枡野浩一生誕祭 ◎
高校の国語の教科書に短歌が載っている有名な歌人
枡野浩一が55歳を迎えた
ぼくにとっては養成所でちゃっかり出会った有名な人
入学式から自身のことが書いてあるパンフレットをみんなに配り、毎度来られる講師の方々に自身の作品を渡す、かなりがめついおじさんに見えた
枡野さんとの初接触は芸人コースはじめての授業終わり、靴をだれかと間違えられ失ったぼくに、そっとホテルのスリッパを差し出してくれた時だ。ぼくはその日、枡野浩一のやさしさと新宿のアスファルトがいかに整備されてないかを知る。
スリッパのまま枡野さんとカフェで話してた
その時、ぼくが憧れのパンクロッカー(現 作家)である町田町蔵(現 町田康)の話を引き合いに出してみると
「あー、マチダくんはねー、この間も」
あーマチダくんはねーこのアイダも!???
“”じゃあ、あの、ぼくリリーフランキー大好きで“”
「リリーさんはね、昔、◽︎◽︎に住んでたんだけどー」
なんでも出てくる
「あー、これあんま言っちゃいけないかー」
テレビに出たことあると聞きましたが
ぼくは高校の国語の教科書も読んでないし短歌への知見もないので枡野さんのすごさが全然分からない。その時はただ、有名であることと短歌がすごいすきなこと以外、分からなかった
聞かずとも枡野さんは〇〇と共演した、△△に出たことがある。と教えてくれる。それが自慢なら「あんまり自分で言わないだろ」と思うはずだが、素直にスゴすぎる事実なので誰もツッコむことはない。
結局、この人はなにものなのか
それを知りたくて、興味を持った
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そんなことあったのが今から4ヶ月前
思ったより経ってないけど週2日会ってたら距離感も掴めてきて、Theピーズや橘いずみといった音楽の話をたくさんするようになった
座学の時、枡野さんのとなりがいつも空いてて遅れてきたぼくがいつも座りがちだというのも、ひとつ距離の縮まった原因だと思う。はじめは恐れ多いとまで感じていたが、話してみるとホントに抜けた良いおじさんで今回もそれが滲み出ていた。
今回出演の内訳は枡野さんがもし出たい方いたらと募集していたのを聞いて、是非出させて下さいと自分らから申し出た。枡野さんは快くOKしてくれたし、どんな形になっても楽しそうだから出たかった。
直前の火曜日 柴助主催で短歌のライブをした
楽しいし面白いし短歌も学べる良い会だった!!
(!!第二回準備中!!)
枡野さんはマイペースにも思えるけど、ぼくらの漫才や色々な確認を不慣れなのにすごい気を遣ってくれて、対等に接してくれてすごくありがたい人だ。
枡野浩一生誕祭ライブは大盛況。
前回と同様、やりたい放題だったみたいだけど
枡野さんがそうしてくれるから、出演者も気張らずに有難くて、また同じことを繰り返す 例えそれが失敗だったとしても、その人間らしさに安心できて有難い。
言葉を扱う歌人さんを言葉で表現するのはちょっと気が引けてきたので、ぼくは別の表現でさせて頂きたい。その舞台がまた叶うなら
なにものなのかはまだ分からない
けど、これからはすごい人というより
正直な人と呼ぶことにする
もっと学ばせて知らせて頂きたい
息子と同じ23才のぼくが
枡野さんをお父さんだと思って書いた手紙です
芸人としては同期でライバルなので
これからも手合わせ願います
55才!!!!!
55は約数が1と5と11と55しかないのがカッコイイ絶!!
↓
枡野浩一ver.の漫才をぼくらがトリにしてます
藤元さんのネタもあるし何より枡野さんの魅力たっぷり
↓○ここでしか見れない歌人裁判のネタも!!○
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