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表現する

私は表現をせずには居られない人間らしい。

初めて表現することを覚えたのは、小学1年生の時。
「友達がやってて楽しそうだったから」という、よくありがちなきっかけで、バトントワリングを始めました。

最初は無我夢中でお姉さん達と踊ることに精一杯だったのを覚えています。
子供ながらに「楽しい」とは違って、義務感でやっていたような気がします。
まぁ、そもそも始めた理由が「楽しい」ではないからだと思いますが。

でも不思議なもので、続けているとその良さを知ることが出来るようです。

踊ることが楽しいなって、初めて思えました。
きっかけや理由は分かりません。ただひたすら人前で踊るのが楽しかったんです。

楽しいと思えることに理由はいらないと思います。
それほどのめり込んでいったのを覚えています。

それからは学校に行きながらも、レッスンをして踊り続けていました。

中学生になると部活が始まり、ほとんどの人が中学の部活でスポーツや自分の好きな物を見つけていくでしょう。
その時私は、「バトントワリングに生かせる部活がいいな」なんて考えていました。

なので、私は新体操部に入りました。
今思うと、少しは気分転換に違う部活選べばいいじゃない、なんて思います。ホントに。

でも、苦ではなかったようです。

部活で新体操をやった後に、放課後はバトントワリングをしにレッスンに行く毎日でした。
それでも勉強を怠ることはなく、それなりに成績も順調でした。

よく器用にやっていたものです。

高校になると、バトントワリングへの熱が冷めずに、バトントワリング部に入りました。
そこからはもうずっとバトンです。

ひたすらに10年以上、踊り続けていました。
決して上手くはないし、やっぱ下手だなぁって当時のビデオを見て思うし、やってる年数の割にレベルも低いけど、人前で表現し続けてました。

今はいろいろあって、もう踊ることはしてません。
でも、今度は歌ってます。

少しだけですが、人前で歌ってます。

よく配信を聞きに来てくれる方が言ってくれます。

「なんか心に響くんよね」
「歌声に魂がある感じで、いい声だね」

10年以上、人前で踊ってたから。
それなりに意味はあったのかなって、思える瞬間です。

死んだら、どんな有名な人でも骨だけになるなら、生きているうちは自分を表現し続けたいです。


aS

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