自殺論4ー死んだらどうなるのか?ー

我々と死ぬとどうなるのか分からないのは、今更言うまでもないことだが、この点は、前稿(https://note.com/aryushugi_8888/n/n5f0f399135a6)でも詳しく述べた。
死んだ後の状態としてあり得る可能性としては、
①文字通り何もなく、死後の世界などない
②死後の世界がある
のどちらかである。

①の状態を更に具体的に言うと、生物的な状態そのままのとおりで、死ぬことで生物としての機能が終了する以上、文字通りそれで終わりということである。
魂というものもないのだから、遅くとも人体の生命維持機能が終了したら、当人の意識や認識もそれで途切れることになる。
死後の世界はないと考える論者は、死んだら当然①の状態になると考えて議論を展開するが、あくまで①となる可能性がある、ということに過ぎないことは、繰り返しになるが、重要なことなので強調しておく。

②の状態は、人間には、魂なり霊があり、死後の世界が続いているという考え方だ。
死後の世界が具体的にどのようなものか、各宗教、各人が属するコミュニティ等で見方が異なる。
最近は、自由な発送の下、人それぞれイメージが異なるといえる。
正しい死後の世界がどのようなものかを、科学的に、或いは、客観的に誰もが了解できる形で記述することは、現時点では、まず無理であろう。
何度も述べているとおり、死後の世界を知りたいなら、文字通り死んでみるしかないからだ。
このように、死後の世界のイメージは違うのは確かだが、②の立場は、死後の世界が存在すること自体は、異論がない。

では、①と②のどちらの可能性が高いか?
いよいよ本質的な問題である。
①の考え方が有力になったのは、私の考えでは、近代になって無神論的な価値観が現れてからではないかと考えている。勿論、近代以前にもそのような考え方があっただろうが、①の見解が声高に唱えられるようになったのは、人類史の中でごく最近のことであるといっても過言ではあるまい。
また、現代の人類全体の価値観の中で、①であると断言する人は少数派である。
勿論、少数だから①はあり得ないと論じることは出来ないけれども、②のように、死後の世界があると考えるのは、恐らく各時代、全世界を通じて、通説的な考え方であることは否定し難い。
更にいえば、時代を超え、場所を超え、人間の根本的な価値観に親和的であると思われる。
①に親和的な無神論的な考え方が当たり前に受容された今日でもなお、死後の世界について考えずにいられないのが現代の我々の偽らざる本音だろう。
以上を踏まえると、死後の世界の有無は、死んでみないと分からないとはいえ、②のように死後の世界があると考えるのが、可能性が高いと考えるのが"理性的"ではあるまいか。

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