる機能ってよくあるじゃないですか。最初は「よろしくお願いします!」とか書いてあるあれ。キャラへの愛を語ったりゲームシステムへの戸惑いや文句を言ったりするあれ。とあるソシャゲのランダムで表示されるそれに、青空文庫で読める短編ってので数作品おすすめしている方がいたんです。思わずスクショ撮ってました。そして読みました。一作目がこの、梅崎春生の「蜆」です。

 作者のお名前はさっぱり存じ上げませんでした。元よりそんなに詳しい方ではないので、私が無知というだけなんですが。ちなみにタイトルの「蜆」は「しじみ」と読みます。貝のしじみです。お味噌汁に入れると美味しいやつ。

 一万字超のお話でした。寒い日にあたたかな外套を譲ってもらった語り手と、外套を譲った男とのお話です。初めは外套のやり取りで終始します。外套を親切に譲られたと思ったら無理矢理奪われて、その後もすったもんだ。何なんだこの男は。いや、貰い物を頑固として「自分のものだ」と主張する語り手もなかなかだけど。そしてしじみはどこに出てくるのか。ちょっとだれてきたところで、男が今までの経緯を語り始めます。外套を譲った理由と、奪い返した理由、そして今。

 初めは男の考えていることが語り手同様全然理解できなくて戸惑うんですが、後半の地の文なしの男の独白で何となく「あー……」と苦々しく眉をひそめたくなりました。外套を譲った理由に私も心当たりがあるし、外套を奪った時の心境も容易に想像がつく。男の心境変化に満員電車が関係してくるんですが、なんと男が乗ったこの満員電車、扉がついてないという。つまり中から人が落ちるんです。戦後日本大丈夫か? 実際、男の目の前で人が一人落ちてしまう。それも、落ちかけていた女性を哀れんで場所を変わった優しい人が。満員電車の中は人一人分の余裕ができて、乗客は「誰が落ちたのかなんて明日の新聞見ればわかるさ」と大笑い。男も引きつった笑いが止まらない。

 落下してしまった人が車内に残した(男が落下を阻止したとも言えそう)荷物を罪悪感なく持ち帰って、男は中を見ます。しじみ。大量のしじみ。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたしじみ。想像してみたらちょっと気持ち悪い気がしなくもない。その中でしじみが鳴くんですね。プチプチと。寂しげに、陰気に。それを聞いて男は悟る。

 お話の冒頭で語り手が「飲むものはインチキでも酔いは本物」、「酔いだけは偽りない」と名言じみたことを言うんですが、それが終盤かなり生きてくるんですよね。この構図は良い。他にもボタンとかがキーワードになるんですが、そのキーワードの使い所も伏線回収を完璧にしきれている感じで後味は良いです。物語としての後味は微妙…悪いという意味ではなくしんみりざわざわするという意味で微妙です。男達の気持ちがわかりたくないけどわかってしまう自分が悲しい。

 最後にあちこちのポケットからしじみが出てきたり、それを味噌汁にして食べたり、二人で外套を売りに行ったり、その時外套に残っていたボタンをちぎって持ち帰ったり(売るのにちぎって良かったのか?)、そのボタンは結局子供のおもちゃになってどこかに行ってしまったり、というのは暗喩の究極な気がします。こういう締めは悪くない。他の方の感想で「リュックから離れて外套やポケットに入っていたしじみは、満員電車のような社会から飛び出そうとする男を暗示しているのでは」みたいなのがあってなるほどと思いました。それをインチキ酒の肴に食べて「酔った」のだからこれは良い、良い暗喩です。

 戦後日本のお話なのに同調できてしまうことに戸惑った作品でした。作中では「日本は敗れたんだ」とあるんですが、この作品の中で語られているのは敗戦なんて関係がなくて、敗戦の色のない現代でも同じ心地になるのなら戦争で手に入れようと先人が求めた幸福って何だったんだろうとか、そんな虚しいことを少し思いました。