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嫌な物をわざわざ見てしまう


※以下の文章はただの学生である或兎まおの仮説です。科学的根拠に基づくものではない部分もあるため、閲覧自己責任とさせていただきます。

こちらのnoteに対する批評、考察は大歓迎です!



人はなぜ、自ら自分を痛めつけるのか

見たくないものを、つい自分から見に行ってしまうという人種は一定数いる と思っている。

例えば、
閲覧注意のグロ画像とか、自分のことをボロカスに叩いている人のTwitterアカウントとか、元カレ元カノのインスタとか 精神衛生上よろしくなかったり、むしろ自分のメンタルを崩す大きな要因になったりする。

精神衛生上よろしくない情報を得ると、もちろん余計なことに思考時間を割かれるし作業効率が下がってしまう。
ハッキリ言ってデメリットしかない。

それなのに人がイヤな物を見てしまうのは心が弱いから ではなく心理学・神経学的な面が要因となっているのではないかと考えた。


「イヤなものを見てしまう」を心理学的側面から考えてみる

人は葛藤の中にあると強いストレスを感じ、何かしらの行動によってその不快感から脱しようとする。
それらを生じさせる葛藤の要素を大まかに分類すると「回避(マイナスな要因)」「接近(プラスな要因)」があり、それらの組み合わせによって葛藤にも種類が生まれる。
それが以下に記述してある3通りの組み合わせだ。

1…接近と接近
(推しの新衣装配信が見たいけどゲームのクエストもやりたい)
2…回避と接近
(元カノが今何してるか知りたいけど、それを見て傷つきたくない)
3…回避と回避
(悪口を言われてるのを見たくないけど、監視していなかったことで不利益が生じるのを避けたい)

嫌なことを見てまう心理は、2と3に当てはまるだろう。
回避と接近の組み合わせでは、接近にしろ回避にしろ、どちらもネガティブな気持ちがあるのは共通している。しかし、ネガティブなりに近づきたい気持ちと、ネガティブだからこそ遠ざけたい気持ちが両方ある状態は、非常にもどかしくできれば早く解消したいものだ。そんな時に「不安だけれども、見てみよう」と接近の行動をとってしまう。
一方、回避と回避の組み合わせでは、悩んだままの葛藤状態でいるよりは、比較的不快感が少ない選択肢を選んだほうがストレスから解放されるため、つい「嫌なものを見てしまう」という行動を選んでしまうのではないだろうか。

(参考文献 嫌なものを見てしまう心理について | メンタルの強化書 )

「イヤなものを見てしまう」を神経学的側面から考えてみる

ストレスがかかった時に作用するのが主にノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニンである。ノルアドレナリンは、自律神経に働きかけて心拍数を上げたり、血液量を増やしたりして、活動しやすい状態をつくる。一方、ストレスになるような状況を乗り越えたときの達成感、うれしい気持ち、つまり快感をもたらすのがドーパミン、この2つをコントロールして、気持ちを安定させるのがセロトニンである。

私は本来心を守るために作用していたこれらの物質に対して無意識に依存してしまうことで「嫌なものをわざわざ見に行ってしまう」という相反する現象が起きているのではないかと考えた。

先述の物質の中でもドーパミンは快楽を司る脳部位である報酬系に関与している。実際、コカインや覚せい剤はドーパミントランスポーターを阻害し、ドーパミン濃度を上昇させる働きを持っているのだ。

初めは嫌なものを見てしまったことで生じたストレスへの対処のために分泌されていたドーパミンなどの物質にいつの間にか依存してしまい、次第に刺激を求めてわざわざ嫌なものを見てストレスを感じに行ってしまっているのではないかと考えた。

ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなどの物質は補い合って作用するため、バランスを崩してしまえば上手くストレスに対処できなかったり、先述のように依存してしまうと考えている。ストレスにうまく対処できるかは脳内のホルモンの状態、体内時計の状態、自律神経の働き具合によって決まるものだ。ストレスに負けない生活習慣のコツを覚えて、快適な毎日を送ることが「嫌なものをわざわざ見ない」一番の対処法なのかもしれない。

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